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災害ユートピア

テキスト)災害ユートピア
なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか
レベッカ・ソルニット
A paradise Built in Hell
The extraordinary Communities that Arise in Disaster by Rebecca Solnit


プロローグ 地獄へようこそ

”あなたは誰ですか? わたしは誰なのか?
危機的な状況に置いて、それは生死を分ける問題になる。”
プロローグ冒頭


地震、爆撃、大嵐。
その状況下で、人はまず何を思い、どう動くのか?
緊急時の状況での共同体、そして社会はどのようなものなのか?
サンフランシスコ大地震、メキシコシティ大地震、
9.11 そして、ハリケーン・カトリナ。

たくさんの文献、そして証言者から浮き彫りになる、
わたしは誰なのか? あなたは誰なのか?


大惨事に直面すると、人は利己的になり、
パニックに陥り、退行現象が起きて野蛮になるという
一般的なイメージがあるが、それは真実とは程遠い
プロローグより抜粋

今まで私たちが見聞きしてきたニュースやドキュメンタリー、
これらは一体なんだったのだろう。。この本を読んでそう思った。

例えば、9.11。カリフォルニアにいたとき、間接的な知り合いで志願兵になった人は数人いた。どのケースもテロ事件がきっかけだった。それから、背中や腕にタトゥを入れている人。勇敢に戦った傷ついた市民のために戦った”ヒーローたち”を
自分の肉体に刻んでいる。日本のニュースでも、当時のニューヨーク市長、ジュリアーニのことを、英雄視する報道が新聞でもテレビでもあったし、アメリカ軍が報復を始めた直後には、激怒し愛国心とエゴをむき出しにするアメリカ人と、報復を受け、瓦礫の中を彷徨う力なきアフガニスタンの人たちの姿をコントラストで報道するドキュメンタリーもあった。

わたしが当時、耳にしたニュースで、唯一、心暖まる現地からの報道といえば、イスラム教徒や中東諸国にルーツを持つアメリカ市民への嫌がらせ(時に命も危ない)に対して、一般市民がボランティアで立ち上がり、
白人男性が、中東にルーツを持つ子どもたちの学校への送り迎えをかって出たり(下手したら自分だって撃たれるかもしれないのに)、買い物代行や病院への付き添いなど、ソーシャルワーク業務一般を、誰からの指示でもないのに、自然発生的に市井の市民の間で生まれたというものだった。

しかしほどなく、アメリカは報復を決定し、憎しみが加速した。そして戦争になり
泥沼化し始めると、災害時に、市民の間で自然発生的に起きた、優しさと勇気からなる暖かい共同体のエピソードはまるっきり消去されていった。わたしもその頃には、わたしが見聞きした心温まるエピソードは、あれはお伽話のようなもの。
あんなことは滅多には起きないし、なんなら本当に起きたことなのかも怪しい。もしかしたら、作り話なのかもしれないな。。。 そう思ってた。わたしこそが、メディアや権力、社会構造の都合のいいように洗脳されていたのだけれど。


”今では、不可能なほど遠い存在としてしか、パラダイスについて語る人は
ほとんどいない。
たいがいは、遠くにあるか、大昔にあったか、もしくはその両方だ。それはすなわち、今ここで、私たちがそのような理想生活を送るのがいかに不可能であるかを示唆している。けれども、時折だが、私たちの間にパラダイスが閃光のように出現したらどうなるだろう? それも最悪の状況下で?

その閃光は大昔のどこか遠くにあるパラダイスと違い、私たちが実はどんな人間で
私たちの社会がどんなに違ったものになりうるかを見せてくれる。

それは危機の真っ只中で底力を発揮するパラダイスである。
それは自らの可能性を全く開花することなく縮こまり、憂鬱な社会に甘んじている私たちの普段の姿とのコントラストにより指し示される。

そして、良くも悪くも、長期的な社会的・政治的変革が瓦礫の中から生じる。
今の時代、パラダイスがあるとすれば、そこへの扉は地獄の中にある。”
プロローグより抜粋

ここに登場するのは、災害時に実際にそこにいたたくさんの普通の人たちの証言や
発生当時の記録。時代も国も災害の種類も違うのに、人々は同じように利他的に勇敢に、見知らぬ他人のために動き、そしてどの災害でも同じような即席の共同体と連帯が生まれた。それは本当に自然発生的なもので、誰の指示も受けていないのにも関わらず、きちんと機能していた。

その循環が突然切られ、そして連帯が分断に、暖かい共同体が疑い深い個人になっていくきっかけも、どの時代のどの災害時も同じだ。

軍隊、警察の介入。そして政治家が作った災害マニュアル。これが敷かれ出すと
決まってカオスが起きる。それは犯罪を誘発し、結局、警察当局や政治家の介入が必要な災害時のパニックと非力な市民としての再構図ができる。”真実』が塗り替えられて報道されてしまうからみんなそれを信じてしまう。人間はいざとなったら非力なんだと。。。

こうした権力の行使と情報操作を、エリートパニックというそうだ。
権力者にとっては、災害は一揆にも似ているんだと思う。
災害によって、市民が助け合い、立ち上がられてはマズい。だから彼らは、
街に警備を敷き、バリケードで封鎖し、不安になるようなニュースを報道する。

数々の、よき人々の連帯の記録がここにあるが、その中でも印象に残ったものを少しだけ。

9.11 で、道に倒れ怪我を負ったイスラムの男性がいた。意識が朦朧として自分ではもう動けない。でもこのままだと死んでしまう。そこへ偶然、封建的イスラエルのユダヤ教信者たちが通りかかる。彼らは、本来なら”敵”であるはずの、道で倒れたイスラム教徒に声をかける。『兄弟よ、もしもいやでなければ、わたしの腕に妻構ってください。一緒に逃げましょう』

ツインタワーでは、車椅子のオフィスワーカーを、会計士たちが担いで60階も階段を降りた。その間に火の手は上がり、自分たちだって死んでしまうかもしれないのに。

家を失った人たちでごった返す公園を、キャンドル、祈り、声かけ、食べ物を分かち合い、知らないものどうしが寄り添った。その活動がスムーズに行くように指示し動いていたのはホームレスたちだった。被災した彼らの多くはすでに、自国の
中東への報復が始まってしまうかもしれないことを嘆いていた。自分たちがまさに被災した直後だというのに!!ニューヨーカーたちはその後も、一貫して戦争反対を叫んだ。

サンフランシスコ地震は、100年ほど前の災害だったにも関わらず、同じような現象が起きた。当時は、中国人を中心としたアジア系移民(もちろん日系人含む)の差別がひどかったのだが、被災直後には人種も立場も金持ちも貧乏も、何も関係なかった。即座に無料の青空キッチンが並び、人々は自ら他者へ奉仕を始めた。そしてこの時も同様に、数週間後に軍隊や警官によって分断が強行される。それによって治安が悪化することで、権力者は自分達の必要性を正当化する。

冒頭で、わたしは誰か?あなたは誰か? と書いたけど、

災害時に利他的に協力的になれる人たちと
恐怖心が発動しパニックを起こし排他的になる人と
どう違うんだろう? っていうね。

権力にしがみつく、エリートパニックが一つの例。

もう一つが、何を信じてベースにおいて、非災害時、
つまり日常を生きているのか?

安心や信頼ベース? それとも不安や恐怖ベース?

それらは災害時に閃光のようにパッと散り
私たち一人一人の体験や行動を決定する。

とてもインパクト強い、考えさせられる本でした。
考えさせられるとは、いかに情報というものがバイアスかかってるかということ。
あとはもう、とてつもなく希望をダイレクトにもらえたことで少々戸惑ったほどに
とてもインパクトがありました。

また、ニューオリーンズについては特殊であり、
そして長年アメリカに住んでいたわたしにとって
そこでの壮絶な地獄のそもそもの原因である人種差別はとてもリアルであると同時に気が遠くなるほど入り込んでいるというのもまたリアルであり、
ここに一緒に入れられないため、いつかどこかで別に記録したいと思う。



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