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『はて知らずの記』の旅 #3 福島県・飯坂温泉(下)

(正岡子規の『はて知らずの記』を頼りに、東北地方を巡っています。)

瀧ほとばしる?

 子規は飯坂温泉に二泊している。
 到着した七月二五日は、途中から雨になったようだ。

福島より人車を駆りて、飯坂温泉に赴く。天、稍々曇りて、野風、衣を吹く。涼、極つて冷。肌、膚粟を生ず。湯あみせんとて立ち出れば、雨、はらはらと降り出でたり。浴場は二箇所あり、雑沓、芋洗ふに異ならず。
 夕立や 人聲こもる 温泉の煙

『はて知らずの記』

 初めて飯坂温泉を訪れたとき、唐突に温泉街の風景になる様に驚いたものだ。
 久しぶりに十綱(とつな)橋の上に立つ。
 そこからの眺めは、緑の川沿いギリギリに建つアパート群、といった感じだ。
 子規も、この橋に来た。

二十六日朝、小雨そぼふる。旅宿を出でて、町中を下ること二、三町にして、数十丈の下を流るる河あり。摺上川といふ。飯坂、湯野両村の境なり。ここにかけたる橋を十綱の橋と名づけて、昔は綱を繰りて人を渡すこと、籠の渡しの如くなりけん。古歌にも
 みちのくの とつなの橋に くる綱の
 たえずも人に いひわたるかな
など詠みたりしを、今は、鉄の釣橋を渡して行来の便りとす。大御代の開化、旅人の喜びなるを、好事家は、古の様、見たし、などいふめり。
 釣り橋に 乱れて涼し 雨のあし

同上
十綱橋

 川の西側は、坂の多い、入り組んだ地帯になっている。
 方向感覚が失われ、先ほど通った道に再び出たりする。
 千人風呂通りなる名称の道があり、うらぶれた歓楽街の風情が少し残っている。
 この地について、芭蕉は何と書いていたか。

温泉あれば湯に入りて宿を借るに、土座に筵を敷きて、あやしき貧家なり。灯もなければ、囲炉裏の火かげに寝所を設けて臥す。夜に入りて雷鳴り、雨しきりに降りて、臥せる上より漏り、蚤・蚊にせせられて眠らず、持病さへおこりて、消え入るばかりになん。

『おくのほそ道』

 やはり雨が降っていた。あまり愉快な体験ではなかったようだ。
 とんでもなく田舎だ、と感じたのは子規も同じだったようで、次のように書いている。

此処に限らず奥州地方は、賤民、普通に胡瓜を生にてかぢる事、恰も真桑瓜を食ふが如し。其他一般に、客を饗するに、茶を煎ずれば、茶菓子の代りに、粕漬の香の物を出だすなど、其質素なること総て、都人士の知らざる所なり。

『はて知らずの記』

 現在も、「ニューふるさと」などのちょっとハズした感のある店名や、玄関を思いきり開放してある木造の理髪店などに、隠しきれない〝辺境〟の素性がのぞいている気がする。辺境と括っては悪いかもしれないが、やはりどこか、沖縄の街を歩いているような錯覚に囚われる。

飯坂温泉街の一風景

 子規が面白い景色を指摘している。

向ひ側の絶壁に憑りて構へし三層楼立ちならぶ間より、一条の飛瀑、玉を噴て走り落つるも奇景なり。
 涼しさや 瀧ほとばしる 家のあひ

同上

 これは摺上(すりかみ)川沿いのどこかを指しているに違いない。
 現在も残っているだろうか、と注意しながら歩いていると、ここが句の眺望ポイントだとする案内板を見つけた。
 確かにベチャベチャベチャと音が聞こえている。
 しかし音の出どころは、瀧のようには見えなかった。水は、旅館から突き出た排水パイプから落ちているように見えた。

飯坂温泉の奥座敷

 摺上川沿いのメイン通りらしき道を登る。しばらくすると右手に、「いいざか 花ももの湯」の垢抜けたビルが見えて来る。さらに進むと、〝行止まり感〟のある小さな交差点にぶつかる。そこを右に折れ、短い橋を渡る。覗くと目の眩むような高さの橋は、赤川橋と云った。
 と、急に寂しい風景になる。
 道が細くなった。
 廃業した料理屋がある。
 温泉街は尽きたかに見える。
 しかし、その迷いを振り切ってズンズン進んでみよう。
 突如として、広大な空間が開ける。
 空が大きくなる。
 太い直線の車道が現れる。
 まるでビデオ・ゲームの隠れステージを発見したようだ。
 自分はここを、飯坂温泉の《バックヤード》、ないしは《奥座敷》と呼んでいる。
 旅館が再び姿を見せるようになる。ただし今回は、駅前の肩寄せ合う感じとは違い、こちらにポツーン、あちらにポツーンと点在する感じだ。
 その中に、鳥が翼を広げて獲物を誘い込むような外観の建物があった。
 その広い駐車場で、お風呂セットを小脇に抱えて建物に吸われていく人の姿を見た。
 何だか、穴場の温泉を見つけたような気になった。
 旅館の名は、「摺上亭大鳥」と云った。

摺上亭大鳥

 バックヤードの存在を知って以来、いつかここの旅館の日帰り温泉に入ってみたい、と思っていた。
 しかし、料金が一〇〇〇円と高いのだ。
 何とかならぬものか、と思って調べていると、福島交通飯坂線から、一〇〇〇円の「湯ったり切符」なるものが発売されていることを知った。
 これを使うと、飯坂線が一日乗り放題になるほか、協賛するホテル・旅館の日帰り入浴が一回できるのだ。当の旅館の名もそこに含まれていた。
 福島から飯坂温泉までは片道三七〇円だから、行って戻るだけで七四〇円。すると風呂は実質二六〇円ではないか……などというセコい計算をあらかじめ済ませて、今回の再訪に臨んだのだった。

緑の湯

 和風の門をくぐると、左手の池に、鯉がたくさん飼われていた。
 餌付けに慣らされているためか、水際に立つだけで、パクパクと開閉する口が集まって来た。
 フロントで〝魔法の切符〟を提示した。
 風呂は階段をあがって二階だと、女性のハキハキした声が云った。
 館内は、思ったほど広くはなかった。しかし吹き抜けのロビーは天井が高かった。大きなガラス窓越しに、よく手入れされた和風の庭が眺められた。
 期待を胸に秘めて、階段の絨毯に足をかけた。

 浴場は、内湯と露天のシンプルな造りをしていた。
 入った時の印象は、〝緑〟だった。
 湯が青緑色に見えた。
 しかし手に掬うと、色は付いていない。
 浴槽に使われている石材が、そう錯覚させるらしかった。
 宇都宮の大谷石だろうか、ざらざらと肌にあたる感じが気持ちよかった。
 泉質は単純温泉で、匂いやクセといったものが何も感じられなかった。
 泉温も、熱いともぬるいとも云えない中間に保たれていた。
 椅子に座って休むと、大きなガラス越しに空の色が映って、湯は、なおさら青く見えた。
 露天の岩風呂にも、緑の石が使われていた。
 景色は、空の水色と、午後の陽を浴びて輝くような山の黄緑とに二分されていた。
 小さな飛行機が、斜め上に向けて白い線を引いたが、すぐに消えた。
 竹板に滴る湯音の向こうから、地元訛りの女の雑談する声が、こもって聞こえてきた。
 腰から下に温かみを感じながら、芭蕉も子規も、今の自分と似たような経験をしたのかと思うと、何だか満たされた気分になった。

 帰りに、飯坂温泉の街を一望できるという愛宕神社の小山に登った。
 凄まじい角度の石段が切れると、可愛らしい社殿が待っていた。
 たまらず、視界に入ったベンチに腰かけた。
 呼吸を整えて目線を上げると、ちょうど正面の方向に、安達太良山頂の突起があった。
 体調の優れなかった子規は、この景色は見なかっただろう、と思った。


本日の旅行代

飯坂温泉湯ったり切符 一〇〇〇円
瑠璃光山医王寺 拝観料 三〇〇円
合計 一三〇〇円
※福島駅までの交通費を除く。

(次回に続く)

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