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踏み外しても、生きていく

この前、久しぶりに小学校の同級生と再会する機会があった。彼は昔から優等生で、頭が良い子だった。その後も、良い大学に進学して、今も大手企業に勤めているらしい。それだけは風のうわさで知っていた。

「なんで文学部にしたの?」

大学の話になったとき、唐突に聞かれた。

彼は、経済学部。私は、文学部だ。

「普通に考えたら、実学選ぶでしょ。何で?」

彼はたたみかける。多分、悪気はない。ただ、純粋に気になるから、聞いているだけなんだろう。それでも普通なら聞く前に相手がどう思うか考えそうなものだけど、彼の場合そんなこと1ミリも気にしてなさそうなとこが、むしろ清々しいというか。なんというか。

逆になんで経済学部にしたの?私がそう聞くと彼は「だってつぶしが効くでしょ」と要領の良い彼らしい回答だった。

私は結局、自分が文学部に入った理由をちゃんと伝えられなかった。

彼からしてみれば、文学部に入るなんて自ら人生ハードモードを選んでいるように見えるんだろう。そりゃ将来的に就職することを考えたら、経済学部とか法学部のほうが有利だとは思う。(学部を選ぶとき、就職に有利とかそんなこと考えたこともなかったけど)物書きになって文章を書いてお金をもらうなら話は別だけど、そんな人は一握りだし。そういう意味では、実学ではないし、文学部はお金にはならない。

でも、今、整理ができた気がする。

多分、彼と私では、生き抜く術が違うんだと思う。

子供の頃によくやった、グリコ遊び。グリコ、チョコレイト、パイナップル。じゃんけんで勝ったら、文字数分の段数を上がって、階段の一番上に先に到着した方が勝ち。私たちは、その頂点を目指すゲームに強制参加させられている。頂点に何が待っているのか、みんな知らない。でもきっと「何かいいもの」があると、当たり前のように信じている。頂点にあるもの。それは、お金だったり、あるいは地位や名誉、安定した豊かな生活。人それぞれ違う。

彼はそんなゲームで、一番有利な方法をとることが、生き抜くためのベストな方法だと考えているんだろう。当然、チョコレイトとパイナップルの方が、文字数が多いから、早く頂点に到達できる可能性が高くなる。だからチョキとかパーを多めに出す。それは、大学進学でも同じ。文学部より経済学部の方が文字数が多いから、人より一段二段多くリードできる。さらに英語とか語学に強いと進みが早い。チョコレイトはChocolate、パイナップルはpineapple、文字数が一気に増える。そういういわゆるグローバル人材は、駆け上がるように上へ上へと進んでいく。

かくいう私は、経済学部の方が就職に有利だと知っていたとしても、多分経済学部には入らなかっただろう。興味のない分野で4年間勉強するより、少しでも興味のある文学部で勉強したかったし、そうしてきた今、後悔はない。確かに就職活動中、とある会社の面接官に「文学部ってさ、何が出来るの?」と嘲笑されたこともあった。あのときも今も、何も答えられなかった自分が悔しい。それでも、生まれ変わってたとしてもまた、文学部を選ぶと思う。

きっと、文学部の私は、そのゲームに参加していても、一番弱いグーしか出せない。グリコの3文字でコツコツと3段ずつ進んでいる。そうやって、チョキやパーを出してどんどん上へと昇っていく人たちを頭上に見ながら、このゲームの意味について、時々立ち止まって考えたり、悩んだりして進んでいく。

頂点にあるものはなんなのか。それは、私が望んでいるものなのか。上に進めば幸せになれるとは、誰が決めたのか。下に降りたら、本当に幸せにはなれないのだろうか。そもそも、このゲームは何を争っているのか。

そう疑いながら、生きる。多分、これが、私の生き抜く術なんだと思う。

彼の生き抜く術は、今の社会のルールに適合したうえでいかに上に進むか。そういう外向きの方法で、私の術は、今のルールにはもちろん寄り添いつつも、心の中に安寧を作ること。多分それは内向きで、このゲームからいつ脱落してもいいように、自分のなかで余白を作ることが、私の生きる術になっているんだと思う。

そういう余白を作れることが、文学部の強みなんではないか。

お金はあればあるほど良いし、出世は早ければ早いほど良いし、人より優位に立てれば立てるほど良い。その考えに一定の理解はするけど、別にそんなにいいことかな?と別方向のルートも用意すること。そのために一時的な避難場所を用意してあげること。その避難場所は、なんでもいい。誰かの作品でもいいし、自身の創作でも趣味でも誰かの言葉でも。そういう術を人より多く知っているということが、きっと私たちの強みだ。グリコ遊びで早く頂点に立つ方法を研究する人たちがいる一方で、そのゲームを疑ったり、踏み外したり、そもそも参加するにも至らず、じゃんけんにも参加しない不戦敗の人たち。そういう人がいても、まあいいよねって思えること。それが、私の生きる術であり、文学部で学んだことだと思う。

要はきっと、適材適所なんだと。彼のように、努力が出来てより良いルートを選ぶこともまた一つの才能で、そういう人がいないとこの世界は成り立たなくなる。でも、きっと私みたいな人もまた、この世界には必要だと思いたい。

一度はサポートされてみたい人生