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おとんの好きな朝食は、コーンフレークやないかい

久しぶりにミルクボーイの漫才「コーンフレーク」が見たくなったのは、父が毎日朝食でコーンフレークを食べているからだった。

私は今里帰り出産のため、実家に帰省している。両親共に元気だけれど、父親は数年前から癌を患っている。癌と宣告を受けたときは治療しても余命10ヶ月と言われていたが、もうかれこれ4年ほど生きながらえて、なんとか生活している。

「コーンフレーク食べるなんて珍しいね」

私は思わず口にした。実家に帰って初めての朝、父が珍しくコーンフレークを食べていたからだ。ザ昭和な父親(料理は一切せず母任せ)の朝食といえば、和食が定番だった。コーンフレークのようなジャンキーなものを朝食に出そうものなら、気難しい父は一日中不機嫌を決め込んでいただろう。ところでそんな父とは、いまだに何を話していいかよくわからない。この時も半分(というか9割方)母に話しかけつつ、なんとか父親とコミュを図っていた。


「死期が近くなるとね、昔食べてたものが懐かしくなるんだよ」

そう父は答える。私の祖父(父の父)が日系アメリカ人だった影響で、幼少期はよくコーンフレークを食べていたから、今になってそれが懐かしくなったんだとか。(そうですか)
(ちなみに父は癌がわかってから、自分の運命をすんなり受け入れているんですよ、ということのアピール?なのか、同情を引くためかわからないけれど、自分からよく「死」を口にするようになった。)

コーンフレークの袋にはあの定番のトラがいて、腕を組みながらこちらを見ている。それを見て、私は


「ミルクボーイのコーンフレークって漫才知ってる?母親が好きな朝食を忘れた〜っていう」

そう両親に聞いてみたはいいものの、お笑いに疎い両親からは「知らない〜」と言われただけで、この話は終わった。


**

その日の夜、私は何気なく2019年M1グランプリのミルクボーイの漫才を見てみることにした。
そしてあるフレーズにハッとするのである。


「オカンが言うには 死ぬ前の最後のご飯もそれで良いって言うねんな」
「あー ほなコーンフレークと違うかぁ 人生の最後がコーンフレークでええ訳ないもんね」
「そやねん」
「コーンフレークはね まだ寿命に余裕があるから食べてられんのよあれ」
「そやねんな」
「な? コーンフレーク側もね 最後のご飯に任命されたら荷が重いよあれ」

ミルクボーイの漫才コーンフレークより

「コーンフレークはね まだ寿命に余裕があるから食べてられんのよあれ」




…確かに。

私としたことが。まんまと父親の感傷的な物言いに騙されるところだった。

癌という運命を達観したように見せる父。それでいて本当は気が小さくて、いつも検査の前日には無口になる父。(母親談)
確かに父親が癌だというのは不幸だ。そりゃ多少の感傷的なことも言いたくもなるのもわかる。けど、ミルクボーイにこうも鮮やかに一蹴されるとは。コーンフレークまで持ち出してカッコつけた父親のメンツは丸潰れである。

お笑いって、とても冷徹だ。だからこそ、お笑いってすごい。こちらの不幸などお構いなしだ。だからこそ、救われることもある。

何だか急に父親の発言がバカバカしくなって、
一人部屋で笑いを堪えていた。

***

里帰りしてもうすぐ1ヶ月になろうとしている。
父は今日も飽きずにコーンフレークを食べている。
それは、寿命に余裕がある人が食べる食べ物らしいですよ。
私はそんなことを心の中で呟きながら、コーンフレークを食べる不器用な父親に少しだけ救われている。
もうすぐ孫も生まれるんだから。
それまでは、何としても生きてもらわないとね。

一度はサポートされてみたい人生