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喧嘩両成敗だからって、離婚両成敗って言う人がいる。
痴漢に遭うことが多いと、被害者の服装が悪いと言う人がいる。

ちょっと精神的にしんどい人と関わることが多いと、「あなたの周りは変な人が多いのね」と言う人がいた、実の母と姉である(汗)。大意はなかったのかもしれないが、これはもはや批判であり否定。かなり傷ついた。

結論、母や父がパーソナリティ障害だから、私はそのヒントを得るために、心に闇を抱えた人と関わる機会を多く与えられていた、というのが私の解釈なのだけれど。

さて、この調子でなんでもかんでも「どちらも悪い」って言う人がいる。まるで同じだけ悪いかのように。でも、実際に、被害者としてはどう思うのか。

私は「いじめられる方も悪い」とは思わない。

ただ、意図していなくても、被害者が加害者に対して、いじめるための「きっかけ」を与えてしまっているケースは少なくない。たとえば……

無意識に相手の神経を逆撫でしていたり
無意識に相手の不安を掻き立てていたり
無意識に相手の嫉妬を誘っていたり。

被害者は「悪い」わけではないけれど
被害者側の「在り方」については改善の余地はある。

というのが私の持論。

いじめられる側に共通点がないだろうか。これまでの経験上、考えられることを5つ挙げてみようと思う。これ、痴漢される女子にも参考になるかも(私は痴漢被害もひどかった)。

①反撃しなさそう

犯罪者は「カモ」を見つける嗅覚を持っているといわれる。同じように加害者になるような人は「自分の暴力的なエネルギーを受け止めてくれそうな人」を探しているものだ。

だから、「反撃されなさそう」な人を選ぶもの、と推察する。実際、私も集団無視が始まった小学校の高学年から中学生のころ、

・空気を読む子
・控えめな子
・自分の意見を話そうとしない子


になっていたのです。快活だった自分が顔を顰めていました。

つまり、加害者側は「反撃せずに泣き寝入りしそうな相手」を選んでいるのではないでしょうか。なにも柔道部や空手部の有段者というほどの強さがなかったとしても、「めげずに策を考えそうな子」「ずる賢そうな子」をターゲットにはしないと思うのです。つまり、私たち被害者は「すぐにあきらめそう」「根性なさそう」と思われてしまっている可能性があるのかもしれません(汗)。

②勇気もなさそう

加害者たちにとって不利な情報、具体的ないじめ行為を、告発しそうにない相手を選んでいるのでしょう。つまり、チクる勇気がなさそうに見えたら、カモにされてしまうのではないでしょうか。当時の私、表情が非常に暗いです。

③弱そう

肉体的な弱さというよりも、上記に共通する「精神的な弱さ」です。いまだに私は家族の前では「すぐにいじける」ことがあります。しっかりした姉のそばで、甘えていたところもあったと思います。「精神的な弱さ」は、実は、「甘え」にもつながりますし、どこかで「だれかが助けてくれないかな」という次の「受け身」にも繋がるかもしれません。少なくとも私は、そうでした。助けを待っていたように思います。実際は、中学のとき担任までいっしょになって、攻撃されたりしたのですが……。

④受け身である

自分で行動するからこそ、いじめられることもあるので一概には言えませんが、譲り合いの精神を持つ、一歩引くところがある……つまり優しくて隙がある人だとも言えると思います。思いやりがあって、相手本位の行動をとることもできる。ただ、裏を返せば「他人軸」。自分の大切な決断を人に委ねてしまうような傾向がある人が多いかもしれません。

ここまで読んでいただいたらわかると思いますが、いじめられっ子さんは、「やさしい」「他人思い」だけど、「防衛力」が弱い。

自分で、自分を守る。それを覚える必要があります。家庭環境によっては、たとえば「よく叱る厳しい親」もしくは「暴力的で支配的な親」に育てられると、それが苦手な人もいると思います。または逆に、「愛されて育って家の中に全然危険がなかったから、身を守る術がわからない」という人もいるかもしれません。

でも、身につけていくしかありません。
あなたという人間を一番大切にできるのは、あなた自身です。

⑤すぐに謝る

え?と思うかもしれませんね。円滑な人間関係を築くためのコミュニケーションにおいて「謝罪」は非常に重要です。ただし、過度の謝罪は相手の神経を逆撫ですることになりかねません。

なぜなら「謝罪する」ことは自ら「被害者側に身を置く」という行為だからです。言われたほうは「加害者扱いされた」と感じるのです。

実は、家庭内DVでも、この現象が起きやすいと言われています。

妻や子など、被害者側が「お願い、暴力を振るわないで!」という防御メッセージの代わりに、「ごめんなさい!」と先に謝ることで身を守ろうとしては、さらに相手に不快な思いをさせてしまうということが起こり得るためです。

私自身、それを味わった経験が何度かあります。一度目は、高校生の時の友人。なんでもすぐに謝るので不快感を覚えていましたが、その理由に当時は気づけませんでした。

そして、昨年、発達障害当事者の年上の女性と連絡を取り合っているとき、また同じ体験をしました。彼女は、小さいとき母親に怒られることが多く男子グループにいじめ被害に遭っていました。そのためか、なにかにつけて「ごめんな?」「怒ってる?」「すみません」というのです。

私は、彼女のことが大好き。だからこそ、謝られるたびにどんどん悲しい気持ちになっていきました。

彼女が謝ることすべてにおいて、私は一切怒っていないし、一切謝ってもらうようなことはしていないからです。

謝られるので、会話が先に進まない。
いま、こちらは怒っていないこと、困っていないことを、その度に、何度も何度も伝えないといけない。

まったく怒ってもいなければ、彼女が謝罪しなければいけないようなことを、なにも要求してもいないのに、たびたび彼女の口から出てくる言葉は「ごめんな」「怒ってる?」。

なにも感情を乱されていない私の頭の中は「?????」だらけです。

そのセリフを何度も何度も言われることで、なにがこんなに辛いんだろうか。なぜこんなやりきれない気持ちになるんだろうか。私はまた自問自答しました。そしてわかりました。

「あぁ、『加害者扱い』をされるのが悲しいのだ」
「二人の関係性を、まだ信頼してくれていないのが悲しいのだ」

と気づきました。謝ることによって「危害を加えた側」にされちゃう。私はつきあいの年数は浅くても、信じる相手を深くしっかり信じます。彼女のこともつきあいは2〜3年ですが、信頼しきっていました。それが何度も謝られることで、「まだ、安心してもらえてないのだ」「まだ、信頼されていないのだ」と思い知らされることになるのです。

彼女は私への「配慮」のつもり謝る。
でも私には「不信」という響きとして伝わる。
どちらも相手のことが好きなのに、悲しいですよね。

私は、仕事や親族以外、プライベートなコミュニケーションのなかで「怒る」ということはめったにありません。

仕事仲間は、同じ目的を持っています。親族は、仲よくしなければならないと思っています。どちらもベクトルが決まっている。仕事の場合、期日もある。そのために歩調を合わせなければいけない。

でも、それ以外の人間関係は、特に、お互いのペースで、ゆっくりじっくり関係を築けたらいい。と思っているので、私は相手に「○○すべき」となにかを求めることはありません。

特に相手に求めるものがないのです。
相手に求めるものがないので、怒りも湧かないのですね。

文章を書くプロなので、「端的にまとめる」という癖があるので、どうやらSNSへの投稿も「怒って批判して文章を書いている」と誤解されやすいのは知っています。でも、批判じゃなくて、私にとってはただの「分析」です。

自己解釈のために、書いている。
だれかに「楽に生きられるヒント」を伝えたくて、書いている。

というつもりですが、端的な表現だと「怒ってる」「批判している」と受け取る人が意外に多いようですね。でも、この年齢になってくると「また誤解かぁ」と、気持ちもすぐ静まります(汗)。それに、仕事では120%神経を使って書いているので、それ以外のところでは、そこまで神経を使うのが大変なので、特に訂正もせずにいます(汗)。

わかる人にわかればいいや、と。

でもね、「ごめんね」って言えば言うほど、相手は悲しくなるんだよ。

それは「被害者意識が強い人」ほど、このことを覚えておいたほうがいいと思う。なによりも、過度の謝罪は「自分を下げる行為」なので、自分自身をいじめる行為でもあると思う。

人に下げられてきたからって、自分を下げちゃダメ。
人に下げられてきたからこそ、自分を大切に、自分にやさしい言葉を。

上記に挙げた「いじめられっ子の特徴」は、決して「あなたが悪い」って話ではないの。

同じように苦しんできた人、孤独を噛み締めてきた人の役に立てるなら、その方たちに私のこの愛情ごと届きますように……と、端的に書くことだけじゃなく、愛情を込めて書けるようにと最近は願っています(*´∀`*)。

届いてるかな?

今回のテーマは「いじめられる人が悪いのか」。

結論としては、「いじめられる人が悪いとは思えない」でした。ただ、なんらかの「怒らせてしまうポイント」みたいなのはあるかもしれない。

そして、「被害者意識から抜けるためにすべきこと」にも書いたけど、「繰り返さないためにやるべきこと」はあると思う。この記事以外にも、方法がある。それが、ここに挙げた5つの共通点をやめることでもあるんだけど、そのために、どうすればいいのか。

・腹から声を出す!
・呼吸法を身につけ心身を整える
・笑顔の練習

などありますが、またそのあたりのことを別の記事で書いてみようと思います。結局、筆が進んで書いちゃったな。今度は動画にしようかな。

あ、でも、ひとつだけ大切なこと書いておこう。

「弱そう」って書きました。「弱い」とは書いていません。なぜなら私は、「いじめられる人」を「弱い」とは思っていないからです。

いいですか?

弱さと強さは、「どちらか一つだけ」持っているものという固定観念はNGです。私の考えは

「弱い人は、強い」

です。弱い人というのは、同じだけの強さを持っているのです。振り幅が大きいだけ。ものすごく弱い人っていうのは、ものすごく強いのです。強いし優しい。愛に溢れているはずです。

ここ、絶対に間違えちゃダメです。詳しくは、また書きます。

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