「醜く汚く格好良く」
昨日、心をへし折れと投稿したけど
心が折れて絶望を味わった時は全てが敵に見えてしまいがちになる。
心配して声を掛けてくれる人に対しては
いやいや、でもお前に俺の気持ちなんかわからないでしょ。
って冷たくなるし
冗談を言って和ませようとしてくれる人に対しても
何笑ってんだよ。
って思ってしまうもの。
もっと書くと敵と思うことすらできないほど頭が真っ白になってしまうかもしれない。
それくらい心が折れると余裕が無くなってしまう。
でも、それくらい醜くて汚くなってもいいんだよね。
心を折れない奴は、醜くて汚くなることを恐れているんだよね。
俺はチャールズ・ブコウスキー著「町でいちばんの美女」が大好きだ。
ブコウスキー自身もそうだけど、この小説に出てくる登場人物がほんとどうしようもなくて醜く汚いんだよね。
酒・クスリ・セックスに溺れるような奴ばかり。
でも、そこが最高なんだ。
何故が醜く汚いところが魅力的なんだ。そしてカッコいいとも思える。
ブコウスキーの独特のワード、会話、世界観は最初は慣れないかもしれないけどマジでこの世界観は味わったほうがいい。
(ちなみに俺は「25人のぼろをまとった浮浪者たち」が一番好き。)
ロックで言うとブルーハーツは
ドブネズミみたいに美しくなりたい。写真には映らない美しさがあるから。
と歌ってたけどこれも醜く汚いものこそ魅力的なんだと伝えている。
「ドブネズミ」ってワードが汚いイメージを持ちがちだけど、そんなドブネズミのように美しくなりたいって歌えるブルーハーツはマジでスゴイ。
つまり、
見た目ばかり整えるよりか、醜く汚くても「らしさ」が出ている方が魅力的で美しいんだってことなんじゃないかな。
じゃあ、「らしさ」ってなんなのか?
俺は自分らしさではなく、人間らしさだと思う。
自分らしさって他人に植え付けられてる可能性が大きいんだよね。
例えば、
よく食べるとか、よく笑うとか、素直なこととか、そういったことがあなたらしいって言われても
いやそれただのお前の主観でしょって思うんだよね。笑
自分のことを客観的に観れないやつは、他人の主観によって創られた「自分らしさ」に嵌ってしまうんだ。
そして創られた「自分らしさ」に勝手に苦しんでしまうんだ。
だから、自分らしさなんて気にする必要ないしそんなのシカトでいいんだ。
そんなものより魅力的なのが人間らしさだ。
人間らしさも人それぞれ考えが違うと思うけど、
醜さや汚さはその一つだ。
「町でいちばんの美女」の登場人物のように、
こいつほんとどうしようもねーな。って思える奴が人間らしいんだ。
じゃあなんで醜さや汚さが人間らしいと言えるのか?
それは歴史と今を見ればいい。
酒・クスリ・セックスに溺れたり戦争で同じ人間を殺し合ったりしているでしょ。
そんな人間が今も昔もいるってことは、人間を客観的に観た時にそれが一つの人間らしさだとわかるでしょ。
犯罪はしないほうが良いし、人殺しなんて言語道断だけど
醜さや汚さは人間らしい行動なんだ。
だから、醜い汚い部分が出てしまってもしょうがないんだ。
それが人間なんだから。
その醜さ汚さを我慢して出さない人は立派だしカッコいいいけど、
我慢しないで撒き散らす人だって魅力的なんだ。
醜さ汚さを恐れないで生きよう。
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