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砂漠パン

小さい頃、甘食のことを砂漠パンと言っていた。

由来は見たまんま。砂漠の砂丘に見た目が似ているからだ。

なんでそんなことを思い出したのかというと、週末実家から送られてきた荷物の中に甘食が入っていたからだ。

「甘食だ!」

思わず口に出したとき、もう私の中で砂漠パンという呼び名は化石になってしまったんだと、悟った。

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文章を書いているといつも思う。なんでもっと素直に書けないんだって。

子供の頃のように、見たままを見たように、ありのままで言葉にするだけで、この世界は詩で表現で溢れているというのに、私の口から出てくるのは正式名称で、その上に付け焼き刃の表現を小ネギみたいに散らしているだけ。

仕事柄、お堅い報告書を読むことが多い。誰かと誰かのやりとりが、なるべく忠実に話したままに記録されているその文面には、私がどんなに頭で考えても出てこない、ありのままで、飾らない表現に溢れていて、それだけで詩になる。本当は、こんなんでいいのに。私の文章って、かっこつけだなぁといつも思い知らされる。

あるテレビ番組で、色鉛筆画の先生が「海苔は黒く見えるけれど、透かすとかすかに紫色なんです。」と言っていた。

もの、そのものの色を見る。簡単なようにみえて、難しい。真っ黒な海苔が実は紫色だなんて、私は気づかなかった。モネの絵は近くで見ると筆づかいも手荒で、絵具の塊にしか見えないのに、遠くから見ると、それは紛れもなく風景になる。それはきっと、そのものの本当の色だけを見て、キャンパスにその色を落とし込むことが出来るからなんだろうと思う。絵を描く人に文章が上手な人が多いのは、ありのままをありのままに書くことに抵抗がないからかもしれない。

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砂漠パン。久しぶりにその名前を思い出しながら、今日は朝ご飯に甘食を食べた。

もう一度、砂漠パンと命名した時の気持ちを思い出して、文章を書きたいな。そう思った。

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