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あなたが見せてくれた世界

私たちの出会い

5年前、お母さんに手を引かれて小学校にやってきたのは、発語がほとんどない、コミュニケーションが困難な自閉症の男の子。

それがあなたでした。

一般的には特別支援学校に通うケースなのかもしれませんが、ご両親の意向で、あなたは地域の小学校に通うことになり、私たちは出会いました。

小学校に入ったばかりの頃、あなたは一日の大半の時間、他の階まで響き渡るような奇声を発していました。それは、同じ教室で過ごす子どもたちが耳をふさぐほどでした。あなたの隣で過ごす私もたびたび頭痛を起こすことがあり、とても辛かった覚えがあります。

でも、その奇声は、おそらく新しい環境への不安や混乱の表れで、当時、あなたにとって小学校はそれほど辛いところだったのだと、今なら分かります。言葉で伝えられないあなたの精一杯の表現だったんですよね。

すったもんだの遠足

学校遠足で、電車に乗って動物園に行くことになったとき、学校外でのあなたの様子を知らない私は、事前に気を付けるポイントをお家の方に確認しましたが、あなたの動きに対応できるか一抹の不安を感じていました。

電車に乗ると、一通り車内を確認して安心したのか、あなたは一ヶ所に留まり、静かに過ごしていました。駅から動物園までの道のりも、私と手をつないで安全に移動しました。

こうして無事に目的地に着いてホッとしたのもつかの間、あなたはいきなり私の手をふりほどき、野原に放たれた子犬のように園内をぐるぐると駆け回り始めました。

高低差のある園だったため、階段で上まで登っては坂道を駆け下りるということをひたすら繰り返すあなた。その小さな身体のどこにそんな体力があるのかと驚くほど。私はあなたの動きを止められず、付いていくのが精一杯でした。

しばらくすると、あなたは、トイレに行きたそうなそぶりを何度も見せたので、トイレの前を通るたびに促しましたが、あなたは首を振って拒否するばかり。ギリギリまで我慢した結果、慌ててトイレに駆け込んだときにはもう手遅れでした。
感覚が過敏なあなたは、濡れたパンツとズボンと靴下をポイポイと脱ぎ棄てて、そのまま外に飛び出そうとしました。そんなあなたをなんとかくい止め、汗だくになってトイレで着替えを済ませました。

その後も園内エンドレスぐるぐるは続きましたが、私が力尽きて、もうダメだ!と思った瞬間、不思議なことにあなたはピタリと止まりました。

そんなすったもんだの遠足でしたが、翌年には、個別支援級のみんなと一緒に動物を見てまわり、初めてクラスの集合写真にも入れました。一年の変化が嬉しくて、感慨深かったものです。

「お母さん、見てくれた?ぼく踊れたよ」

2年生のとき、あなたは初めてクラスのみんなと一緒に区内の発表会に出ました。

いつもと違う場所で、大勢の人たちの前で、舞台に上がってダンスをするのは、あなたにとってはきっと私の想像以上の高いハードルだったんだと思います。気持ちが落ち着かないあなたは、発表会が始まっても客席に座っていることができず、奇声を発しながらロビーを行ったり来たりしていました。

せっかく楽しく練習を重ねてきたあなたに、舞台に立つ経験をさせてあげたい。

足を運んでくれたお母さんに、あなたの姿を見せてあげたい。

そこで、担任の先生と作戦を練りました。あなたは舞台袖で長時間待機することが難しそうだったから、発表の直前に舞台袖まで誘導することに決まりました。

2月だというのに、私は真夏のように汗だくになりながら、なんとか舞台袖にいるみんなと合流し、本番を迎えました。曲に合わせてダンスを踊り始めたあなたは、お母さんを見つけて、舞台前方に勢いよく進み出て、弾けるような笑顔で踊り切りました。

発表が終わってロビーに移動する際、あなたはロビーに向かわず、別の方向に勢いよく歩いていきました。

どこにいくんだろう。

不思議に思いながら追いかけると、その先にはあなたのお母さんがいました。お母さんの胸に飛び込むあなたは、「お母さん、見てくれた?ぼく踊れたよ」と言っているようでした。

あなたの目からこぼれた涙

4年生のある日、あなたは朝から落ち着かず、奇声を発しながら教室内を行ったり来たりしていました。

担任の先生に、「気持ちが少し落ち着くかもしれないから絵本の読み聞かせをしてあげて欲しい」と言われました。あなたの好きな絵本をいつものように読み始めると、すぐに奇声はおさまりました。ホッとしながら、あなたが読んでほしいと指さした箇所だけを何度も繰り返し読みました。

しばらくすると、あなたは、絵本に添えていた私の右手をつかみ、私の右手で自分の左手の甲を優しくなで始めました。ふと、あなたの顔を見ると、目には涙がいっぱい溜まっていました。
朝から落ち着きなく歩き回りながら奇声を発していたのを思い出し、とっさに、何かあったのかもしれないと思いました。

「何かいやなこと、悲しいことがあったの?」

言葉で表現することが難しいあなただから、返事はないかもしれないと思いつつも、聞かずにはいられなかった。こちらが話していることは理解できているから。

あなたは無言のままでした。

「きっと何かあったんだね。そうか、辛かったね」

今度は、私は自分の意思であなたの手をさすりました。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
とつぶやきながら。

次の瞬間、あなたの目からぽろんと涙がこぼれ落ちました。

絵本の読み聞かせは中断してしまったけれど、あなたの奇声は止んだままでした。気持ちが落ち着いたのか、私と反対の方に顔を向けて机に突っ伏しました。
私は、窓から見える綺麗な青空とぽっかりと浮かぶ白い雲を静かに眺めました。いいお天気で気持ちいいなぁと思ってぼんやりしていたら、あなたは突っ伏した体勢のまま、私の方に少し寄ってきて、その肘が私の手に触れました。

私の存在を感じたかったのかな。

お互いの存在を感じながら、静寂の中で、心地よい時間が流れていきました。あのときの私たちには言葉は要らなかった。私が、あたたかく満たされた感覚を味わっていたから、きっとあなたもそうだったんじゃないかと思っています。

別れが名残り惜しい

そして、あなたが6年生になった今年。
私は卒業まであなたを見届けたいという未練を残しつつも、「もうお腹いっぱい」という感覚に従って、6月いっぱいで支援員を辞めることにしました。

あれから3ヶ月。私は、スポットで運動会のお手伝いに入ることになりました。

運動会の練習も大詰めとなった10月のある日、私は時間になったから、いつものように子どもたちに挨拶をして、教室を後にしようとすると、あなたは「トイレに行っていいですか?」と聞いてきました。担任の先生が不在だったため、代わりに「いいですよ」と答えると、あなたは私の腕を取り、一緒に廊下に出ました。

「次は、運動会の日に来ます。徒競走とソーラン節を楽しみにしています」とあなたに伝えて、トイレの前で別れようとすると、あなたはなぜかそのまま同じ方向に進みました。ずっと私の腕を掴んだまま付いてくるあなたを見て、「これは、もしかしたら、職員玄関まで私のことを見送ってくれるつもりなのかもしれない」と気づきました。

発達障害の子どもは、急な予定変更が苦手なケースが多く、あなたも以前は、私が、帰る予定時間になっても教室に残っていると、「もう帰る時間だよ」と言わんばかりに私に荷物を差し出して、「さようなら」と言って私に手を振っていました。私はいつも苦笑いしながら、「はい、もう時間だから帰りますね。さようなら」と言って、そそくさと退散したものです。

そんなあなたが、初めて私のことを見送ろうと付いてきたことに驚きました。私との別れを名残惜しいと思ってくれているのかもしれないと嬉しさがこみ上げてきました。

玄関前でさようならの挨拶をしても、その場をなかなか立ち去らないあなたに、共に積み重ねて来た日々の重みを感じて、泣きそうになりました。

拍手に包まれた徒競走と涙のソーラン節

運動会当日。
あなたは登校すると、てきぱきと体操着に着替えて、落ち着いて過ごしていました。その姿を見て、1年生のときの運動会を思い出しました。

あなたにとって、初めての運動会。我が子の晴れ姿を見ようと、朝から校庭には大勢の保護者が詰めかけて、ごったがえしていました。
あなたは、その雰囲気に圧倒されたのか、廊下で泣き叫び、教室に入ろうとしません。しばらくして泣き止んだあなたは、校庭を行ったり来たりしながら、あなたなりに運動会を味わっているようでした。

毎年行われる徒競走は、先生の付き添いのもと、お守り代わりにお気に入りの本を片手に持って走るようになりましたが、一昨年からはそのお守りがなくても走れるようになりました。

6年生になったあなたは、お守りの本も、先生の付き添いもなしで徒競走に参加。
一緒に走った同級生が全員ゴールした後も、自分のペースでゆったりと軽やかに走るあなたに、校庭で見守っていた人たちから自然と拍手が起こりました。その温かな拍手に後押しされながら、あなたは最後まで走り切りました。
その姿を通して、「自分のペースで自分の時間を楽しむといいよ」と教えられた気がしました。

そして、ソーラン節。
黒い法被を着たあなたの頭に、私は黄色い鉢巻を巻きました。踊ってもほどけないようにギュッと。がんばってねの気持ちも込めて。

他学年をサポートするため遠くからあなたの演技を見ることになった私は、あなたのことをちゃんと探せるかなと心配したけれど、すぐに見つかりました。
ピッという笛の音で、6年生は一斉に腰を落として、最初の構えをしました。その構えを見た瞬間に私の涙腺は崩壊しました。

もともと、曲に合わせて体を動かすのが好きだったあなた。
でも、最初は手本の演技動画をひたすらじーっと見ているだけで一切踊りませんでした。何度も何度も繰り返し見て、頭にインプットすると、あなたは突然踊り出しました。笑顔で踊るあなたを見て、楽しんでいるのが分かりました。

それでも、年々、演技は難しくなっていきます。振り付けの難易度が上がり、そこに拍ずれの動きや隊形移動も加わります。
昨年、演技練習が始まったばかりの頃、あなたはあまりの難しさに辛くなったのか、床にひっくり返って泣きました。
担任の先生のサポートのもと、スモールステップで練習を積み重ね、運動会当日は満面の笑みで、それはそれは楽しそうに踊っていて、今思い出しても胸がいっぱいになります。

そして、いよいよ小学校最後の団体演技。
同級生たちと一緒に堂々とソーラン節を踊る姿に、あなたの努力と成長を感じて涙が止まらなくなりました。気づいたら、マスクの中は涙でぐちゃぐちゃに。何とも言えない幸せな時間でした。

                              *    * *

言葉で自分の気持ちや考えを伝えられないもどかしさ。

発達障害の特性ゆえの生きづらさ。

たくさんの困難を抱えながら生きているであろうあなただけど、あなたという存在が私に見せてくれた世界はとても豊かで味わい深く、あなたと出会えた幸運に感謝せずにはいられません。

どうもありがとう。

卒業式で会えるのを楽しみにしています。


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