安全基地などない私

「人というものは家族だろうが友達恋人なんでもよくて、どこかで人と安定した関係を築いているもので。だから人は一人でも生きていけるんです」
これは主治医の台詞だが、私は今の主治医に罹るどころか精神科に通う以前からずっとこの件について自覚があり苦しんでいた。

私も典型的な愛着障害で、幼い頃から親の顔色を伺っていた。私の両親の愛情はとても気分屋で不安定なものだった。今思えばそんな両親から愛情を貰おうと幼い私は毎日必死だった気がする。愛着スタイルでいえば不安定の「恐れ、回避型」や「未解決型」の類かもしれない。特に自分で異常だと思っているのが、相手だ誰であれ
過度に人の顔色を伺いすぎる
ことだ。

愛着障害には「安全基地となる存在がいることで克服できることもある」という見解がある。要は恋人や配偶者の域になる存在だろう。そういう存在と安心できる関係を築くことができれば、親との愛着問題が解決していくらしい。
30数年生きていて何人か男性と交際したことがあったが、よくよく思い返せば誰とも安心した関係を築けていなかった気がする。
日常的に顔色を伺い、変な気遣いをし続ける。そんな私は他人からしたらとても都合の良い存在なのだろう。最初は大切にしてくれたり日々気遣いをしてくれるが、時が経てばお母さん的な行動を求められたり雑な扱いを受けるようになる。そしてある日自分に限界が訪れる。訪れる度に
「私が本当は何を考えていて、何が好きで嫌いで、なんていう私の意思は相手にとってどうでもいいのだろう。皆、他人の思うように動く私しか好きじゃない」
と絶望するのだ。しかしそれも自業自得だったりする。私は安心できる人と一緒になれないので、付き合う人を代替としていたのだ。本当に自分は卑怯でクズだと思っている。

「安心できた人」というのは、
『明るく冗談が言えて思い遣りがあり、周囲から慕われている』
という自分や両親と真逆の人達だった。
8年の元親友(女性)も安心した関係を築けていた。特に元親友は私の特性よる奇行や言動を見下したり揶揄することなく、ありのままの私を「面白い、一緒にいて楽しい」と言葉にしてくれた。私の嫌な部分を叱ってくれたり、励ましたりしてくれた。いつも言葉だけでなく行動でも示してくれた。そんな彼女は色んな人に慕われていた。彼女は私にとって希望だった。
男性で安心した人は正直心底好きな人だったが、一緒になることはできなかった。私が関わった時から皆既に彼女や奥さんがいたからだ。だから友人知人以上から踏み込めないし何もしてはいけなかった。なので別の人と付き合いその人との関係を安定させようと必死になり、心底好きな人を忘れることに齷齪していた。本当に自分はなんて不道徳な生き方をしているんだと嫌気しかない。

これからもきっとこんな腐った人生しか送れないのだろう。因果応報か。

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