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1999年の京都・大阪・東京

まと。さんの参加型企画
4マスのひらめき」への投稿記事です。

今回は9つのワードの中から
「時間」「場所」をチョイスしました。
(「時間」から「1999年」
 「場所」から「京都」「大阪」「東京」を連想)

1999年、私は高校2年生でした。

修学旅行に行った時の日記が残っていたので、
その一部を公開します。

長いです。3000字超えです。

しかも、昔の自分が書いた
拙い文章です。

お時間のある時に読んでいただければ
幸いに存じます。

もう20年以上前のことなので、
何を書いたか全然覚えていませんでしたが、
我ながら、ひどい内容で(^^;

同級生の悪口とか書きまくりです。

*  *  *

11月8日(1日目)

寝台列車での移動。
大したことは書いていないので割愛。

この時、寝台列車の中で、
ひたすら本を読んでいたのは
今でも鮮明に覚えています。

▲この時に読んでいた本

11月9日(2日目)京都

『歴史的建造物見学』

2日目は、6:00起床。

寝台列車からおりて、
すぐにバスに乗りました。

まったくつかれる話だ。

その後、南大門、清水寺、金閣寺、
平安神宮の順に回った。

まあ、印象に残っているものったら、
南大門のある奈良公園で見た
鹿ぐらいかな。

他には特に…別に…ってかんじ、

あっ、そうだ、確か南大門の所で
Aちゃんに会ったんだ。

ビックリしたね。

それぐらい。

それから千代鈴という
りょかんに着きました。

とくにおもしろかったことなんてないね。

「Aちゃん」というのは、
中学校の時の同級生、
高校は別で、ここで再会したらしいですね。

日記では、この日の一番、
印象に残った出来事として、
書かれていますが、
今の私には記憶がまったくありません(^^;

というか、京都の歴史的建造物を
目の当たりにして、
この程度の感想だったのか、
と愕然としてしまいます。

私の記憶では、
結構、感動した覚えがあったのですが、
この記憶は捏造されたものかもしれません(笑)

たぶん、今の自分が見た方が
感動的なものでしょうね。

少なくとも10代の頃の私には、
あまり関心のないものだったようです。

11月10日(3日目)大阪

『恐怖の大阪自主研修』

3日目は、自主研修で大阪にいった、

自主研修って
つまり班行動なんだけど、
つかれるつかれる、

なんせ、あんまし班の人と
仲良くないし、

どっちかといったら
クラスのあまり者たちだから、
(もちろん俺も含めて)

 ―※かなりディープな悪口があるので自粛(笑)―

まず困ったのは奴らは
自主制というものがまったくない、
 ―※誤字「自主制」→「自主性」―

どうせいくところないんだからって、
俺は、11月10日ちょうどこの日発売の
中谷美紀の『私生活』っていう
アルバム CD がでてるから、
それを探し始めた、

そしたら全然 CD ショップじたいが
なかなかなくて…
そしたら T とかが
「つかれてきた」とか
「今度にすれば」だって、

アホか、
どーせ、行くトコもねえーんだろうが、
どーせ1人で帰れもしねぇーんだから
黙ってついてこいっつうの!

本当にまいるね、

行くトコあるんなら
もちろん別だけど、
どこからどうやって
りょかんに帰るかもわかんねー奴に
言われたかないね、

まあ、CD みつかったから
俺のきげんも直ったけど、

よっぽど、どうとんぼりに
おきざりにしてやろうかと思った
瞬間もあったね。

それに、まあ、どうとんぼりの
言わずとしれた、
グリコのかんばんのところの
心斎橋とか
くいだおれ人形とかみれて、
うれしかったけどね。

俺って、あんがいかんたんなもので、
きげんがなおるんだな、
考えてみたら…。

中谷美紀の『私生活』は
いいかんじです。

今度またひまな時に
この CD についてかこうと
思いますんで、

まあ、3日目はこんぐらいにして
次に行きましょう。

この時代の私の文章では
「つかれる」を連発しています。

何がそんなに「つかれる」ことが
あったのでしょうか。

10代の自分を張り倒してやりたい気になります(笑)

「どうどんぼりにおきざりしてやろうかと」
という表現が秀逸ですね。

「どうとんぼり」
漢字で書きましょうね(^^;

こんなことを書いたのは全然覚えてません。

本当にこの私が書いたのでしょうか(笑)

ただ、読むと思い出せるくらいの
エピソードではあります。

この日、学生時代の私が大好きだった
中谷美紀のニューアルバムの発売日で、
知らない大阪の街で、
CD ショップを探し回ったんですね。

▲修学旅行の思い出がつまったアルバム

日記の文面からもわかるでしょうが、
この時代の私は暴君でした。

高校2~3年の頃、
クラスメイトとは仲が良くなくて、
この日の班行動は渋々、
班の仲間と一緒に歩いていたんですね。

たぶん、私がリーダーで、
行き先とか道順を決めていたのでしょう。

班のメンバーは
「自主性に欠けている」
とあるので、
相当ストレスだったと思います。

なんせ、私は、
極度の方向音痴で、
電車の路線とかを覚えるのが
今でも苦手なんです。

よくリードできたなぁと思います。

よりによって、10代の頃の私は、
わがまま、自己中というのを
公言していたんですね。

本来なら、誰かに
案内してほしかったことでしょう。

それにしても、今の自分からは
考えられないほどの暴君ぶりに
羨ましさすら感じます(笑)

その後、いろいろあって、
今の自分の人格が形成されたのですが。

本性は、こういう奴なのかもしれません(^^;

11月11日(4日目)東京

『夢の東京ディズニーランド』

4日目は6:00に起床して、
昼頃に東京ディズニーランドに
着くまで移動、

最初は俺も、
なんで昼から8:30ぐらいまで
ディズニーランドにいること
あんだろう、
つかれるだけじゃん、
と思っていたけど、

以外にここは楽しかった、
 ―※誤字「以外」→「意外」―

もう本当に修学旅行の中で
俺は一番楽しかった、

ディズニーランドは
まず、雰囲気がすごくいい、
それに、久しぶりに仲のいいやつらと
歩けたしね、

良かった。

ま、俺の班の中では、
F 君と T はついてきた、

別にかまわないんだけどね、
わがままさえ言わなければ
人数多い方が
俺は楽しいし、

いつまでも俺も
根に持つ男ではないはずだからね、

まあ、そんなことより
どんなきさくな奴らと歩いたか、
書いとこう、

 ―※ここから、一緒に歩いたメンバーの紹介(割愛)―

楽しかったねー、

絶対彼女できたら行きたいね、

まあ友達とかと行った方が
きっと楽しいと思うけどね。

やっぱりね、アイツらと歩いてると、
なんにも考えないで、
ボケることだけ
考えて歩けばいいから、楽だね、

班行動とは正反対。

まあ、色々書きたいことはあるけど、
時間がないんで、
最後にディズニーランドを出た時、
花火を見て悲しくなったのは
何故だろうか?

久しぶりに班行動から解放され、
本来の仲間たちと行動できたのが
かなり嬉しかったようです。

ディズニーランドでは、
乗り物に乗った記憶がなく、
ゲームコーナーにあった
ゲームを遊んでいた記憶があります。

なぜか、古いゲームが置いてあったんです。

▲大好きな『キャプテンコマンドー』があった

今はないでしょうね。

「最後にディズニーランドを出た時、
 花火を見て悲しくなったのは
 何故だろうか?」

この記憶もほとんどありません。

感傷に浸っていますね(笑)

11月12日(5日目)東京

また班行動で腹の立つことが
あったようです(笑)

「また腹立っちゃうから、
 いっそのこと渋谷でのことは書かん」
とあります。

何があったんだろう(笑)

最後に「まとめ」がありました。

まあ、けっきょく、
修学旅行は班行動をのぞけば、
楽しかったといえるんじゃないかな、

とにかく東京とかみてくると
札幌は田舎だなと思う。

何年後に向こうに住もうと
思っているから、
俺はもうちょっと東京を見て来たかったね。

’99.11.15 いっき

この時代は、まだ東京に住むつもりでいますね。

たぶん、私がお笑い芸人になる夢を
いったん諦めたのは、
高校3年生になってからのことだったと思います。

修学旅行から帰ってきたのが
11月12日ですが、
その後、数日間、いろいろと
忙しかったようです。

この日記を書いた日付が、
「11月15日」となっています。

我ながら、結構、日数が経っているのに、
細かいことをよく覚えています(笑)

そして、形はどうあれ、
一日ずつ、記録を残しているところは、
今の自分に通じるものを感じますね。

*  *  *

最後に、「4マスのひらめき」を
提案してくださった、
主催者のまと。さんへ。

まと。さんの企画のおかげで、
普段なら考えもしないような
記事がたくさん書けました。

こんな企画でもなければ、
古い日記を取り出して
読むこともなかったでしょう。

本当にステキな企画をありがとうございました。

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