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書籍レビュー『月と六ペンス』サマセット・モーム(1919)芸術家の苦悩と幸福

※3000字以上の記事です。
 お時間のある時に、
 お付き合いいただけると嬉しいです。

真面目な夫が急に消えた

本作に登場する
チャールズ・ストリックランドは、
イギリスの証券会社に勤める
寡黙な男でした。

ストリックランドは40歳、
立派な家を構え、
長きにわたり、
連れ添った妻がいました。

ところが彼はある時、
1枚の置き手紙をして、
家を飛び出したのです。

彼の行き先は、
フランスのパリでした。

手紙の内容から、
彼がこの家に戻ってくることは、
もうないことがわかりました。

この出来事より少し前に
ストリックランド夫妻と
知り合ったのが、
作家の卵である「わたし」です。

本作の語り部は、
すべて、この「わたし」が
担っています。

わたしがストリックランド夫人と
出会ったのは、夫人が主催する
パーティーに招かれたのが
きっかけでした。

わたしが、
チャールズ・ストリックランドと
はじめて出会った時の感想は、

ただの「つまらない男」です。

なんせ、ストリックランドには、
愛想がありません。

彼は無駄なことを喋ることが
煩わしいのです。

しかし、機転が利いて、
愛想のいい夫人のおかげで、
家庭はすこぶる円満に見えました。

そんな状況が一変し、
ストリックランドが行方不明に
なったのですから、

夫人をはじめ、周囲の人間たちの
狼狽ぶりと言ったら、
もう大変なものです。

そんな中、巷では、
ストリックランドに関する
妙な噂が聴こえてきました。

「どうやら、ストリックランドは、
 妻を捨てて、
 若い女性と駆け落ちしたらしい」

当然のことながら、
この噂を耳にした夫人は、
気が気ではありません。

しかし、彼の行き先は、
遠い地、フランス・パリです。

確かめたくても、
そう簡単には行けません。

そこで夫人は、わたしに
「パリに行って、夫の様子を
 確かめてきてほしい」
と依頼したのです。

渋々ながら引き受けたわたしは、
ストリックランドの居る
パリへ向かいます。

パリに行った夫の目的

華のパリで、若い愛人とともに、
豪華なホテル暮らしで、
贅沢三昧をしていると思われた
ストリックランドでしたが、

実際にわたしが、
ストリックランドの元を訪れると、

彼が泊っていたのは、
自宅とは180度異なる
ボロの安ホテルだったのです。

噂では、愛人と一緒のはずが、
そんな姿は影もありません。

彼は、完全に一人でした。

わたしが奥さんを捨てて、
パリに来た理由を尋ねると、

ストリックランドは、
悪びれることもなく、
こう答えます。

「絵描きになるためだ」

そうなんです、

なんと、彼はこれまでの
暮らしを全部捨てて、
絵を描くためだけに、
パリまでやってきたのです。

この事実は、わたしはおろか、
夫人にとっても、
まったくの予想外の展開でした。

なにせ、証券会社勤めの
真面目なサラリーマンだったのです。

仕事で商品として、
絵画を扱うことはあっても、

自身で熱心に
絵を描いていることなど、
誰も知りませんでした。

しかし、彼は、こっそり、
夜に絵画教室へ通って、
絵を学んでいたのです。

(妻には、友人たちと
 カードに興じている
 と嘘をついていた)

果たして、彼は絵描きとして
大成できるのでしょうか。

ですが、こう言ってはなんですが、

ストリックランド自身にとっては、
そんなことはどうでもいいのです。

彼は、自分自身や作品を
他人からどう思われるか、
まったく気にしない
人間だったのです。

ただただ、自分の満足できる
絵が描きたくてしかたがなく、

それまでの人生を
すべて投げ打って、
単身でパリにやってきました。

ここからどうなるのか、
それは本書を読んでの
お楽しみです。

芸術家の苦悩と幸福

私が本書を手に取ったきっかけは、
「月と六ペンス」という
シンプルでキャッチーなタイトルに
惹かれてのことでした。

このタイトルの由来は、
諸説あるようですが、

(訳者によって解釈が異なり
「月」は夢を、「六ペンス」は現実、
「月」は夜空に輝く美を、
「六ペンス」は世俗の安っぽさ etc)

物語の中に、
直接的にこのワードが
出てくるわけではありません。

私が思うに、
このタイトル自体に
決定的な意味はなく、

いろんな解釈ができる
想像の余地があるものなんです。

(原題『The Moon and Sixpence』)

なおかつ、邦題に直しても、
非常にひっかかるワードに
なっているので、
理想的なタイトルだと思います。

そして、本作のメインキャスト
とも言うべき、
チャールズ・ストリックランドですが、

彼のモチーフになっているのは、
画家のポール・ゴーギャンです。

ゴーギャンといえば、
この絵が有名ですよね。

ゴーギャン

『我々はどこから来たのか 我々は何者か
 我々はどこへ行くのか』

ゴーギャンは、晩年にタヒチへ移住し、
この作品を描きました。

題名のとおり、
宗教的なテーマを元に
神秘的な世界を描き出しています。

もちろん、本作でも、
最後にストリックランドが
タヒチへ移住します。

ですが、ストリックランド
=ゴーギャンというわけでもないので、
その辺はくれぐれもご注意ください。

例えば、作中の設定では、
ストリックランドは、
イギリス人ですが、

ゴーギャンは、
もともとフランス人です。

その他にも、人物像も
異なるところが多く、

あくまでも、ゴーギャンの生涯を
モチーフにしたフィクションです。

おそらく、作者が
モチーフにしたのは、
「晩年にタヒチに移住した」
という部分でしょう。

実際に作者は本作を手掛けるにあたって、
ゴーギャンが晩年を過ごした
現地を訪れたそうです。

ただ、人物としての
ゴーギャンとストリックランドは、
まったくの別人だと思ってください。

そして、私が本作を読もうと
思った一番のきっかけが、

作中で、ストリックランドが、
単身でパリに飛び立ったのが、
今の私の年齢に近い、
40歳であったことです。

人生100年時代とも言われる
昨今では、40歳と言っても、
まだまだ若いと言われる
年齢かもしれません。

しかしながら、
当時のイギリスやフランスの
平均寿命を見てみると、
40代後半~50歳
といったところですから、

この時代に、40歳で
新しいことをはじめるのが、
いかにすごいことだったのかが、
よくわかるでしょう。

ちなみに、ゴーギャンが
絵描きを本業にすることを
考えはじめたのが、
36歳くらいだったようです。

(パリの株式市場が
 暴落したためでもあった)

この辺の設定も、
ストリックランドとは違いますね。

それにしても、
このストリックランドという男は、
相当に憎たらしい奴なんです(笑)

そして、なぜか異性からモテモテで、
読んでいて心から「イヤな奴だなぁ」
と思いました。
(やっかみか!)

でも、真に自分の気持ちに
正直に生きる人がいたとすれば、
こんな感じなのかなぁ
とも思います。

ストリックランドは、
人として憎たらしい、
意地悪な男ですが、

不思議なことに、

いえ、逆に、
と言った方が適当でしょうか、

とにかく、最後まで、
目が離せない人間なんです。

彼の堂々とした生きざまには、

多くの人にとって、
「こんな生き方もあるのか」
と考えさせられるところが
あるのではないでしょうか。


【書籍情報】
発行年:1919年
    (日本語版1940年/
     文庫版(金原瑞人訳)2014年)
著者:サマセット・モーム
訳者:金原瑞人
出版社:新潮社

【著者について】
1874~1965。
フランス、パリ生まれ。イギリス国籍。
1897年、『ランベスのライザ』でデビュー。
劇作家としても活動した。

【同じ著者の作品】

【ゴーギャンをモチーフにした作品】

※本文中の画像は
 Wikipedia からお借りしました。

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