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【食べたいものを食べるエッセイ】ぶり大根

「お姉ちゃん、これ持ってく?」


最近なじみの八百屋さんに行くと、威勢のいいおじちゃんに「これ持ってく?」と声をかけられる。よくよく考えると、「持ってく?」って言い方なんかおかしい。押すでもない、引くでもない絶妙な言い回し。それもまた、この店の良さなんだろう。最近、野菜はスーパーではなくて、八百屋さんで買うようにしている。何より安いし、活気があっていい。

その日も、ふらふらと物色していたら、いつものおじちゃんに話しかけられた。おじちゃんの前には、特売の大根が積まれている。なんとまるっと一本100円。安い。

「どうする?持ってく?」

畳みかけるおじちゃん。

「じゃあいただきます。」

私は思わず、そう答えてしまった。

おじちゃんは待ってましたとばかりに大きな大根を差し出し、

「毎度!お姉ちゃんみたいな、まっしろ!」

そう言って、大根の肌をパンパン叩きながら渡してくれた。


✳︎✳︎✳︎


帰り道、思わずニヤニヤする。

お姉さんみたいに、まっしろ。すごいお世辞。でも言われて嫌な気はしない。むしろ、私の肌は今超・乾燥肌で赤いくらいだけど。それでも、おじちゃんの言葉でちょっと救われた気する。

私は昔から本心ではないことを言えない。もちろん相手に失礼だと気持ちもある。ただそれよりも何より、薄っぺらな自分がばれそうで怖いのだ。真っ赤な嘘でも、50%本心でも、この一言が言えたら相手もきっとうれしいだろうし、きっと距離が縮まるんだろう。そうわかっている言葉でも、言えない。100%の本心でなければ言葉がでてこない。そんな自分がたまに窮屈に感じる。

それなのに、あのおじちゃんときたら。あからさまに見え透いていて、薄っぺら。こんな風に真面目に考えている私が、馬鹿馬鹿しくなるほどに。でも、嬉しかった。大根を買う私と、それを売るおじちゃん。普段、交差することが無い二人の関係性に、おじちゃんが片足をつっこんでくれた感じ。その勇気が、私は欲しいのだ。とはいってもおじちゃんにしてみれば、あれくらいのお世辞を言うのに大した勇気でも無いんだろうけど。それでも、誰かの心にぽっと火を灯すことがあるのだ。嘘とか、本当とか。本心とか、建前とか。カテゴライズする必要ない。こういうコミュニケーションが、あってもいいんだ。そう思ったら、肩の力が抜けたような気がした。

お姉ちゃんみたいにまっしろ。帰り道、何度もその言葉を頭の中で繰り返しては、今日のあの瞬間は大事にとっておこう、そう決めて左手に食い込む大根の重みを噛みしめていた。


***


それからというもの、大根をどう消費するかについて、考える日々だ。

一日目は、薄切りにした大根で、マリネに。その次の日は、青首の方を大根おろしにして、さっぱりとみぞれ鍋。それでも、真ん中の部分がまだ残っている。

そうだ。ぶり大根にしよう。

せっかくの立派な大根だから、大根を主役にしたおかずにしたい。ちと手間はかかるけど。

大根に慎重に刃を入れ、皮を剥く。分厚く剥いた大根の皮は、洗って細かく刻んで、お味噌汁に入れたりする用に冷凍保存しておく。


ふと、「生きてる」ってこういことかなぁと思う。遠い世界の絶景を見に行く。大自然でアクティブに過ごす。そういうの、いかにも「生きてる」って感じがしそうだ。でも、私にとっては、大根を使ってあれやこれや考える一日の方が、「生きてる」にきっと近い。


完成したぶり大根は、よく味が染みていて、とてもおいしかった。

それでも、まだ全部使いきれていない。しばらく、この生活が続きそうだ。

一度はサポートされてみたい人生