『旅の断片』が差し出す「羅針盤」
若菜晃子の『旅の断片』は世界19カ国での旅の記憶を主観に従って短く切り取った旅のエッセイである。世界各地で素朴に暮らす人々の飾らない姿と、雄大な自然を感じさせ、清涼な読後感が心地よい一冊である。
あくまで旅行者の視点で旅の素晴らしさを伝えることが主眼の本書だが、ところどころ、旅をした時点では会社員だった著者の悩みを書きとどめた、ある種生臭い箇所がいくつか存在する。そこでの著者は仕事の意義を疑問に感じ、人生に迷い、目的を見失いかけている。著者と同じように学校を卒業して仕事をするようになり、ある程度の経験を積んだ時点で、かつて思い描いていた自分自身とのギャップや、現実の在り様を知るにつれて、過去にあった意欲を失いつつある自分に気付くことは、歳を重ねた多くの人が辿る過程ではないだろうか。
子供の頃、当時近くにあった山を初めて登りきったとき、登頂の体験は驚きや達成感に満ちていた。その山に登ることは、一般に難しいものではなく、わざわざ他人に自慢するような経験ではない。ときおり考えるのは、子供の私がハイキングとして低い山に登った経験と、例えばベテランの登山家による何度目かの世界最高峰への登山との比較である。多くの他人が興味をもつのは後者だろうが、どちらが当事者にとってより大きな意味を持つかは別の話だ。
しかし社会生活が続き、歳を取るにつれ、次第に他人から見てどうあるのかという基準を自明視するようになり、ときに親しみのない価値観に埋没した自分自身を見い出す。そんな自分は驚きに乏しく、意識は常に他人との比較にさらされている。人が不幸を感じるとき、往々にして他人との違いを強く意識している。
『旅の断片』に収められている「コルテス海にて」の一篇で、自身の仕事とどう向き合うべきか思い悩む著者の暗い心中は、旅先の眩い光景によって一掃されている。広大な世界のなかにあって人間ひとりの存在などは取るに足らない、どうでもよいものに過ぎない。どうでもよいからこそ自分が納得できるよう生きるべきであり、そうするほかないのだと著者は悟る。
生きる指針は結局のところ、他人との比較ではなく、自分のなかにある。自然体で綴られた旅のエッセイから、そんなメッセージを受け取った。
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(※トップ画像はpixabayのFree-Photosより。)
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