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漫画家になりたかった、私の話

こんにちは、伊吹です。
今回は、漫画家になりたかったけどなれなかった、記事です。

絵が好きな人が通る道
絵を描いてる人なら一度は思ったことがあるのではないでしょうか。
「漫画家」になる夢。
私もその一人でした。
小さい頃から漫画が好きで好きで、模写しまくる毎日。
そんな甲斐?があってか、「絵が描ける人」に認定され、小学校の卒業アルバムでクラスの表紙に似顔絵を描くことになりました。
好きでただひたすら描いたら上達したことが自信に繋がり、「漫画家になりたい」夢が膨らみます。

漫画を好きになったきっかけ
父の趣味で家にたくさんの本がありました。
小説、図鑑、漫画などジャンルは様々でしたが、父が知り合いから安く譲ってきた週刊マガジン、サンデー、ジャンプ、月刊マガジン、ジャンプ、ビックコミックオリジナル。などなど、週替わりに変わる漫画を特に楽しみでよく読んでいました。(トイレに置かれていたので漫画を読むために引きこもることに笑)
6歳離れた姉の影響で、私は小1で同人誌デビューを果たします。
当時流行っていた「流川×花道」通称「るはな」
結構ハード系でした笑
偶然見つけてしまい、こっそり読んでたのがバレて知らぬ間に場所が移動されてたのを記憶しています。
そんな同人誌デビューが早かったのもあり、漫画を描くスタートも早かったです。

小3のクリスマスプレゼントは漫画の描き方セット
小3のクリスマス、サンタさんから漫画の描き方セットをもらいました。
描き方の本、ぺん軸、ぺん(Gペン、丸ペン、スクールペン)トーン、原稿用紙、雲形定規、黒インク、ホワイト。
と、充実したセット内容に満足しながら絵、漫画をひたすら描きます。

この一冊でテクニカルなことが学べました

友達の間で、漫画セットを持ってる子は少なく、絵を描くのが好きな友達に貸したりしていました。(その子はその後漫画家としてデビューを果たします)
限られたトーンや原稿用紙に描くのが勿体無いので模造紙や普通の画用紙、広告の裏などに漫画を描いたりしていました。
そんな漫画セットのおかげで絵がどんどん上達していきますが、雑誌への投稿はしなかったです。

影響を受けた漫画家
多岐にわたります。
藤崎竜先生、田沼昭宇先生、冨樫義博先生、椎名高志先生、高橋留美子先生、丸尾末広先生、弘兼憲史先生、室山まゆみ&まりこ先生、吉田戦車先生、中沢啓治先生、、
「これ!」という先生を追い続けてたわけではないのですが、その時代、ジャンルを駆け抜けた先生方はお手本でした。
今振り返ると、濃いめの劇画タッチの絵が好きなんだなと、思いました。

あっさり夢諦め、イラストレーターになる夢へ転換
何作かオリジナル本を作り、姉に読んでもらっていました。
アドバイスをもらいながら、15歳の頃渾身の一作が出来上がります。
しかし、第一声が「話しがつまらない」
あまりの衝撃に挫折笑
ストーリーに才能を感じず、漫画家やめてイラストレーターになろうと切り替わりました(早)
絵を描くことは好きだったので、1枚絵で勝負しようと思いました。

イラストレーター 浦野伊吹
15歳のころ、友達がお土産でポストカードを買ってきてくれました。「こんなんすきちゃう?」と渡されたのがこのポストカード。

浦野伊吹というイラストレーター。どこか松本大洋作 鉄コン筋クリートの世界を匂わすような機械的なタッチにどんどん惹かれていきます。
ただ、知ってすぐに活動を休止してしまい情報がほとんどなく、フィギアも当時プレミアがついていて高かったので、ステッカーぐらいしか手に入れることはできませんでした。
それでも、少ない情報の中でその人の世界観に近づきたく何度も模写し、自分のものにしようとしていました。

ビレバンで購入

専門学校在籍中に初個展
高校卒業後は専門学校に通いました。
学校で初めてギャラリースペースができ、在校生が展示など使えるようにと参加者を募っていました。
当時はそのスペースを友達同士で二人展として使用する人が多く、私も友達と二人で開催する予定でしたが一緒にやるはずだった子ができなくなってしまい急遽個展に変更。

初個展のDM「かえるん家」

20畳近くあるスペースを埋めるべく、巨大な作品作りを開始。この時期はカエルの魅力にハマっていたので、作品のモチーフは全てカエルに。
当時は「目立ってナンボ」という思考だったので、色んな画材や素材にこだわりました。顔彩、墨、絵の具、立体模型。などなど。中でも一際目立ったのは、体長1mの発泡スチロールで作ったアマガエルのかおるちゃん。
後に福岡のカエル展に出展し地方新聞に載ります。
その後、カエル展スタッフさんのはからいで如意輪寺(通称カエル寺)に奉納されました。

福岡にある如意輪寺 通称カエル寺に奉納されたかおるちゃん

個展をしながらも、別で4人展、通常課題に就職活動、卒業制作(これもカエル)卒業制作は銅賞をいただきました。
卒業後はスポーツ関係のデザイン会社の社員に。
会社員時代は、絵から離れます。

会社員、新卒あるある
学校で習ったことが全く通用しない会社員時代(おいおい一体何のための学校なんだい?)
Illustratorなんて全然使えないのでただひたすらトレースでベジェ曲線を覚える日々。
当たり前かもしれなませんが、当時の私にはスパルタでした。
でもこのスパルタのおかげで「なんでもトレースすりゃあ解決するだろ!」なんて精神が身につきます。
毎日よく怒られていたし、できないことに泣いてました。(学生かよ)
でも、唯一ここでも発揮できたのは「絵(イラスト)を描くこと」
当時、配属してた部署にはイラストを描ける人がいなかったので、その仕事が入ってきたら全部回されました。
文字チェックに厳しい上司でしたが、イラストチェックになると一発で通ります。
多種多様の案件が入ってくるので、ニーズに合わせてイラストタッチを変えることをこの時覚えました。

よくボーダーの服を着ていた同僚の似顔絵

同僚から似顔絵の依頼がありましたが、気に入ってもらえたかはちょっと謎です。。。あ、もっと可愛い絵も描きます…^^;

絵を描き続けてよかった瞬間
嬉しい話を一つ。
プロ野球の春のキャンプ用Tシャッツデザインコンペがあり、見事通りました。
当時の外国人監督が神輿に乗ってワッショイしてる墨絵です。
先方の営業の方からお手紙をもらい、高く評価してもらったことが嬉しかったです。
一点集中型の私はまんべんなく業務をこなすことが苦手でよく注意をされ、そのたびに泣くことが多かったですが、唯一自分ができることが評価されたことで「その道の一番になればいい」と上司から言われ、その言葉を今でも大切にしてきました。

4年半働いた会社を退職後、もう一度漫画を描く
25歳、退職後半年間ニートになります。
漫画家デビューした友達が北海道に住んでいたので、その休みを使って遊びにいきました。
友達と漫画の話や、北海道旅行先で知り合った65歳ぐらいのおじさん(相生で古本屋経営者)に背中を押され、再度漫画を描く決心をします。今までしてこなかった初の投稿作品です。
投稿先は、今もう廃刊となった「月刊IKKI」
少年漫画と青年漫画の中間ぐらいの層の雑誌が合うんじゃないかと言われ投稿することを決意しました。
32ページの書き下ろし。時間がたくさんあったので、ストーリーの構成、ラフからフィニッシュまで一ヶ月ほどで仕上げました。

ちょっと間抜けでドタバタするヒロインの女の子 さつきちゃん
格闘家っぽい風貌の男の子

内容も、妊娠しちゃった高校生の女の子がトラックに轢かれて生死を彷徨いながらも、夢の中でお腹の子と会い、死神と出くわしながらもその子がなんとかして母親を生かせるようにするストーリー。

今見ると恥ずかしいですが、当時は誰彼かまわず見せてました

今見ると臭いセリフもあってとても恥ずかしい笑
でも当時は一心不乱になって真剣に描いてました。
北海道の漫画家の友達にも見てもらい、背中を押してもらえた自信で原稿をポスト投函ー!

「どこにでもある話」
返ってきた編集者の人のコメントにそう書かれていました。
結果は散々ではありましたが、一つの自分の中の区切りになりました。
小さい頃の夢は現実にはならず、画力以前の問題で前傾の姿勢で二度目の作品を作れなかったこと、現状自分の実力はそんなもんだと諦めが半分あったこと、その逃げ癖が夢を掴むチャンスを失っていたのだと、今までの自分を振り返るきっかけにもなりました。

今思うと
この時点で「絵を描くこと」はやめておけばよかったように思います。
職場の上司の言葉で「その道の一番になればいい」は、「なれないならやめた方がいい」の言葉の裏返しだったんだと思います。
だから、漫画を投稿し落ちた時点でやめるべきだったんだと。
それだけ一つの芸を極める難しさと覚悟がないとできないことであり、潰しもきかなくなるということ。図太さと強かさがないと成り立たない世界だとわかっていたはずなのに「なんとなく」の感覚で進めてきたことが仇となって今返ってきてるように思います。

じゃあなぜ今も絵続けているのか?
「続けていけばいつか叶う」の考えが強かったと思います。
でもその考えが甘かった。
自分では、挑戦も噛み付きもできていたはずだったけど、全然できていなかった。方向を間違えていた。
だから今も続けているのは今までの自分へのリベンジです。

やるしかない
今、縁あってスマホケースを販売しています。
おかげ様でちょっとづつ注文が増えて温かいレビューも増えていってます。
私の絵を「好き」と言ってくれる人の数を増やしていくには、チャンスに噛み付いていくしかないです。
好きなことを仕事にするなんて、生半可の気持ちではできないことを小さい時の自分に言ってあげたい。
なんて、そんなストーリーの漫画が描けたら面白いのかな。
と、この文を書きながらふと思い浮かびました。

小6のメッセージカード
「漫画家」ではなく「絵の仕事」になっている、謎


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