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箱根駅伝・山下りの旅 #4 小涌園から風祭

宮ノ下まで

 湯から足を抜き、再び山下りを始めた。
 しばらくは、坂道ながら、住宅地のような景色の中を歩いた。
 外国人の姿が再び見られるようになった。
 ラフな格好をした西洋人が多い。この辺りは、こじんまりとした、彼ら好みのゲストハウスが点在しているようだった。
 左手に見える校舎は、箱根中学校だった。こんな処に登校している中学生がいるのだ。
 右手には、彫刻の森美術館が出現した。
 彫刻の森美術館?
 自分はかつて、ここに電車で来たことがある。最寄りは確か、彫刻の森という駅だ。
 おかしい。駅伝コースを行けば、次は小涌谷の駅にぶつかるはずなのだ。
 スマートフォンを取り出して、マップを表示する。
 道を間違えたことに気づいた。
 かなり坂を下って来たというのに……。痛恨のミス。
 先ほど通過したセブンイレブンの交差点で道を間違えたのだ。
 外国人カップルの背中を見ながら、引き返す。
 時間と脚の筋力をロスした。 

 気を取り直して、未知の道を歩き始める。
 歩道は再びなくなった。
 どうやら歩道は、宿やバス停がある所にのみ出現するようだ。
 当たり前と云えば当たり前の事実に、今ごろ気がついた。
 踏切にぶつかった。
 ちょうど列車が通過するところで、箱根登山鉄道の可愛らしい車両が、ノソッと姿を見せた。

小涌谷駅そばの踏切

 駅伝コースに踏切があるとは知らなかった。
 ということは、競技中は電車の運行を止めているのだろうか? と疑問に思った。

 路側帯歩きが続く。
 踏切を過ぎた辺りから水音がして、左手に川が付き添うようになる。
「H」の赤いバスと「Z」の白いバスが、後ろから前から、自分の横を通り過ぎて行く。
 車内の客の眼に、単独歩行者の自分はどのように映っているのだろう。

 歩きながら疑問に思っていたことがある。
 選手たちも本番前に、実際のコースを歩いてみる、ないしは走ってみる、という経験をするのだろうか?
 すると、駅伝の練習中に交通事故死したという選手の「鎮魂の碑」に出くわした。昭和三一年に、そういう事故があったらしい。
 答えが判った気がした。

無念の鉄道利用

 宮ノ下のT字型の交差点に到着した。
 一四時三七分だった。
 コースの半分まで来ただろうか。仮にあと二時間かかるとしても、まだ帰りの列車を心配する時刻ではない。
 偉観を誇る富士屋ホテルの先には、小さな商店が並んでいる。
 その中に写真館があった。
 飾り窓の中に、一九七八年に撮影したというジョン・レノンの写真を見つけた。妻オノ・ヨーコと、幼いショーン・レノンも一緒に入っている。
 思いがけない遭遇に、嬉しくなった。

 やがて商店の並びが切れた。
 そこから先は、再び歩道が消えていた。
 道幅は、これまで以上に狭くなっているようだった。
 上方を樹が閉ざしていて、そこから先の道が、緑のトンネルのように見えた。
 車道の左の線のすぐ傍に、ガードレールが迫っている。
 そこで足が止まった。
 ここから先を徒歩で進むのは、何だか大人げないことのように思われた。
 けれど、まだ時間はある。
 ここで歩きをやめてしまえば、駅伝コースを自分の脚で経験する、という目的を完遂できなくなってしまう。
 迷った。
 歩道の尽きた一号線の手前で、行っては戻りを、二三度繰り返した。
 結論――諦めることにした。
 途中から鉄道を利用した、というハプニングも一興ではないか。
 駅伝と同じ道を行くバスの利用も考えたが、料金が高いのでやめた。
 電車を使って少し時間を稼いで、ゴールは自分の脚で通過すればよい。
 少し引き返して、坂の上にある宮ノ下の駅へ向かった。
 ちょうど列車が入線してくるところであった。
 自動券売機に急いで硬貨を呑み込ませて、先頭車両に飛び乗った。

 入ったところが、運転席の真後ろだった。
 最新型の車両のようだった。
 先頭部も、運転席の後ろの仕切りも、全面ガラス張りになっており、前方の景色も、運転手の操作も、丸見えである。
 それを、後方に並ぶ席から眺めて愉しむ、という趣向のようであった。
 ならば、自分がこの位置にいては邪魔になる。これではまるで、自分は途中駅から展望を邪魔しにきた闖入者ではないか。
 乗客の眼が、こちらに集まっているような気がした。
 しかし席は埋まっている。
 かと言って、彼らの視界の妨げにならないよう、自分が後方の出入口付近に退避する、というのも、何だか気を遣い過ぎのような気がした。
 ここには立つな、とは書かれていないのだから。
 そこで、左側の壁に身体をくっつけ、その位置から、自分も前方の景色を愉しむことにした。

ラストスパート

 電車は三回、スイッチバックを行った。
 その度に、ガラスの中で、男の運転手と女の車掌が入れ替わった。
 それだけ一気に高度を下げているのだろう。
 その坂の急さ加減を自分の脚で体験できなかったのは、少し残念な気がした。
 車窓から見下ろす樹の間に見え隠れする一号線の道幅は、狭かった。

 終着の箱根湯本まで行ってもよかったが、一つ手前の塔ノ沢駅で降りた。
 どうしても見ておきたい橋があったからだ。
 旭橋と云う。
 小さな橋だ。けれど、上りと下りで道が分かれているという双子を連想させる珍しい橋だ。
 箱根駅伝でも見るし、『MFゴースト』にも出てくる名所だ。

 高い位置にある駅から下って一号線に復帰した。
 川の色は、深い緑になった。
 旭橋は、あっという間に歩き過ぎた。
 するともう、今朝通った箱根湯本の旅館街の入口が現れた。
 何か遠い過去の景色を見るようだった。
 朝は閉じていた店が、今は開いていた。
 食べ歩きの品を売る店があり、そぞろ歩く観光客たちの注意を惹いていた。
 この感じは熱海に似ている、と思った。

 一五時二七分、箱根湯本駅の横を通過した。
 早川に沿う大きな道に出て、涼しい風に吹かれた。
 ここから先は、立派な歩道がついていた。
 残りは三〇分程とみた。
 ラストスパートだ。(途中で電車に乗ったけど……)
 陽が傾いて、影が少し長くなった。
 そろそろ足裏も限界だ。
 小涌園で足湯に入った際、右の靴下の裏に穴が開いているのを確認している。
 道は真っ直ぐだ。
 平坦に見えるが、緩やかながらも下っているから有難い。
 前方の遠くに見えていた小山が大きくなる。
「鈴寅かまぼこの里」の看板が見えたら、もうゴールは近い。
 一六時〇六分、東風祭の交差点に到着した。
『MFゴースト』にも出てきた直角コーナーだ。

 ここをゴールとした。
 何の変哲もない、草の生えた小さな交差点だった。

ゴールの東風祭交差点

 箱根駅伝・山下りコース。
 私の記録は、四時間五五分だった。(途中で電車に乗ったけど……)
 後で調べると、復路六区の区間記録は、五七分一七秒だった。
 何と、一時間を切っているのだ。
 スタートして一時間後と云えば、自分はまだ元箱根の観光スポットをウロウロしていた時間帯ではないか。
 月並み過ぎる感想だが、やっぱり凄い、と思った。
 彼らは超人だ。
 さらに気づいた。
 往路の五区は、これを登るのだ。
 それはちょっと、想像もできないことだった。

(注・往路五区ならびに復路六区の走行距離は、正しくは二〇・八キロメートルでした。)


この日の旅行代

箱根登山電車(小田原から箱根湯本) 運賃 360円
コンビニエンスストア(おにぎり2個) 232円
箱根登山バス(箱根湯本から箱根町港) 運賃 1,080円
箱根登山電車(宮ノ下から塔ノ沢) 運賃 260円
箱根登山電車(風祭から小田原) 運賃 220円
合計 2,152円
※小田原駅までの交通費を除く

(このシリーズ終わり)

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