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私の履歴書 #21 ネパール大地震発生

(2020年8月28日金曜日)


 2013年に帰国し、息子の病気も完治し、東京経済大学での教育研究とAAEE,アジア教育交流研究機構代表理事の活動の両立も軌道に乗り始めていた。それまでにもう人一倍多くの貴重な経験をさせていただいたので、今後その経験を学生教育や研究活動にどう還元していくべきか、必死にさぐる充実した日々を過ごしていた。

(帰国後二年間の活動の推移については以下のブログに譲ることとする。
https://note.com/multiculturalism/n/n83811fc21519  

 2015年、その後の僕の人生再び翻弄する悲惨な大事件が発生した。 「事件は会議室で起きてるんじゃない! 現場で起きてるんだ!」という某警察映画のセリフを拝借するならば、地震が起こったのは会議室ではなく、ゼミの最中だった。  
 忘れもしない2015年4月27日、ゼミではその年の夏にネパール研修に行くことについて話し合っていた。ゼミ生たちが真剣な雰囲気で意見を交わし合う中、1人の女子生徒がスマートフォンをじっと見つめていた。「おい、今は授業中だよ」と諭す僕に彼女は真剣な瞳で、答えた。「授業中に携帯を見てごめんなさい。でも先生、ネパールが大変です!!」今まさに議論の俎上に上がっているネパールで大地震がおきたんです。両手を振り回しながら熱心に訴えたのは、台湾出身の学生だった。  
 教室はザワザワとどよめいた。実はネパールでは地震は滅多に起きない。この地震が起こるまでは100年ほど地震が起こらなかった国なのだ。「100年ほど前」と言ってもいまいち実感が湧かない方のために、日本で100年前はというと大正時代の選挙権が「直接国税3円以上納める25歳以上男子」と規定されていたほど昔のことだ。それほど前から地震と無縁な生活を送ってきたネパールの人にとって、地震の恐怖は日本人の比ではなかった。  
 のちに気象庁によるとネパール大地震は首都カトマンズの北西約80キロを震源に発生した地震で、マグニチュード7・9。周辺国も合わせ8千人以上が死亡、40万棟以上の家屋が被害を受けたと判明した。  
 知人・友人の多いネパールが大地震に直面しているのに、のんきに「今年の夏のネパールの研修は・・・」などと語っている場合ではない。ゼミの授業は急きょ中断、手分けしてインターネットでネパールの情報収集が始まった。調べれば調べるほど、これは本当に大変な事態らしいという情報が集まってきた。ネパール空港から近い場所にバックタップルという都市がある。僕も何度も滞在し、知り合いが数多くいる。そこの家や寺院が崩壊していく様子がネット上やテレビで映し出された。
 ネパールの家屋の多くは木造建築、特に家屋が密集しているバックタップルは、日本で例えると江戸時代の「長屋」に近いだろうか。地震ではひとたまりもなかったのだ。「どうか無事でいてくれ」震える指で何人もの友人に安否確認のメッセージを飛ばした。数人からはすぐに返信がきたが、しかし待てども待てどもリプライがこない人がいた。町並みが地平線に変わるかのような大地震だったのだ、通信が悪いのだろう。祈るような思いで待つ時間はじりじりと経過した。彼女はいつもすぐに連絡を返してくれたのだが、このいつになっても返信はこなかった。後に行方不明との知らせを聞いて愕然とした。  
 「何かしなくてはならない!」画面をフリックするたびに更新されるネパールの悲惨なニュースにもどかしく思った。学生たちは額を突き合わせるようにして真剣に意見を出し合った。もはや普段のゼミなど比べものにならないほどの必死さ。しかし「これだ!」と思えるような意見は出ないまま時間だけがじりじり経過した。「応援メッセージなら届けられるのではないか」ポツリと呟いた僕の声に、一気に意見がまとまった。  
 当時の関ゼミ生は前年度・前々年度にベトナム研修を行っていたので、ベトナムではたくさんの学生との密接な繋がりがあった。さらに、僕は外国に暮らしていた時に東南アジア、南アジアで地道にAAEEネットワークを築いてきた。彼らに一斉に連絡をとり、「”Pray For Nepal(ネパールのために祈ります)”とパネルを持って、写真を撮って送ってください。今日中にお願いします。」と訴えた。  
 今、この時に苦しんでいる彼ら、彼女らに声を届けたいという思いだけだった。他にできることはない。そう思っていた。
 300人!
 それがわずか数時間でネパールへの応援メッセージを送ってくれた人数だった。当時のゼミ長と深夜までやり取りをし、すべてのメッセージを一枚の写真に収めるアプリを探したが見つからなかった。そこで最大限の人数を収めた写真を応援メッセージと共に震災当日にAAEEのフェイスブック英語ページで公開。ネパール地震に、このスピードでフェースブックで反応した「世界最速」の団体となった。  
 世界1位。この称号は大きな価値を持つが、望んで獲得できるものではない。多くの要因や運に恵まれないと、この称号を関することはできないからだ。そしてどんな分野であれ、「世界1位」のタイトルは色々な意味で重みを持つ。例えば「日本で一番高い山は?」と尋ねられれば小学生でも富士山と答えられる。しかし日本で2番目に高い山を北岳と答えられる人はクイズ選手権の優勝者くらいだろう。実は富士山と北岳はたったの500m程度しか高さの点では差がない。だが、注目されるのは圧倒的に1位の富士山だけである。  
 この時の関ゼミとAAEEも瞬間最大風速的に「ネパール地震への反応スピード世界1位」を獲得したのだ。(もちろん狙った訳ではないし、狙ってできるものではない。関ゼミもAAEEも「その夏ネパール研修に行こうとしていたこと」「アジア諸国との厚いネットワークを構築できていたこと」「学生たちが寝食忘れるほど没頭したこと」などいくつもの歯車が奇跡的に噛み合った結果である。だが、この「ネパール地震への反応世界最速事件」によって、ここから数ヶ月間にわたって関ゼミはテレビの取材らやメディアへの露出やらに追われることになる。  
 地震翌日の28日午後にはNHKの「ニュースウォッチ9」の取材を受け、ネパールの状況を聞かれるがままに答え、当日のトップニュースで詳しく取り上げられた。まさか、自分がテレビニュースでネパールのことで取り上げられるなど思いもしなかった。さらに前夜の”Pray For Nepal(ネパールのために祈ります)”投稿は、いいねとシェアが止まることなしに世界中で押され続けて、通知が鳴り止まなかった。まるで一日だけドナルド・トランプのSNSアカウントになったかのような拡散力だった。世界各国を拡散する過程で、途中でイスラム教の人とキリスト教の人がコメント欄で喧嘩までし始めた。

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 いつまでたっても鳴り止まない通知にスマホが熱くなり始める頃、僕の頭も高速で回転して発熱し始めていた。その時頭にあったのは2つの悩みだった。1つ目は「その夏(2015年)のゼミ研修をどうするか」ということ、2つ目はネパール関連の知人たちからの助言だった。  2つ目の助言とは、「メッセージを送って応援するのもいいけれど、せっかく貴方はあの方面に強いネットワークを持っているのだから、それを活用した活動をすべきだ。誰でもできることではないから」というものだった。この趣旨の強い要望を数人の方々からいただいた。NHKニュースで取り上げられた翌日だったということもあったのだろう。  
 しかし、国際支援は僕の範疇ではないし、僕はネパールの専門家とは決して言えない。何よりも年度が始まったばかりの多忙な時期だった。「どうしよう、どうしよう・・・。」数時間身動きもせずに考えた末、「もうわからない、行けるところまで行ってしまえ!」と前を向き始めた。すべきことの道筋は見えていた。この状態の僕が時に尋常でない力を発揮することは過去にも経験済みだ。
「一刻も早くチャリティイベントを開催し、ネパールの現状を人々に知らせる。」  
 帰国した年から、AAEEで毎年学生たちとイベントを開催し、外務省やJICAから後援をいただいてきた。そのネットワークを使うしかない(他に方法を知らなかった)。通常、外務省の後援をいただくためには1か月はかかる。しかし、今はそんなことを言っている場合ではない。必死で企画書を作成し外務省に「ダメ元で」ファックスした後で直談判。「明日からゴールデン・ウィークに入ってしまう。この時期にすぐに後援を決定することなど不可能だ」と言われながらも、粘りに粘った結果、何と連休前、わずか半日で後援名義使用を許可していただいた。担当官から、「外務省の歴史を見ても極めて異例の判断です。我が国がネパールを重視しているその思いをネパールの方々に届けてください。」という応援メールまでいただき感極まった。 続いてメディアリリース。あらゆるテレビ局新聞社にファックスを流し続けた。
 これら一連の活動に学生も協力してくれたが、彼らはやり方を知らない。結果生まれて初めて”三日三晩寝ずに”作業し続けた。その間朝のワイドショーや日曜朝のお馴染みの民放番組から出演依頼があったがすべてお断りした。イベントの準備で精一杯だった。  
 5月5日の実施に向けて、ゼミ生の学生たちやAAEEの学生たちが大活躍してくれた。東京経済大学や息子の通う上智大学で連日ミーティング。息子の多くの友達が連休返上で協力してくれた(ネパール大地震は、関ゼミの学生が他大学の学生と一緒に活動するきっかけともなった)。 そしていよいよ当日を迎えた。会場となったJICA地球ひろばは多くのマスコミ関係者と全国からお集まりくださった支援者の方々で埋め尽くされた。

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