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正岡子規『はて知らずの記』#03 七月二十日 宇都宮→白河

(正岡子規の『はて知らずの記』を紹介しています)


二十日、汽車、宇都宮を発す。
即景

田から田へ うれしさうなる 水の音

名に聞えし那須野を過ぐるに
見渡す限り、夏草、生ひ茂りて、
たまたま木あり、とも
長三尺には足らざるべし。
唯、ところどころに
菖蒲、瞿麦の
やさしう咲き出でたるは、
何を力にか、
と、いと心もとなさに

下野の なすのの原の 草むらに
 おほつかなしや 撫し子の花

草しげみ なすのの原の 道たえて
 なでしこ咲けり 人も通はず

常陸の山脈、東南より来り、
岩代の峰勢、西北に蟠る。
那須野、次第に狭うして
両脈峰尾、相接する処、
之を白河の関とす。
昔は、一夫道に当りて
万卒を防ぐ無上の要害、
奥羽の咽喉なりし、とかや。
車勢、稍緩く、山を上るに、
このあたりこそ白河の関なりけめ
と、独り思ふものから、
山々の青葉、風涼しくして
更に紅葉すべきけしきにもあらず。
能因は、まだ窓の穴に首さし出す頃なるを、
きのふ、都をたちて、
けふ、此処を越ゆるも思へば、
汽車は、風流の罪人なり。

 汽車見る見る 山をのぼるや 青嵐

白河駅に下る。
忽ち雨、忽ち晴。
半は照り、半は降る。
定まらぬ天気は
旅人をもてなすに似たり。
白河の東、半里許りに
結城氏の城址あり、と聞きて、
畦道辿り行く。
水車場をめぐりて
山に上る事、数十歩、
高さ幾丈の巌石を、巧みに鉛直に削りて、
其面に、感忠銘と題せる文を刻せり。
ここは、結城氏の古城の搦目手にして
今まに搦目と称へたり。
前に川を控へ、後は山嶺、相接せる
険要にして、しかも風光に富めり。
此城出来し後、
白河二所の関は廃せられたり、といふ。
(二所の関といふは、無類の要害なればとて
二重に関を構へたる故なり)。
しばし碑前にやすらへば、
涼気、襟もとに滴るが如し。

涼しさや むかしの人の 汗のあと

白河に帰り、中島某を訪ふ。
此人、風流にして、
関の紅葉を取りて、扇などにすかしたり。
当駅は、二千戸許りの都市にして、
今は閭門寂寥、
行人征馬の往来も稀なるに、
独り、紅粧翠鬟を儲ふるの楼閣、
巍々として一廓を成すは、
昔の名残にやあらん。
後庭華を歌ふの声だに
多くは聞えず。

夕顔に 昔の小唄 あはれなり


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