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私を構成する9組(4)桂米朝

私がこれまでに
強く影響を受けてきた人たちを紹介します。

落語家 1925~2015
兵庫県出身
出会った時期:1994年(小学6年生)
ハマり始めた時期:2002年(20歳)
好きな作品:『帯久』

桂米朝師匠との出会いは、
以前、他の記事に書きました。

この記事にも書いたように
落語家として、
人間国宝にまでなった方です。

米朝師匠は戦前の生まれで、
戦後、上方落語の復興に尽力しました。

一時、上方落語は
途絶えかけた時代があったんです。

そんな時代に米朝師匠は、
古い文献に眠っていた
たくさんの古典落語を発掘し、
復活させました。

関西の落語家でありながらも
上品な話術が全国的に親しまれ、
落語の世界では、
「米朝にはじまり、米朝に終わる」
という言葉すらあります。

つまり、米朝師匠の落語は、
初心者にもわかりやすく、
なおかつ、いろいろな落語を知る
玄人にも好まれる落語だということです。

そんな米朝師匠ですが、
もとから落語家に
なりたかったわけではありません。

若い頃から落語家が大好きだった
米朝師匠が最初に志したのは、
演芸評論家でした。

古い落語の文献を読み、
たくさんの古典落語を復活させた
エピソードからもわかるように、
本を読むのが好きだったのです。

大学時代に上京した
米朝師匠が最初に弟子入りしたのは、
演芸評論家の正岡いるるでした。

しかし、冒頭にも書いたように
戦後、落語をやる人が少なくなり、
上方落語そのものが
消滅してしまうような事態になったため、
米朝師匠は落語家の道を歩んだのです。

米朝師匠の落語では、
「枕」と言われる
落語の本編がはじまる前の
話も非常におもしろいんですよね。

そこでは本編の落語にかかわる
豊富な知識が披露されています。

米朝師匠の交友範囲は
非常に広く、
なんにでも興味を持つ、
とにかく知識欲の強い人でした。

いろんなところで得た知識を
自分のものにして、
披露することができる
博覧強記の人だったんですよね。

そんな米朝師匠ですから、
本もたくさん書き残しています。

私は読んだことがありませんが、
八十八やそはち
という俳号を持ち、
俳句も残しているんですよね。
(この俳号、
私のハンドルネームに似てる)

さらに、米朝師匠の師匠・正岡容と
米朝師匠の息子、
米團治よねだんじ(5代目)は、
ともに12月20日生まれですが、
私も同じ誕生日です。

こういうところからも
縁を感じたりします。

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