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立ち止まると怖くなり不安になる。動き出すと恐怖や不安はたちまち消える。

先日、Xtreamwalkという大会に参加して100kmを歩きました。26時間、寝ずの夜通しで歩き、44歳まだまだいけるの自信だけではなく、真理に気づいた、気づいちゃった気がしましたのでシェアしたいと思います。

100kmの道中、怪我をしないように定期的に休憩をするのですが、休憩すると体が痛くなり立てない、歩けない。体が全力で歩くのを拒否します。

でも、エイっと歩き出すとたちまち痛みが消えるという「アドレナリンマジック」を体全体に浴びながら歩いて、再び休憩すると体が痛くて立てない、歩けない。それまで感じなかった痛みに敏感になる「センシングモード」にすぐに切り替わるのを実感できます。

この時は体だけではなく、思考も「本当に俺なんかがゴールできるのか」とか考えだしたり、暗闇に恐怖を感じるようになったりと保守メンテの方向に意識ががらりとシフトチェンジされるのが面白かったです。

体って本当に良くできてるなと。

狩猟時代であろうが農耕時代であろうが、狩りや戦争の真っ最中にあれこれ考えても効率が落ちて良い事はないわけで。一方、森で息を潜めているときや、休息時に周囲の気配や恐怖に気を配ったり、体の不調を早めに発見したり、将来の不安に対策したりと、メンテナンスモードに意識を切り替えるはとても理にかなっていて。

不安や恐怖は本当の意味で動いていない時に現れるのだとすると、中高年が理性的に物事や現実をコントロールしながら、できる範囲内での活動にはアドレナリンは不要で、むしろ年中センシングモードでセーブモードな「アドレナリン欠乏症」に陥っているから動けないんじゃないかと。

本当の意味での前進やチャレンジが欠けているから、慢性的な退屈感から抜け出せないんじゃないかと思いながら歩いてみたりして。

あと、100km歩いているときは、お風呂やご飯などの生活の節目がないので、頭の中で普段何をどれくらいの考えているのかが良くわかって。あれだけ興味がないと思っていた会社のことや、嫌いな同僚の顔がこんなにも出てくるのかと愕然としながら、考えないように顔を振りながら歩いてみたりして。環境の影響って大きいんだな、ぜんぜん俺は動けてないんだなと思って、会社を辞めました。

80km過ぎたあたりからは普段食べないつけ麺がどうしても食べたいという謎の欲求にも襲われて。帰り道に大盛りを食べて、私が歩いているときに家事育児に追われた妻の白い目線に耐えながら深い深い眠りにつきました。

100kmウォークおすすめです。

人生もある程度方向感さえ決まったら、立ち止まらずに動き続ける、前進し続けるほうが、あれこれ考えるよりも得るものがあって、重要だと心得ておけば、あとはアドレナリンが背中を押してくれる、そう思えた散歩道でした。

ちなみに、別イベントですが、仕事終わりの金曜日18:00に町田に集合して、夜通し50kmの箱根まで歩いて、朝風呂浴びてビール飲んで現地解散というイベントも過去にやりましたので、秋の気候が良くなってきたらまたやりたいと思いますので是非ご参加くださいませ。

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