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書籍レビュー『アルジャーノンに花束を』ダニエル・キイス(1966)時の流れによって変化する自分

※2500字以上の記事です。
 お時間のある時に
 お付き合いいただけると嬉しいです。


幼児並みの知能だった
チャーリイが生まれ変わる

以前から気になっていて、
ずっと読みたいと思っていました。

映像化もされていますが、
そちらの方は
一度も観たことがありません。

そんな状態で
手に取った作品でしたが、

ストーリーもさることながら、
その表現手法にも
感心させられる作品でした。

主人公のチャーリイ・ゴードンは、
32歳、パン屋で働いています。

彼は知的障がい者で、
幼児並みの知能しかありません。

幼い頃に家族と離れ、
今は身寄りの人もおらず、
伯父の紹介で得た
今の職場だけが彼の生きる場所です。

(伯父はすでに他界)

チャーリイは、パン屋で働きながら、
知的障がい専門の学習クラスにも
通っていました。

ある時、そのクラスの担任である
大学教授・アリス先生から
最先端の脳手術を受けることを
勧められます。

チャーリイは常日頃、
賢くなりたいと願っていましたから、
これは幸いと言わんばかりに
手術を受けることを決意します。

この手術は、
すでに動物実験がされていましたが、
人間が受けるのははじめてでした。

手術を受けたネズミは、
大学の実験室にいます。

本書のタイトルにもなっている
「アルジャーノン」です。

アルジャーノンは、
手術を受けて以来、
IQ をめきめきと伸ばしており、

知能を測るための
迷路のテストでも、
いつもチャーリイを
打ち負かしていました。

手術を受けたチャーリイは、
このネズミを自分の行く末と
照らし合わせていくように
なっていきます。

主人公の変化を文体で表す

チャーリイの手術は見事に成功し、
もとの IQ68から IQ185にまで
たった数か月で成長します。

(一般的な IQ は100程度、
 110以上で高い IQ、
 130以上はきわめて稀)

この知能の変化を本作では
主人公が綴る「文」をもって
あらわしています。

というのも本作は、
チャーリイ自身が大学への
「経過報告」として書いた
日記のような体裁になっているんです。

序盤では、文章がすべて
ひらがなで綴られており、
読点(、)もありません。

誤字脱字も多いですが、
読者は前後の文脈から
意味を察するでしょう。

それが手術を受けて以降、
徐々に文章がまともに
なっていきます。

急に変わるのではなく、
徐々に読みやすい文章に
変化していくのです。

このグラデーションの付け方が
絶妙な塩梅で、

本当にチャーリイという人が
書いた文章のように
感じさせられるんですよね。

これは日本語訳のうまさも
あるのだろうという気がしました。

(英語版ではどのように
 表現されているのか気になった)

なんといっても、
本作の最大の魅力は、
この表現のおもしろさです。

主人公自身の語りを読むことによって、
読者はチャーリイ自身の経験を
追体験できます。

チャーリイは変化が
速かっただけで、
誰もが人生で同じ体験をする

私は常々、
フィクションのおもしろいところは、
現実では味わえない感情を
味わえることだと思っています。

特に、SF の作品では、
これが端的にあらわれますね。

人々がまだ見ぬ世界を
綿密な科学考証をともなって
表現されるのですから、

これほどリアルに感じることは
ないでしょう。

本作は宇宙や未来を舞台にした
ハイテクな作品ではありませんが、
これもれっきとした SF 作品です。

(本作のもとになっている短編版
 『アルジャーノンに花束を』も
 最初に掲載されたのは
 SF 専門誌だった)

そういった部分で、
特に、私の心に深く残っているのは、
チャーリイが知能を獲得する中で、

自分は周りのみんなに
好かれていたのではなく、
バカにされ、笑いものに
されていたのだと気づくシーンです。

人によってはこんなことは
身に覚えがあるかもしれません。

私自身も友人でも同僚でも、
あるいは家族でも、

好かれていたと思っていたけれど、
実際には「自分よりも下」
ということで、

都合のいい仲にされていたのだと、
気が付く時がありました。

しかし、そんなことに気が付くのは、
何年も経ってから、
あるいは何十年も経ってからのことで、

そう気づいたところで、
相手は自分の周りには
もういなかったり、

自分自身でも「遠い過去」として、
何か、他人事のようにすら
感じてしまうんですね。

それは長い時間をかけて、
ものの新しい見方を
身に着けたからそう思えるのであって、

チャーリイのように、
たった数か月で、そのような変化を
遂げてしまうと、
非常に悩ましい状況になります。

昨日まで親しくしてくれていた人たちが、
急に遠くに感じてしまうのです。

ましてや、
自分を笑いものにしていたなんて、

チャーリイの気持ちを考えると
いたたまれない
気持ちになってしまいます。

これは現実の世界では
ほぼありえない、
SF ならではの感情ですね。

チャーリイは知能を獲得し、
それまでの人生にはなかった
さまざまなものを得ていきます。

しかし、それは実験台のネズミである
アルジャーノンが示すように、
永遠のものではありませんでした。

つまり、読者は本作で、
何もなかったチャーリイが

たくさんのものを得て、
それを失っていく過程を
見守ることになります。

「かわいそうなチャーリイ」
と思ってしまうかもしれません。

一方で、聡明な読者は
自分自身もチャーリイと同じであると
気が付くでしょう。

なぜならば、私たちも
刻一刻と「老い」という
時間とともにあるからです。

どんな読者であろうとも、
人間ならば、
時とともに変化していきます。

得るものもあれば、
失うものもあり、
最後にはすべて失います。

これは悲しいことでもなんでもなく、
誰もが平等にそうで、
自然の摂理なのです。

本作の主人公の場合は、
それが他人よりも急速だからこそ、
このようなドラマチックな
物語になっているんですよね。

どんな読者でも本作を読めば、
チャーリイに感情移入せざるを
得ないでしょう。

本作では、「知的障がい」
というチャーリイ特有の問題以外に

家族や恋人、
あるいは他人との人間関係、
時とともに変化する自分が
描かれています。

この物語にはすべての人が体験し、
悩みとなるものが
詰まっているんですよね。

フィクションを作り話と思って、
あなどるなかれです。

本作には現実以上のリアルさが
内包されていると思います。


【書籍情報】
発行年:1966年
    (日本語版1978年
    文庫版1999年)
著者:ダニエル・キイス
訳者:小尾芙佐
出版社:早川書房

【著者について】
1927~2014。
アメリカの作家。
1959年、
『アルジャーノンに花束を』
(中篇)で作家デビュー。

【同じ著者の作品】

『五番目のサリー』(1980)
『24人のビリー・ミリガン』
(1981)
『ビリー・ミリガンと23の棺』
(1994)

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