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正岡子規『はて知らずの記』#12 七月二十九日 仙台→塩釜→松島

(正岡子規の『はて知らずの記』を紹介しています)

憧れの地へ。松島!松島!松島!


二十九日、つつじが岡に遊ぶ。
躑躅岡とも書き、山榴岡とも書きて、
古歌の名所なり。
仙台停車場のうしろの方にあたれり。
杜鵑花は一株も見えざれど、
桜樹、茂りあひて
空を蔽ひ、日を遮ぎり、
只、涼風の、腋下に生ずるを覚ゆ。

汽車、塩釜に達す。
取りあへず、塩釜神社に詣づ。
数百級の石段、幾千株の老杉、
足もと、ひやひやとして、
巳に、此世ならぬ心地す。
神前に跪き、拝し終りて、
和泉三郎寄進の鉄燈籠を見る。
大半は当時の物なり、とぞ。
鉄、全く錆びて、
側の大木と共に、
七百年の昔、
ありありと眼に集まりたり。

炎天や 木の影ひえる 石だたみ

社頭に立ちて
見渡す塩釜の景色、
山、低うして、
海、平かに、
家屋、鱗の如く並び、
人馬、蟻の如く往来す。
塩焼く煙か、と見るは、
汽車、汽船の出入りするなり。
歌詠む貴人にや、と思ふは、
日本の名所を、洋文の案内書に
教へられたる紳士なめり。
山水は依然たれども、
見る人は同じからず。
星霜、移り換れども、
古の名歌は、猶、存す。
しばし、石壇の上に佇みて、
昔のみ、思ひいでらるるに

涼しさの 猶有り難き 昔しかな

小舟を雇ふて、塩釜の浦を発し、
松島の真中へと漕ぎ出づ。
入海、
大方、干潟になりて、
鳧の白う、処々に下り立ちたる、
山の緑に副へて、ただならず。
先づ第一に見ゆる小さき島こそ
籬が島にはありけれ。
此の島、別にさせる事なきも
其の名の聞えたるは、
塩釜に近き故なるべし。
波の花もて結へる、
と詠みたるも面白し。

涼しさの ここを扇の かなめかな

山、やうやうに開きて、
海、遠く広がる。
舟より見る島々、
縦に重なり、横に続き、
遠近、弁え難く、
其数も亦、知り難し。
一つと見し島の
二つになり、三つに分れ、
竪長し、と思ひしも、
忽ちに幅狭く、
細く尖りたり、と眺むる山の
次第に、円く平たく成り行くあり。
我、位置の移るを覚えず、
海の景色の、活きて動くようにぞ、
見ゆるなる。
細くやさしく
手のひらにも載せつべき島の
波に洗はれて、
下瘦せ、上肥えたるが、
必ず一もと、二もとの松、
倒まに危うく這ひ出でたる中々に、
大きなるにまさりたり、と
見る見る外の島に隠れ行きたる、
いとあかぬ心地す。
船頭のいふ、
松島七十余島
と、いひならはせども、
西は塩釜より、東は金華山に至る
海上十八里を合せ算ふれば、
八百八島あり、とぞ伝ふなる。
見給へや、かなたに頂高く顕れたるは、
金華山なり。
こなたに聳えたる山嶺は、富山観音なり。
舳に当りたるは、観月楼
楼の右にあるは、五大堂
楼の後に見ゆる杉の林は、瑞岩寺なり。
瑞岩寺の左に高き建築は、観瀾亭
稍々、観瀾亭に続きたるが如きは、
雄島なり。
いざ、船の着きたるに、
たうたう上り給へ、といふ。
恍惚として、観月楼に上る。

涼しさの 眼にちらつくや 千松島

障子、明け放ちて
眺むる風光、眼にも尽きねど、
取りあへず、観瀾亭に行く。
此宿の門前、数十歩の内なり。
老婆、出でて案内す。
此家は、伊達家の別荘にして、
建物は、三百年の昔、
豊太閤が伏見桃山に築き給ひしを、
貞〈山〉公(政宗)に賜はり、
其後、当家三代肯山公の
ここに移されし者なりとぞ。
彫刻、鈿鏤の装飾、無しと雖も、
古樸にして、
言ふべからざる雅致あり。
数百の星霜を経て、
毫も、腐朽の痕を見ず。
伝えいふ、
此の建築、一柱一板、
尽く唐木を用う、と。
蓋し、一世の豪奢なり。
襖、板戸の絵は
皆、狩野山楽の筆とかや。
踈鬆にして、しかも濃厚の処あり。
狩野家中の一派にやあらん。
廊下に座して見渡せば、
雄島、五大堂を左右に控え、
福浦島、正面に当り、
其他の大島小嶼、錯伍して、
各媚を呈し、
嬌を弄す。
真に美観なり。
嗚呼、太閤、貞山、
共に天下の豪傑にして、
松島は、扶桑第一の好景なり。
而して、其人、
此亭中に、此絶勝を賞するに及ばず。
此景、此亭に其人を容れしむる能はざりしは
千古の遺憾と謂はまくのみ。
然れども、風光依然として
天下に冠たる限りは、
涼風万斛、夏を忘るるの頃、
明月一輪、秋、正に半なるの時、
両公の幽魂、手を握つて
此処に遊観、彷徨するや必せり。
吾、一介の窮措大、
固より、矛を横へて
千軍万馬を走らするの勇無く、
手を拱して
一州一郡を治むるの能無しと雖も、
其意気、昂然たる処に於て、
豈敢て、人に譲らんや。
況んや、風月の權に至りては、
大明を驚かし
羅馬を瞞するの手段を以て、
猶且つ、之を一書生の手より
奪ふべからざるをや。
独り、亭前に踞して
左顧右眄すれば、
両公、彷彿として、
座間に微笑するを見る。
而して、傍人、
固より知らざるなり。

なき人を 相手に語る 涼みかな

瑞岩寺に詣づ。
両側の杉林、
一町許り奥まりて、山門あり。
苔蒸し、蟲蝕して、
猶、旧観を存す。
古雅幽静、
太だ愛すべきの招提なり。
門側、
俳句の碑、林立すれども、
殆ど見るべきなし。

春の夜の 爪あがりなり 瑞岩寺 乙二

の一句は、
古今を圧して、
独り、卓然たるを覚ゆ。
寺に入りて、宝物を見る。
雛僧、案内して、
玉座のあと、名家の画幅、
外邦の古物、八房の梅樹等、
一々に指示す。
唯、たふとくのみ覚えて、
其名を記せず。

政宗の 眼もあらん 土用干

五大堂に詣づ。
小き島二つを連ねて、
橋を渡したるなり。
橋は、をさ橋とて、
をさの如く、
橋板、疎らに敷きて、
足もと危く、
俯けば、水を覗ふべし。

すずしさや 島から島へ 橋つたひ

日、やうやう暮れなんとす。

松島や 雄島の浦の うらめぐり
 めぐれどあかず 日ぞ暮れにける

旅亭に帰り、
欄干に依りて見る島、いくつ、
松の木の、生ひぬもなければ、
月、さし上りて、
金波銀浪に浮き出づる島々、
いづれか小蓬莱ならざらん、と
夜景、先づ俤に立ちて、
独り、更のたくるをのみ待つ。
空は、陰雲、閉ぢて
雨を催ほさんけしきなるに、
一夕立の過ぎなば
中々に晴るる事もあらんか、
と空だのみして

夕立の 虹こしらへよ 千松島

 闇は先づ、遠き島山より隠して、
やうやう夜に入る。

灯ちらちら 人影涼し 五大堂

今や、月、出づらん、
と、眼を見張るもをかしく

松島の 闇を見て居る すずみかな

小舟、二艘許り、
赤き提灯をともしつらねて、
小歌を歌ひ、月琴を弾きなどしつつ、
そこここと漕ぎまはるは、
かれも月を待つなるべし。

ともし火の 島かくれ行く 涼み船

うれしや、
海の面、ほのかに照りて、
雲の隙に、月の影こそ、
現れんとすなれ。

波の音の 闇もあやなし 大海原

 月いづるかたに、島見えわたる

すずしさの ほのめく闇や 千松島

一句二句、うなり出だす間もなく、
月は再び隠れて、
此あたりの雲の中、とばかり、
それだに覚束なし。
あはれ、こよひ一夜こそ
松島の月を見ん、と来しものを

心なき 月は知らじな 松島に
 こよひばかりの 旅寝なりとも

観月という楼の名を力に、
夢魂、いづこにや迷ふらん。


つつじが岡(→榴岡)

花咲きいづる頃想ひやらる。天神廟あり釈迦堂あり。天神廟内に俳句抔を刻みたる碑の累々として悪句捨句の感あるは雅中の俗なり。(可なる者只買明蓼太二人の句のみ)桜の並樹に沿ふて見込み深く柵をめぐらしいかめしき番卒の睨みたるは兵営にして俗中の俗なり。若し兵営よりして謂はば俗中の雅にやあらん。我は只仙台公園のここに在らぬを怪しむのみ。(初出)

仙台停車場(→仙台駅)

塩釜(→旧塩釜駅)

塩釜神社

籬が島

観月楼(→宿としては現存しないか)

観瀾亭

瑞岩寺

五大堂

菓翁との対談を最終として、其後子規は宗匠訪問を断念してしまつた。恐らく空疎な醜悪な対人関係で対山水関係の清浄な充実した詩境を攪乱されることを忌避したのであらう。松島の観瀾亭に行つた時の感想は、この旅中の不平不満が近因を為して、やや誇大に失するかとも思はれる程、子規自身の懐抱を物語つてゐる。(…)豊太閤と伊達政宗を向ふに廻して大見えを切つてゐる処に、子規の若さの血の脈々と浪打つてゐるのを感ずる。固より漫然として芭蕉の後塵を拝する松島耽美の俳諧者流では無かつた。(河東碧梧桐『子規の回想』)


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