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ものをつくり、表現する人々のお陰で生きている

すっかりなくなってしまった気力を取り戻したきっかけをくれたのはいつも「人」だった。まったくこの世は。嫌になるのも人だし、助けてくれるのも人なのだ。

気力を失くしていた時、私に向けられた言葉は大抵役に立たなかったが、色々な作品や、それらをつくることに一生懸命な人を見ているうちに、少しずつ頭と気持ちが落ち着いてくる感覚があった。


作品は、色々なものがあった。

音楽、絵画、映画に小説。伝統工芸品や料理の時もあった。

特にライブハウスで聞く音楽や、小さな劇場で観た演劇は、目から耳からの刺激が心地よい上に、ステージ上の演者やスタッフの息づかいまで分かる程に近い。私は、自分に今起きている問題や様々な気持ちを一時忘れ、その日のそれぞれの仕事ぶりをただただ眺めた。

生きている人間を間近で見るということは、無意識に生きる上での栄養になるのだろうか。



ここのところ。それが生きることに必要不可欠かどうかを、常にジャッジして暮らさなければいけない生活が続いている。

娯楽といわれるものに携わる人々。

贅沢というものに分類されるさまざまなものたち。

でも私は、それらのものをつくる人々のお陰で今生きている。「生活に必要不可欠ではない」とされるものたちのお陰で生きてくることが出来た。

身体の元気と心の元気は、どちらが欠けても生きているとは言えないのだ。私はそれが、どちらの元気も無くしかけてやっと分かった。

医療や介護の現場が身体にとって必要なものであるように、人はたとえささやかでも、心に娯楽や (自分の思う) 贅沢が必要なんだと思う。

だから私たちも、それらのものに携わる人々の元気をあえて奪うような事をしてはならないと思う。たとえ自分には必要のないものだったとしても、誰かにとっては生きる支えだ。命綱だ。そして、それらに関係している人々は皆、誰かにとって大切な人だ。



それらに携わる沢山の方々が、また、思い切り自分を表現出来る日が訪れます様に。

様々な悪意や、要らぬ多方面の攻撃からきちんと守られる時代がやって来る様に。

人々に生きる希望を与える側の人々が、生きて表現出来る機会を失うことのない、そんな国になりますように。

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