箱根駅伝・山下りの旅 #1 小田原から箱根湯本
駅伝とカーレース
この正月に、箱根駅伝を見ていた。
陸上競技に縁のない自分にとって、箱根駅伝を見ていて面白いと感じるのは、(往路でいえば)一区と五区だ。
一区は、自分の知っている土地を走るから面白い。
「ああ、そろそろ東京駅だ」と思うと、レンガ色の駅舎が画面に入る。
「もうすぐ帝国ホテルだ」と思うと、正面玄関への入口がチラリと流れる。
これが楽しい。つまり自分は、レースを楽しんでいるのではなく、選手たちの後ろに見える〝景色〟を楽しんでいるのだろう。それは列車に乗って、車窓からの眺めを楽しむのと似た感覚かもしれない。
五区は箱根の山登り、復路の六区は山下りだが、これは単純に山の中という変わった所を走るから面白い。F1レースでいえば、市街地を封鎖して行われるモナコグランプリを特別に面白いと感じるのと同じ理屈だ。
一区はともかく、あの山登りの間、選手はどれくらい苦しいのだろう? 画面に見えているあの坂は、どれくらい急なのだろう?
誰もが知っている箱根駅伝だ。一生に一度くらいは、あの道を自分の脚で歩く、という体験をしておいてもよいのではないか。自分の体力では、登りはとても無理だろうけれど、下りならイケるのではないか。
そう思ってグーグルマップを開き、山下りのスタート地点の「箱根町港」と、ゴール地点の「風祭駅」付近の間の距離を、目分量で測定してみた。
およそ一二キロメートル。
自分はいつも、一キロメートルあたり一五分と計算している。つまり一時間で四キロメートル進める。一二キロメートルなら三時間だ。まして下りなら、三時間もかからずにゴールできるのではないか。――
箱根駅伝の山下りコースを歩いてみる、という思いつきには、現実味がある。
(注意:後で判明したが、一二キロメートルという目算は正しくなかった。)
箱根に誘われた理由は、もう一つある。
昨年末に『MFゴースト』というアニメを視聴していた。
ペーパードライバーの自分は、自動車には関心がない。それでも最終話まで見続けてしまったのは、物語に出てくる男女の描かれ方が、完全に〝男目線〟だったからだ。
設定は西暦二〇二X年。電気自動車と自動運転が普及した日本で、公道を使って時代遅れのガソリン車のレースが行われている。
イギリスからやって来たハーフの青年レーサーに、アルバイトでレースクイーンをしている女子高生が憧れる。
近い将来が舞台のようだが、そこに描かれる恋愛模様は、現在を基準にしても、すでに古い。違和感がありありだ。
その違和感を味わうために、毎回見ていた。こんなアニメを見て喜んでいるのは、昭和生まれのオッサンしかいないだろう――そう一人でツッコミを入れながら、とうとう終いまで見きってしまったというわけだ。
そのレースが行われるのが、箱根だった。調べてみると、MFゴーストと箱根駅伝のコースは、半分ほど重複しているではないか(!)。
それで昨年末から年始にかけて、「箱根」という地に、関心のスポットライトがあたっていた。
駅伝とMFゴースト――この二つに背中を押されて、自分は何年か振りで箱根に向かうことにした。
小田原
前日は、辻堂駅前のインターネットカフェに宿泊した。
午前七時、天気は快晴。絶好の〝山下り〟日和だ。
JR東海道線で小田原駅に向かった。
時間に余裕があるので、小田原城に寄ってみることにした。これまでは、遠くから眺めたことがあるだけだった。
線路沿いの道を南に進んだ。
「箱根八里」と書かれた看板が目に入った。
昔は池があったらしい芝生の空間から、敷地内に入った。
現在は跡形も無いが、小田原御用邸はこの辺りにあったらしい。
城の堀は水深が浅かった。大きな黒い鯉が、背中の上半分を空気にさらしながら、水底の土を口で掘り返していた。
藤棚から、紫色の花がたくさんぶら下がっていた。熊蜂が音をたてていた。
天守閣を目指していたのだが、いつの間にか神社に入っていた。
報徳二宮神社といった。
御祭神は二宮尊徳、一七八七年生まれ。
天照大御神から徳川家康から明治天皇から、日本人は誰でも神様にしてしまう。これから新しい神が産まれる可能性だってあるわけだ。
神社脇の坂道から、天守閣の広場にあがった。崖に赤土が見えた。小田原城は、天然の小山の上に建てられたのだろう。
腹が減っては山下りはできぬ。
駅に戻り、小田急線の改札前のコンビニエンスストアで、わかめおにぎり一個と塩むすび一個を購入した。戦場のように混雑していた。
箱根湯本
箱根湯本行きは、フォームの前の方に停車していた。係員の声に励まされ、発車間際の列車に飛び乗った。
小田原から箱根湯本までの路線は、車道に沿ってほぼ直線だが、すでに緩やかに登っていた。
歩くのは下りコース、と決めてよかったと思った。何時間か後には、この辺を歩いている自分がいるはずだ。
小田原から一〇分ちょっとで、箱根湯本駅に到着した。
この先さらに強羅方面へ行く客は、同じフォームの前方に停車中の別の車両に流れて行った。
自分は箱根町港までバスで行く。出発は九時四五分だから、まだ一時間以上の余裕がある。
改札を出て、周辺を散策することにした。
箱根に来たことは何度かあるが、途中の箱根湯本で降りたことはなかった。
駅のすぐ傍を、大きな川が流れている。早川と云い、大きな音をたてていた。
開店前の静かな商店街を進んで、小さい橋を渡った。
ここには、スーツケースを転がす外国人観光客がたくさん歩いていた。
もう一つ橋を渡ると、急な坂道にぶつかった。
この坂の上に、かつての東海道があるはずだ。
川のある温泉街の風景は、札幌の定山渓に似ている、と思った。
東海道の道幅は狭かった。いわゆる、街道の道幅だった。
ぎりぎり一方通行に規制していない、という感じを受けた。
歩道部分は緑色にペイントされているが、「できれば歩くな」と言われているようである。
道の両側には、旅館の建物が点在していた。
この感じは、仙台の秋保温泉に似ているな、と思った。
やがて旅館の姿が消えて急に寂しくなったので、引き返すことにした。
途中で小径に入り、濡れた急坂を、足元を見ながら下った。坂は途中から階段に変わった。
ひとつ下の通りは、湯場滝通りと云った。
ここにも川が流れていた。すぐ先で早川と合流する須雲川である。
これに沿って、道がつくられていた。散策するには、こちらの方が向いていた。
途中、川底の石が、小さな円い風呂をいくつも造るように並んでいた。
自然とこのような形状にはならないだろう。もしかしたら、昔はこうして石を積んで、川中の湯に入ったのではないか、と想像した。
河鹿荘という大きな旅館の裏の細道を、川沿いに駅の方へと進んだ。
人通りが無く、陽があたって心地よい。
大きな瀬音が耳を叩く。
ふと見上げると、旅館のベランダに、浴衣姿の西洋人女性が静かに立っていた。何やら深刻そうな顔を、川面に向けていた。
(次回に続く)
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