見出し画像

坂本龍一が「売れるポップス」に苦悩した時代(5・終)マニアと大衆の間で

音楽に限らず、
あらゆるものを商業として見た場合に、
(要するに金になるのかならないのか)

必ずしも「質のいいもの」だけが
ヒットするわけではありません。

問題なのは、その「質」が
「誰にとってのものなのか」が重要で、

マーケティング的に言えば、
「誰」をターゲットにするのか、
ということになるのでしょう。

’90年代の坂本龍一の
ポップス路線作品の多くが
商業的に成功できなかったのは、

一重にマーケティングの見誤りが
あったからだと思います。

坂本は「プロデューサー」として、
それなりに大衆の感覚に
寄り添ったはずです。

だからこそ、その頃の作品は、
坂本作品にしては珍しく
「歌もの」の楽曲が
多く収録されています。

しかし、坂本に大衆の感覚を
完全に理解することは
難しかったはずです。

東京藝大出身のエリートで、
既に海外を拠点に活動していた彼が

「日本の大衆の耳」の感覚に近づくには、
その知識量が逆に邪魔をしたことは
容易に想像できます。

(その点では、同じく藝大出身のメンバーが
 中核をなしている King Gnu のヒットは凄い)

あるいは、仮に坂本本人ではなく、
別の人がプロデュースしていたら、

『ウラBTTB』以前でも坂本名義の
大ヒット作が生まれていたかもしれません。

しかし、それをするには、
当時の坂本はあまりにも我が強かったのです。

彼を上手く指揮することは
誰にも難しかったことでしょう。
(その「我が強い」部分も重要な坂本の魅力)

マニア受けする作品と
大衆受けする作品は、
大概は相反するような気がします。
(稀に両方の支持を得るような作品もある)

それは一般的な人が求めるものと、
マニアが求めるものの
「質」が異なるからです。

(どちらが上とか下という話ではなく)

なぜ、今、このことを
私が取り上げたかというと、
たまたま読んでいた書籍
『コンテンツの秘密』にあった

ビーイングのプロデューサーの話を読んで、
坂本龍一のこのエピソードを
思い出したからです。

(個人的には結構好きなエピソードで、
 いつ出そうかと温めていた)

そして、私も最近、
この頃の坂本と同じような気持ちで
いろいろ悩んでしまいます。

(自分がものを作る上で、自分の好むものと
 一般受けするものが乖離しているため)

もちろん、私は坂本のような
天才ではないですが、
標準的な人の感覚が
わからないことがよくあるからです。

これは子どもの頃から変わらない
自分の個性なので、
半分は諦めてはいるのですが、

社会的な活動をするうえでは、
これが大きな足かせに
なることがあります。

人と違うことが
なかなか受け入れてもらえないし、

そもそも私も一般的な人が
どんなものをどんな風に好んでいるのか、

なぜそれをいいと思うのか、
質問してみてもさっぱり共感できません。

歳をとるほどに、どんどんと世間から
遠ざかっている感覚すらあります。

でも、私には標準的な感覚を
完全に理解したいとも思っていません。

(やろうと思ってもできないのですが)

そうすることによって、
自分の個性が失われてしまう気がするからです。

そんな自分でも生きている内に、
多くの人と分かち合える何かがあるのかなぁと、

『ウラBTTB』がヒットしたエピソードは、
そんな希望を与えてくれる話でもあります。

サポートしていただけるなら、いただいた資金は記事を書くために使わせていただきます。