全能のパラドックスと無神論者の嘆き

「全能者(神)は自分が持ち上げることのできない石を作ることができるか」
有名な逆説の話です。全能者(神)の矛盾について言及しているのですが。
要は『誰も持ち上げられないんだったら全能者も持ち上げられないんじゃないの?』というツッコミが多々出てくるわけです。私ももし目の前でそんなことを言い出す人が居たら3秒ぐらいでツッコミを入れると思います。

私は無神論者でアンチ宗教の人間なので、全能者(以後神と称する)の論理を超越したり奇跡と呼ばれる事象を信じてません。思想や信仰は自由なのであくまで個人的な意見ですが。
私の父方は代々カトリックを信仰しており、父もカトリックに入信してました。本来なら娘である私も洗礼を受け入信しなければならないところだったのですが、母がアンチ宗教なので自分と娘の洗礼を拒否し私は無宗教に至るわけです。

仮に神が居たとして、どうして人々の格差や凶事はいつまでも無くならないのか。神に祈ったり写経することで薄幸を回避できるのか。できないだろう。神が居たのであれば、毎週日曜イエスだかマリアか何らかの像の前で熱心に祈っていた父は報われていただろうし、私達家族も離散することはなかったのではないか。そう思い出した時から聖書や像を燃やしてやりたいという神に対する憎悪の念があった。

結局奇跡や幸せは人の手で起こすものなんですよね。ただ奇跡や幸福をもたらす能力が全員平等にあるかと聞かれたら難しいでしょうけど。
特に自分は持って生まれた能力が低すぎて不幸を覆すことも現状を打破することもできない。人によっては「甘え」「努力が足りない」と言われるんでしょうが、常人が1〜3努力すれば済むことを私は8〜10ぐらいの努力をしないと社会でやっていけない。努力し続けたら悪かった頭が気狂いに変貌する始末。

本当に神が居るなら「苦しまないように殺してくれ」とお願いしたい。

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