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当たり前が出来ているか。

こんばんは。

同じ姿勢で居ると、身体が痛いので、適宜姿勢を変えている、たからです。

今日はいつもとちょっと変えて、座るについて考えたいと思います。

というのも、我が師匠に「10分間座ってみて感想を話し合ってみなさい」という課されています。10分間瞑想のような感じですね。

是非、皆さんもやってみてコメントくださいね。

何でも実験です。

姿勢は何でもいい。10分間座れる姿勢なら。

僕は胡坐(あぐら)

目を閉じて座ったときに何を考えるのか。noteの記事明日何にしようかな~邪念が、、、。それとも何も考えないで座れるのか。なんでこんなに頭が忙しいんだ。

少し経ってくると、ムズムズしたりする。なんだこれは、あと何分だろう。でも目を閉じているし、分からん。子供が大人しく座ってられないことが問題になっているらしいけど、我々は10分大人しく座って居られるだろうか。

身体に目を向けよう。呼吸はどうか。浅いなあ。胸の上だけで呼吸している感じ。深呼吸?しようと思っても上手くできない。いや待て。まずは今できる範囲の呼吸をしっかりやろう。胸がダメなら肚で呼吸だ。

姿勢は楽に座れているのか。腰が痛い。左側だ。前につんのめりすぎているのか。少し後ろに身体を戻してみよう。少し楽だ。自分の中心ってどこなんだろう。

というか、そもそも何で座るんだろうか。

立つ・寝るの2択で生活出来ないものか。

仕事だって食べるだって、立っても出来ない事はないでしょう。あと横になって寝られれば生きていけるでしょう。と思う。

なぜ師匠はこんな課題を課したのか。

困ったときは漢字の成り立ちから考えます。

座る・坐る・据わる、と変換すると出てきます。

座る

「广(まだれ)」は建物に関係する意味を持っているらしく、家の中で土の上に人が、座るという成り立ちだそうです。そこから、地位や権威を表す表現にも使われるようになったとさ。

なるほど。社長の座に座るというのは、社長の椅子に勝手に座ることではないと。

坐る

人と人とが土の上に座るような、イメージ。動詞的な使い方を昔はされていたようです。

据わる

首が据わる。度胸が据わる。肚が据わる。など、安定して落ち着いているような状況で使うのが据わる。腰を下ろす意味では使われない。

しっかし、社長さんや上司には据わっていて欲しいものです。


こう考えると、据わって座って居たい。と思います。(←ややこしい)

僕の解釈ですが、据わるために座るんじゃないかな?と思います。

こんなに頭や肩や目に意識が行って、肩こり・頭痛・目の疲れに悩み、今後どうなるか分からないという不安に駆られ、イライラしたり、自分自身も不安定になる。情報のシャワーを浴びて、誰かを傷つけるような発言もしてしまう。

ただ目を閉じて、情報を遮断して座ると、入るのは自分の中からの情報だけになる。

それは

外の車の音や、鳥の鳴き声、子供の声、時計の音。

朝食のパンの匂い、洗濯物の匂い、自分の匂い。

手の暖かさ、腰の痛み、呼吸の浅さ。

本当に必要な情報は、こっちなのかもしれない。自分からの情報を全て無視して外から入ってくる情報を受け入れた結果なのかもしれない。


大丈夫だから。落ち着いて。据わって居られるから。


そんなメッセージを受け取りました。

皆さんも据わってみてくださいね。

いつも有り難うございます。


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