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ありふれたことを、書こう

最近また「書けないなぁ」と思っている。外出してないしネタもないから、しょうがないのだけれど。

でも一番の大きな原因は、そこじゃない。私のせいだ。私が「誰もまだ書いていないことを書きたい」そう思っているからだ。

それに気づいたのは、つい最近後輩にイライラしすぎて「アンガーマネジメント入門」なる本を読んだ時だった。まず自分の怒りのタイプを知りましょう、とのことで診断してみたところ、ぐさぐさくる言葉が返ってきた。

「プライドが高いあなた!」

「自分を人とは違う特別な人間だと思っている、あなた!」

ぴぎゃあ。

痛い痛い。それ以上言わないで…めちゃくちゃ当たってるから!!


そうだ。私はいつだって何者かになりたい。

noteを始めた時も、そういう思いがあった。自分の考えを吐き出せる場がほしい。それで誰かを「あっ」と言わせたい。だから誰も思いつかないようなことを書きたい。そんな思いが強かった。(実際全然出来なかったけど)

自分でもそう思ってたことに気づかないくらい、それが私の書くモチベーションだった。でもこれだと持たないなぁと思う。もっとありふれたことを書いたっていいのではないか。その辺のお花がきれい、とか。今日も飯がうまい!幸せ!とか。むしろありふれたことを、読ませる文章に昇華する方が難しいのでは?そう思い始めた。


***

ところで、私の好きな漫画家さんに、高野文子さんという方がいる。

高野さんが書く漫画は、漫画なのにすごくわかりにくい。正直、読みづらい。

なんでわざわざそんな漫画を書くんだろう。大学生のときに初めて作品を読んで、それからずっと気になっていた。彼女の漫画をテーマに卒論を書こうと決めて、色々文献を漁っていたとき、大友克洋さんとのインタビューを見つけた。

高野さんは、自身の漫画がわかりにくいと言われることについて、

「でも、そんな難しいことは言っていないんですよ」 

そう答えていた。(たぶん)

確かに彼女の漫画は一見わかりにくいけれど、テーマ自体は割とわかりやすい。ありふれた日々の素晴らしさだったり、有り難さだったり、誰もが感じていることが根底にある。そのテーマは一貫して、普遍的なのだ。そして、それが作品の良し悪しに関わるわけじゃない。むしろ普遍的だからこそ、漫画の読みづらさから来る緊張感と相まって、ありふれた日々の素晴らしさがより際立って伝わってくる。

私は、ありふれたことを文章にするのを怖かったんだと思う。こんなこと、誰だって思っているし、書けるよ。そんな風に思われそうで、自分がつまんないやつみたいだから。

でも、色んな人のnoteを読んでいて思うのは、ありふれた日常や感情を描いていても、それだけで面白いなぁということ。その人の言葉選びや句読点のうち方、言葉のリズム、色んな要素で自然とその人の息遣いが聞こえてくる。何が書いてあるか、その内容よりも、どう書いているか。そういう視点で読みたいし、私も書きたいなぁと思う。

そんなことを考えていたら、後輩くんへのイライラもどっかへ行った。アンガーはマネジメント出来なかったけれど、とりあえずこれからも懲りずに書こう。そんな気になれた。

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