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誠に勝手ながら、勇気づけられております

勇気付けられるってなんだろうと思った。つい最近、TVerで水曜日のダウンタウンを見ていて思ったこと。

企画は「バンジーNG芸人でも、飛ぶまで帰れなかったらいつかは飛ばざるを得ない説」。5人のバンジーNG芸人が集められ、誰か1人でも飛べたら終了、逆に誰が1人飛ばない限り帰れないというもの。さすが、よくこんな意地悪な企画思いつくな(褒め言葉)という感じだけれど、内容はとても良かった。誰が飛ぶかという論戦は会話劇かと思うくらい面白かったし、バンジー台に立った時の緊張感は、こっちまで辛くなるほどだった。(私もバンジー絶対NG)

最終的に勇気ある1人が飛び降りたが、飛び降りたらショックで死んでしまうのでは?くらい震えていたので、本当に飛んだ時は感動してしまった。実は、その翌日、私は憂鬱な仕事を抱えていて、明日仕事行くの嫌だなーなんて思っていたのだけれど、バンジーを飛ぶ姿を見て「私バンジー飛ぶわけじゃないしな」と妙に前向きになれた。

私はこうやって、自分の現在地を確かめることがよくある。あそこの部署は残業続きで大変らしいよ。あの子、上司がパワハラで病んでるんだって。あそこの旦那さん、不倫してるらしいよ。色んな人の状況を小耳に挟んで、「ああ、私はその人たちよりは幸せかな」とか「あの人も大変なんだ。私ももっと頑張ろう」なんて思ったりする。そうやって「自分のほうがまだマシ」という幸せを噛み締めるのと同時に、後ろめたさを感じたりもする。人の不幸を踏み台にして、自分の優位を確かめる行為を経てからではないと、私は自分の幸せに気づけない&頑張る動機が湧かないみたいで、なんか嫌だ。

「勇気づけられました」なんて、そもそも自分勝手な話なのかもしれない。テレビの向こうで飛んだ本人は「(一瞬気持ちいい瞬間があったけど)もうやりたくない」と言っていて、私は少し安心した。私が勝手に、嫌々バンジーを飛ぶ姿に意味を与えて、自分を奮起させただけで、本人は当然バンジーなんて飛びたくなかったのだ。そりゃそうだよな。

勇気づけられるのは、自分の方がまだマシということを確かめたからこその結果なんだと思う。でも、それで前に進める明日があるなら、付け焼き刃でも悪くないなと思った。私は常々、さまざまな事がら、色んな作品を見て、勇気づけられている。いや、勇気づけられようと、こっちで勝手に意味づけしている。それはそれは、誠に勝手ながら。





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