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私がプロのライターになった日 ~人生を愛でる自伝本制作のチャレンジをサポート~

趣味で始めたインタビュー。
やってみたら意外と面白くて、その魅力にハマった。やり続けたら奥が深いことに気づき、3年経った今、思いがけず、初めて仕事のオファーをいただいた。

初めてのオファーをいただくまでの経緯はこちら。

みかさんとの出会い

仕事の依頼者であるみかさんとは、オンラインコミュニティの中で出会った。
オンラインコミュニティ内で、インタビュー本に添える写真を撮影してくれるフォトグラファーを募集した際、その投稿がみかさんの目に留まった。
インタビュー記事を読んだみかさんから、
「記事を読ませていただきましたが、とっても素敵ですね。思わず私も書いてほしい!と思いました」
とコメントをいただいた。
それまでは、私がインタビューしたいと思った人にインタビューをオファーしていたため、私に書いてほしい人がいるということがとても嬉しかった。

どんな方だろうとみかさんのインスタの個人アカウントに飛ぶと、こぼれるような気持ちのよい笑顔が印象的な女性だった。

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さらに、プロフィールに保存されていた自己紹介のストーリーズを見てみると、驚きの事実が。

みかさんは、野口嘉則さん(プロコーチ、心理カウンセラー、作家)に師事し、カウンセリングとコーチングを融合したセッションを行なうメンタルファウンデーション・コーチだった。

野口嘉則さんといえば、「鏡の法則」という著書が有名だが、ちょうど今から10年前に、私は野口さんのオンライン講座を7ヶ月間受講した。
人間学について10数名の仲間と一緒に学ぶ講座で、毎月、テーマに沿った課題図書、講義動画で学びを深め、出された実践課題に取り組み、月末には電話会議で実践してみての感想や気づき、疑問点などを皆で話し合うという、とてもエキサイティングな講座だった。

あそこから私の人生が大きくシフトしたと言っても過言ではないほど、転機となる大きな出来事だった。
その講座からちょうど10年後の節目の年だったこともあり、野口さんに感謝の思いが湧き上がっていたところで、野口さんとご縁のある方に出会い、正直かなり驚いた。
嬉しくて思わずみかさんにメッセージを送り、ぜひ近いうちに会っておしゃべりをしましょうという話になった。

自分の挑戦を応援してもらいながら、一緒に共同創造したい

その後、インタビュイー、フォトグラファーの方とインタビュー本を制作している最中に、突然、みかさんからインタビューの仕事の打診があった。

みかさんは、「今までの自分の人生を愛でるために自伝本を作りたい」と言った。
まだビジネスをスタートしていない段階だったため、思いがけない依頼に驚いたが、みかさんの望みに心が動き、その望みを叶えるお手伝いができると思うとワクワクした。

直感に従って動いて、ワクワクのエネルギーで車輪が回り始めると、物事が望む方向に自然に流れていくんだと知った。

まずは一度、オンラインでみかさんの要望をヒアリングさせていただいた上で、価格を提示することになった。(インタビュー本を完成させたら、ビジネスとしてやっていこうと思っていたため、まだ価格設定もできていなかった…)

互いに簡単な自己紹介をするつもりが、自己紹介だけで大いに盛り上がった。聴きたいことがたくさん出てきたが、そこはまたの機会にして、今日の本題であるヒアリングに入った。

ある人の挑戦を応援する周りの人たちの姿を見てグッときたというみかさん。「私も誰かに応援してほしい」という望みが湧いた。挑戦している私を、周りの人たちに応援してもらいながら、チームになって何かを創造してみたいと思った。
その望みに気づいた時、若かりし頃に漠然と思い描いていた「自伝本を作りたい」という夢を思い出した。

有名人でもない自分は自伝本を出版するのは難しいと思っていた。しかし、作りたいのであれば、自分で作ればいいんだと思い至った。
どうやって自伝本を作ろうかと考えたが、みかさんは文章を書くことに苦手意識があった。と同時に、自分が書く文章とは別に、自分が望む、好きな文章があると思った。
そこで、自分が好きな文章を書くライターにお願いすることで、一緒に共同創造できるのではないかと閃いた。そうすれば、その方にお金が入り、お金というエネルギーの循環もできると思った。

私は、丁寧に自己対話をして、自分の本音を掴んで行動したみかさんに心惹かれ、みかさんとの共同創造に思いを馳せて、静かなワクワクを感じた。

初めての価格設定

さあ、いよいよ価格設定。
自分がしっくりくる価格は果たしていくらなのか。
そもそもの相場が分からなかったため、ネット検索をして、情報を収集する。その上で、自分がピンとくる金額を検討する。
「うーん、どうしよう」
と迷っていると、夫が「迷っているのは、値段を下げようと思っているからだよね」と言った。

私にとって初めての仕事のオファー。
0(ゼロ)が1になるというのは、とても大きい。1が2になるのとはわけが違う。注文をもらいたいがために、無意識のうちに値段を下げようとしている自分がいた。
私がこの仕事を引き受けるのに納得がいく価格を提示して、その金額に合意してくださった依頼者の方と一緒にインタビュー記事を作る方が、いいものが作れると思った。
また、「自分の人生を愛でたい」と言うみかさんに、この金額を自分のためにかけるかどうかをしっかり決めてほしかった。
そう思ったらスッキリと金額が決まった。

緊張と喜びを味わい、覚悟が決まる

翌日、みかさんから正式なオファーをいただいた。
そのメールを読んで、「わぁ、本当に来ちゃった…」と全身に緊張が走った。この金額に見合う仕事が私にできるのかという怖れが出てきた。
咄嗟に、ベランダに出て、外の空気を吸おうと思った。
私にとってベランダはとても心地のよい場所だった。目の前に広がる夕方の空と林を見ながら、肌を優しくなでる風を感じるとホッとして、ゆったりとした呼吸に戻ってきた。
すると、じわじわと喜びが込み上げてきた。
この喜びを、思う存分、自分に味わわせてあげようと思った。
静かで幸せな時間が流れていった。

ふと、昨年の編集ライター講座で、講師の石川拓治さんから、著書「奇跡のリンゴ」をいただいたことを思い出した。

「奇跡のリンゴ」は、NHKの番組「プロフェッショナル仕事の流儀」で有名になった青森のりんご農家である木村秋則さんが、不可能と言われたりんごの無農薬栽培に挑戦する壮絶な物語だ。

石川さんは、スキンヘッドに眼鏡のおっちゃんで、街中で会ったら、ちょっと警戒してしまうような強面な風貌。しかも、かなりのヘビースモーカー。返却された課題文章は、いつもほんのりとたばこの臭いが付いていた。
見た目とは裏腹に、話すと笑顔がキュートで、飾らない人柄でフランクに受講生とのやり取りを楽しむため、人気があった。
今更ながら「奇跡のリンゴ」を読んだ私は、その取材力、構成力、文章力に舌を巻いた。プロって凄いと思った。足繁く青森に通い、木村さんとお酒を酌み交わし、りんご畑で書いたという原稿には、木村さんへの愛と尊敬の念がにじみ出ていた。

そういう仕事をいただけたんだと気づいた時、さらに喜びが込み上げてきた。あの時は、まさか一年後に仕事をいただけるとは想像もしていなかった。今まさにその場所に立てていることがとても感慨深かった。

依頼者の期待に応えられるか、満足してもらえるかどうかは、私がコントロールできることではない。私ができることは、ただただベストを尽くすこと。そう思えたら、自分に力が戻った。
嬉しいことに、みかさんは私の書く文章を気に入ってくれて、私と一緒に共同創造することを楽しみたいと言ってくれた。私も、このご縁に感謝しながら、みかさんとの共同創造を楽しもうと思った。

みかさんにとっても、この金額はチャレンジだった。
何の利益にもならない「自伝本を作りたい」という望みと、「これをやったらどうなるんだろう。見てみたい」という好奇心だけで、この金額を払ってしまっていいのかなという躊躇があった。
自分でOKを出せる金額はいくらなんだろう。
みかさんは、お金を通して自分自身と向き合った。

「お金を払うことへのチャレンジにもなるし、エネルギーを回すということを考えたら『これ、やりたい!』と純粋に思いました。エネルギーを回していくと、自分が出したのがお金で、戻って来るのがお金ではなかったとしても、回って来るものがたくさんあると実感していたので、最終的にはやろうと決めました。ゆっこさんにお願いしたら、どんなふうに一緒に進めていけるんだろう、どんな形のものが出てくるんだろうと楽しみでした」

映画「奇跡のリンゴ」からアイデアを得る

みかさんに「奇跡のリンゴ」のエピソードを伝えると、実はみかさんは、過去にこの「奇跡のリンゴ」を読んだことがあり、その時に「こんなふうに自分のことを綴ってもらえたらいいなぁ」と思っていたと知り、そのシンクロに驚いた。

私から「奇跡のリンゴ」の話を聴いたみかさんは、映画「奇跡のリンゴ」を観てみることにした。自分の人生もこんなふうに書籍化されて、映画化されたら嬉しいなぁと想像を膨らませた。
「書籍化も映画化も、有名人や世の中に貢献をした人でなければできない、普通の人は無理と思いがちだけれど、望むのは自由だし、頭の中で考えて、誰かに話したところで迷惑をかけないからいいか」
とみかさんは思った。
むしろ周りの人に言った方が現実化しやすくなるから、とてもいいと私も思った。

映画を観たことで、みかさんはインタビューのアイデアを思いついた。
私が、「静かで落ち着いて話せる場所でインタビューをさせていただきたい」と伝えたところ、みかさんのご自宅でインタビューすることになったのだが、みかさんは「私の人生を書いてもらうのなら、ドライブがてら生まれ育った場所を見て、知ってもらうといいのかな。その足で実家に立ち寄り、そこで取材していただくといいかも」と思った。
とはいえ、「忙しいだろうし、帰りの電車の時間もあるだろうから、そんなに連れまわしてしまうのもどうなんだろう」と提案することを一瞬、躊躇した。

「でも、野口さんの元で心理学やコミュニケーションの基礎を学んで、さらにこのオンラインコミュニティでも意識について学んで、自分の内面としっかり向き合っている方だから、嫌だったらきちんとお断りしてくださるだろうと思って、安心して提案することができました。その結果で、また考えればいいと思って素直に言えました」
とみかさんは語った。

私は、みかさんのその申し出にとてもワクワクした。みかさんの人生、特に幼少期の話を書く上で、生まれ育った土地を五感で感じることは大きなプラスになると思い、その申し出をありがたく受けることにした。

必要な情報は必要な時にきちんと入って来るんだとみかさんは感じた。

カメラの前で笑えなかった少女が、心からの笑顔を取り戻すまでの軌跡

そして、インタビュー初日。
新幹線を使うと、私は一気に旅人気分になった。みかさんの過去のブログの投稿を読みながら、これから行なうインタビューに心を躍らせて、みかさんの待つ群馬に向かった。

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群馬に降り立つと、みかさんが車から降りてきて、笑顔で出迎えてくれた。
その姿を見て、思わず心が「!」と反応した。上は白、下はグリーンのスカート、靴はシルバー(のちに同じメーカーだと判明)、腕には天然石のブレスレット。
「私の恰好と一緒だ!」
見事なまでのシンクロだった。

インタビューの冒頭に、みかさんは小さい頃の写真を何枚か見せてくれた。
そのどれもが、口をギュッと真一文字につぐんでいた。
すべてのストーリーを聞き終えた時、これは、カメラの前で笑えなかった少女が、心からの笑顔を取り戻すまでの軌跡だと思った。テーマは決まった。

みかさんのことを書くにあたり、彼女の人となりをもっと知りたいし、感じたいと思ったが、仕事が個人セッションだったため、仕事の様子を見るのは難しかった。
すると、近々、講師を呼んで講座を主宰するとのことだった。迷惑でなければ、ぜひ見学させてほしいと頼みこんだが、残念ながら、その講座はコロナの影響で延期になってしまった。それでも、みかさんは、「私を少しでも理解しようとするその気持ちが嬉しかった」と言ってくれた。

2週間の夏休みを利用して、そこで執筆に集中した。
録音起こしだけで50,000字になり、これだけの膨大な量のインタビューを一つにまとめるのは初めてのチャレンジだった。
構成は決まった。あとは、私が決めたテーマに必要な情報を取捨選択していった。

私にとって印象的なシーンは二つあった。

一つは、不器用で、怒り以外の感情表現をほとんどしてこなかったみかさんの父親が、辛い現実に打ちひしがれて泣きじゃくるみかさんの手をそっと握るシーン。
私はその場にいたわけではないが、その情景がありありと目に浮かび、父の娘への愛情を感じてグッときた。

もう一つは、2年前に結婚した旦那さんにみかさんが甘えるシーン。
ありのままの自分を素直に出し、甘えたり、わがままを言ったりするみかさんと、そのみかさんをそのまま受け入れてくれる旦那さん。
それは、気が強くて甘えられなかった子どもの頃のみかさんが、やりたくてもできなかったこと。そして、本当はなりたかった自分だった。
インタビューをしながら、みかさんのインナーチャイルドが喜んでいるのを感じて、私は胸がいっぱいになった。

そして、みかさんを通して、10年前にお世話になった野口嘉則さんと綾さんご夫妻の愛に触れることができたのも嬉しいことだった。

出来上がった初稿をみかさんに送付し、赤入れをしてもらった。
ドキドキしながら、みかさんの感想を待っていると、

「今も思い出すと涙が出てきちゃうんですが、原稿を受け取って読んだときに、自分の人生をこんなに大切に扱って文章化してくれる人がいるというのが本当に嬉しくて。こんな経験ができたんだってそれだけで満足して、やってよかった!と思いました。
私がとりとめもなく話したことを綺麗に文章にまとめてくださって、私が伝えたかったことは、まさにこれなんですって感じました。
ゆっこさんがソース(源)の視点で書いてくださった最後の言葉が嬉しくて、何度も読み返しました」
というありがたい感想をいただいた。

そのみかさんの言葉が嬉しくて、私は何度も喜びをかみしめた。

みかさんは、一度赤入れをした後に、しばらく寝かせてからまた文章を見直した。じっくりと時間をかけて、丁寧に赤入れをしていった。
そして、その赤入れを元に、私たちは再度、打ち合わせを行なった。
みかさんの思いを汲み取りつつ、どうしたら読者により分かりやすく伝わるのかという観点で、二人で文章を見直して、修正をかけていった。

私をイラスト化してほしい

現在、原稿は私の手を離れ、みかさんが大好きなイラストレーターののってぃさんに挿絵を描いてもらっている段階だ。

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「ゆっこさんのように文章に写真を添えるのも素敵だなぁと思ったんですけど、私はイラストや漫画が好きで、自分をイラスト化してほしいという気持ちがあったから、のってぃさんにお願いしました」

このアイデアを聞いた時、インタビュー記事の可能性を感じた。
私は、文章に写真を添えて一冊の本を作ったが、文章とイラストのコラボもいいなぁと思ったし、それ以外のコラボもまだまだ色々ありそうだとワクワクした。

原稿を読んだのってぃさんは、
「自分の人生を愛でるために、自分の人生を書籍化するということを、皆さんが当たり前のようにやり始めたらいいですね」
と言った。

たしかに、私の周りの人たちに、「自分を愛でるために自伝本を作りたいという方のお手伝いをさせていただいている」と話したら、「いつか自伝本を作りたいと思っていた」「私もいずれやってほしい」という声が意外にも多くあった。

「でも、実際に自伝本を作るとなると、躊躇が生まれたりすると思うんです。
のってぃさんに『みかさんの共同創造のチャレンジをオンラインコミュニティ内でシェアするといいと思いますよ。そうすれば、自伝本を作りたいけれど躊躇している人たちの後押しになるだろうから』と言われて、投稿してみました。
誰かがやっていれば、ああ、やっていいんだって自分に許可が出ますよね」
とみかさんは言った。

みかさんの場合は、そもそも、「インタビュー記事を書きます」と宣伝すらしていなかった私に自伝本作成の打診をするという行動力があった。みかさんのそうしたチャレンジする姿に感化される人たちがきっと出てくるだろう。

私自身は、自伝本というのは自分を愛でるための一つのツールだと思っている。メイクアップ、ファッション、写真撮影、セッションなど、自分を愛でるためのツールが色々とある中で、自分がピンと来る形でぜひ自分を愛でてほしいと思う。

あの文章にどんな挿絵が付くのか、私も楽しみで仕方がない。
そして、一冊の本になったときに、みかさんが何を感じるのか。その日が待ち遠しい。

本が完成した暁には、本に関わった人たちやみかさんの大切な人たちが集って記念パーティーができたら…と妄想したら嬉しくなって、みかさんに伝えたら、「ぜひやりたい!」との返事だった。

みかさんの「自分の挑戦を応援されながら、仲間と一緒に共同創造したい」という望みは、周りの人たちを巻き込みながら、幸せなエネルギーの渦を作って広がっている。



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