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生態学ってなんだろう?...学問のホコタテ

ここしばらく環境問題について考えてきたので、少し休憩して、今回は学術的な話題について考えてみたいと思います。

学問が人生や社会に何の役に立つのか?

この問いはとても大事なので、僕も自分の考えをnoteで書いてみたいと思うのですが、少し歯痒い気持ちもあります。なぜなら、この問いの背景には、学問(ここでは科学について考えます)がどこか面白くないという気持ちが入っているのではないかと思うからです。

最強のチームや人物がぶつかり合ったら、どちらが強いのか?なんでも穴を開けるドリルと決して穴の開かない金属がぶつかり合ったら?

ワクワクするスポーツや漫画、おもろい漫才を目の前にした時、私たちは「これ何の役にたつの?」なんて考えないですよね。サンドイッチマンの漫才は何の役に立つでしょうか?そんなこと考えているとしたら、その人は楽しめてない人です。同じように、学問がワクワクするものだとしたら...時代を超えて最強の科学者達が自分の考えをぶつけあって戦う、ボクシングのような面白いものだと説明できたとしたら...なんの役に立つのか?という疑問は置き去りにできるかもしれない。この大きな目標が達成できるかどうかわかりませんが、大好きな生態学を面白いと思ってもらいたいので、挑戦したいと思います!

生態学のホコタテ1:いろんな森を一つの理論でまとめて説明できるか?

生態学と言わず、現代科学の研究者は、いろんなものを一つの理屈で説明してみたい!という強い欲求を持っています。極端な言い方で言えば、科学分野で最強!といえば、それは世界中の全てのものを一度に説明できる理論を作った人でしょう。例えば、世界にはたくさんの種類の生きものがいます。ぼんやりと見ていれば、それぞれいろんな種がいて面白いなあ、と思うだけです。しかし、19世紀のある時ダーウィンとウォレスという人が進化論と自然選択という理屈を提案し、たくさんの生物はそれぞれ独立したものではなくて、歴史をたどっていくと全て一つの共通祖先を持っている、という驚くべき主張をしました。これは数百万以上いる生物種を(石の中にいる恐竜のようなものも深海の微生物も)まとめて一挙に説明するという、とんでもない説で、科学界のみならず社会を震撼させました。ニュートン、アインシュタイン、だれでも知っている科学者の多くは、「統一的説明」を成し遂げた人たちです。

一つ一つのものをただそれとして納得するのではなくて、その間にどんな繋がりがあるのかを見たい、という欲求にかられた研究者は生態学でも見られます。私たちの身の回りにある自然には、実にいろんな状態があります。草原であったり、松林であったり、寺社の裏によくあるシイやカシの森であったり、20世紀に入って、生態学者クレメンツ博士は、

これらの全く違う状態の自然(植生)にはどんな関係があるのだろう?

という考えを持ちました。高校生物の授業で勉強する「植生遷移」と呼ばれる理論はこうして作られます。あんまり綺麗な絵ではないのですが、下に詳細を説明したリンクを貼っておきます!

今この瞬間、全く違うように見える植生は、実は時間とともに移り変わっていく植生の発達段階を別々に見ているのではないか。クレメンツ博士は考えました。草原は、時間がたてば、木が生えて森になっていく。最初に入ってくるのは、日本であれば松のような陽樹と呼ばれる種です。これらの陽樹は、生きていくためにたくさんの光が必要です。なので一度松が森を作ってしまうと、自分の下に届く光が少なくなり、松の子供は大人になれない。しかし、そんな将来がやばい企業のような松林の暗い環境にも、救世主がいます。シイやカシのような(どんぐりをつける木)陰樹と呼ばれる種は、暗くても生きていける。そうして松林はやがてシイやカシに場所をあけわたし、神社の裏によく見る青く茂った深い森に変わっていく。100年から1000年の時間をかけ到達した、シイやカシの森は「極相」と呼ばれ安定して変化しない。

今後、身の回りの草原や森を見る時は想像してみてください。そこは、まるで見えない意志でもあるように、極相と呼ばれる森に向かって変化していく途上にあるのです!この話を聞いた時、高校生であった僕は遥かな気持ちになりました。大きな時間スケールがロマンを与えてくれるのです。おそらく科学者の多くが、いろんなものの統一的な説明に魅力を感じるのも、見えないつながりと大きなスケールに感じるロマンにあるのではないでしょうか。

生態学のホコタテ2:森は数百年で安定するのか?やがて訪れる崩壊

多くの生態学者と、一部の高校生を魅了してきた「植生遷移(succession)」という理論に大きな転機が訪れたのは、1970ー80年代に入ってのことでした。舞台は日本から離れてハワイ諸島です。

ハワイ諸島は東西にいくつかの島があります。実は、これらの島は、西にいくほど古い島となっています。これは島を乗せた太平洋プレートが少しづつ西に移動しているためです。新しい東の島は、海底火山の噴火でできてからそれほど経っておらず、一番西の島は、海上に頭を出してから数百万年の月日が経っています。

この島の年代の違いを使えば、森が変わっていく様子をみれるのでは?

こう考えたハワイの研究者は驚くべき発見をしました。いろんな島で比較すると、森は数万年程度の時間をかけて少しづつ巨大になっていく一方、数十万年から数百万年という気の遠くなるような時間が経つと、一転急激に小さくなっていく、という傾向が見られました(退行遷移retrogressionと呼びます)。ここで明らかになったのは、1000年前後で植生が安定する、という高校生物の教科書の知識と矛盾した森林像でした。

この理由は地質学的な知識から説明されています。時間を通して森には多くの雨が降ります。その雨が少しづつ森の中からリンという元素を外に流していきます(リンはDNAや細胞膜などに使われる、全ての生物の必須元素です)。数百万年という時間をかけて、森の土のなかからリンが失われていくと、そこに生えている木が栄養失調で体を維持できなくなり、やがて小さくなっていく...この仮説は、さらにビトーセック博士によって森にリンを撒くという実験によって検証されました。まだ比較的新しい森にリンを与えても木には大きな変化はない一方、古い森にリンを与えると樹木の成長速度が高まりました。これは古い森林の樹木が強い栄養失調(リン)にさらされていることを意味します。

陸上の生態系は、草原、森を経てやがて崩壊に向かう

という驚くべき生態系像がつくられました。さらに同様の現象が、ワードル博士らによって、ヨーロッパ、オーストラリアなど、世界中で確認されることになります。高校生物の遷移理論は、光によって植生の変化が起こっていました。しかし時間軸が数百万年となると、今度は岩石から溶け出すリンが植生の変化を起こすのです。生物は岩石の子供であり奴隷である、この理屈は僕にはそんな風にうつりました。

生態学のホコタテ3:森は数百万年で崩壊するのか?生物の逆襲

しかし、絶滅しかけたジェダイが復活したように、話はここでは終わっていません。次に舞台となるのはボルネオ、アマゾンなどの熱帯雨林です。2000年代になって、ボルネオ島やハワイで研究を続けてきた日本人研究者(北山博士)は、この理屈の大きな矛盾を指摘しました。大事なことは次の2点です。

(1)実は、ボルネオやアマゾンといった熱帯林の土は古く、そしてリンがとても少ない。

(2)にもかかわらず、森林が巨大で(最大で樹高90mに達する)樹木の成長も素早い。

これはどういうことでしょうか?先ほどの理屈では、土の中のリンが少ないと樹木の成長が抑えられ、森全体のサイズが小さくなるのではなかったか...

この矛盾を説明するのは、生物多様性ではないかと言われています。先ほど説明したハワイ諸島は、大陸から孤立しているため、歴史のある時期に入ってきたハワイフトモモ、ほぼ一種の樹木によって森が構成されています。そのほか生態系の縮小がみられた地域も同様に種が豊かでない地域でした。これに対して、大陸熱帯と呼ばれるボルネオやアマゾンには数十万種の樹木がいて、約1〜2億年の被子植物の歴史の中で、熱帯環境に適応と絶滅を繰り返しています。

栄養失調という強いストレスにさらされ続けた熱帯林の樹木は、リンが少ない環境を克服しているのではないか。それゆえ、時間がたちリンの乏しくなった環境でも森は維持され続ける。

という新しい生態系像が打ち立てられました。2021年現在、生態学者はこの仮説の検証に取り組んでいます。うまく検証されるのだろうか。読者が生物学科の学生であったら、この検証に力を貸したいと思うだろうか。新しい生態系像は、映画ジュラシックパークの中にでてくるセリフを思い出させてくれます。それをあげて、このnoteの締めくくりとします。

”Life finds a way" (イアン・マルカム)
生物は決して環境の奴隷ではなく、環境を作っていくものだ

まとめ

生態学とはなんでしょうか。生物、生態系がどういうものかを明らかにする学問だと実感してもらえたらとても嬉しいです。もしこのブログを読んで「で、生態学(学問)って何の役に立つの?」って思われたとしたら、僕は涙を飲んで実力不足を認めます。そんな人に対しては僕では役者不足なので、科学の面白さを知るためにぜひこちらに挑戦してください。リンク先はどちらも数学の話ですが、面白いです。お楽しみください。


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