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農を経て自然を探求する旅へ

 農業知識ゼロな社会人が、働きながら自然農法を経験した。農業は、2021年6月-2022年5月が一年目、2022年7月-2023年3月が二年目となる。ちなみに「農業」と言っているが、野菜を卸したり、野菜を加工したり、一次産業としてお金を生み出しているわけではない。実験的に”野菜をつくらせてもらっていた”だけである。農業ではなく、農と表現したい。
 「農」を通じた研修を提供しているスペースの一部を、自然農法で育てる・持続的に自然が保たれる方法・考えた畑の設計等の条件を基に、間借りさせて頂き、野菜を育てていた。

 野菜を育てる経験を経て、改めて自然の素晴らしさや畑という場所の可能性を見出したため、それらをまとめていきたい。

自然農業一年目と二年目の実態

 自然農法一年目では、「実験」がベースだった。自然農法をやっている友達に聞いたり、友達のを手伝ったり、調べたり、本を読んだりして、一生懸命にやってみた。道具の使い方も、何をやるかもわからない状態であったが、見様見真似でやったため、初挑戦にも関わらずたくさんの野菜を収穫し、最終的に自分やみんなと一緒に食べることができた。

ダイコン・ニンジン・ハクサイ・ネギ・ホウレンソウなど、13品目ほど育てることができた

 自然農法二年目では、「実践」がベースとなった。昨年は人に頼って教えてもらったことを忠実にこなしていたが、二年目は実際に自分で考えてやってみることに重きを置いた。一年目の場所と土質や土質や陽の当たり具合などが違って、今までのやり方では通用しない箇所もあった。しかし、それらの条件なども自分で観察し、工夫を凝らしてやってみると、たくさんの野菜の栽培に成功することができた。さらに、自分で作って食べるだけではなく、野菜を作った経験を人に伝えるということまでできるようになった。

ジャガイモ・カブ・ダイコン・ニンジンなど、9品目を育てることができた

 一回真似をしてやってみたことを一人でやってみたことで、自分の自信にもなり、実態を伴った自分の成果物として捉えることができた。

 自然農法で野菜を育てるために必要な要素がいくつかあるが、そもそも野菜はどうやって育って、どのように成り立っているのか知ろうとすることが必要であると思う。野菜の品種、土質、気温、水分量、風向き、等々野菜が生み出される環境について把握する姿勢だ。
 少し自然の目線から捉えると、野菜たちがいかに心地良く健やかで伸び伸び成長できる環境を整えてあげられるかが重要になってくる。そうやって自然の仕組みを知り、野菜目線の気持ちで考えることが自然農法には必要だと感じた。

野菜をなぜ作りたいのか

 そもそもなぜ野菜を作っているのか。初めは「野菜を作ってみたい」という単純な理由だった。折角淡路島に来たんだから、農業を経験したいという気持ちが強かった。もちろん、田舎が好きだったり、大学時代にも農家民泊を経験した時に農業の良さを体感していたのもある。

大学時代ふるさとワーキングホリデーにて、山口県の自然薯農家に農家民泊した

 そのような動機で一年目は作ってみていたが、二年目にも続けたのには理由がある。それは、野菜を作ることで人が集まれる”場”を作ることができると考えたからである。「のすけが作った野菜を見にいきたい」「実際にどうやって育てているんですか?」「研修の題材としてやっていることを伝えてほしい」など、集まる理由は様々であるが、そこで野菜を育てていることで、人を集めることができるというのは感覚として感じていた。

 そもそも、元々は二年目に自分で畑をやる予定ではなかった。一年目の時に行っていた場所を継続することが難しくなり、二年目時には畑をやる時間が取れないと思ったから。しかし、会社の中で、今年も農業やっているの?とか、友達から今年は何を育てるの?と聞かれ、意外と”農業をやっている人”という印象が周りにあることに驚いた。そういった外的な要因も今年も畑をやろうと思った理由の一つであった。

 人を集めたいという想いもあった。折角なら、淡路島で野菜を一緒に育てて、一緒に食べる、それができたら最高だなと思った。野菜を育てることも、育てた野菜を食べることも、幸せなことは知っていたから、それをみんなで一緒にしたいと思った。そのためにも、自分で野菜を育てている場を作らないと、と考え再び畑を行うようになった。

雑草だらけの土地から開墾した

200人を畑に呼んで

 実際にたくさんの人を畑という場に連れてくることができた。年間を通じて200人ぐらいの人を集められることができた。それは、研修の題材として活用したり、友達を連れてきて一緒に作業をしたり、家族に見てもらったり、様々だった。

 畑をやることで、野菜だけではなく、人と人のコミュニケーションが生まれることを実感した。野菜の作り方を一緒に試行錯誤する研修もそうだし、友達や家族に対してどういう想いで野菜を作っているのかを話すのもそうだし、会社の人との何気ない会話としても生まれた。天気の話題と同じように、野菜の話も気軽にできるものだと知った。

 実際に畑に来て話をすると、とてもフラットにみんなが話し合えると気づいた。心がストレスを受けることなく、緊張もなしに話せる場になる。実際に2,30人の人の前で話をする場面で、会議室で行うのと畑で行うのとでは、何かに圧迫される感覚が全く別物である。畑という机も椅子も、PCも上下関係もなく自由に開放された場所だからこそ、心も開放された気分になるのだろう。その状態で人と話すことがとても好きだった。

友達を20人ぐらい呼んでみんなで植え付けを行った

 開放された感覚は自分だけではなく、畑に来てくれた人も感じていた。普段都会に住んでいて中々畑に触れる機会はないけど、野菜を育ててみることが楽しいんだって気づいていたり。側から見てあまり自然に対して興味がなさそうでも、実際に畑に来たら目を輝かせていたり。なんとなく日々感じていた自分のモヤモヤの正体が明らかになったり。畑に来ることで、自分の心が変化している人をたくさん見ることができた。

 自分だけじゃなくて、畑に来てくれた人も同じように心地よさだったり、普段とは違った心の動きを感じてもらった。その感覚を感じてもらえて嬉しかったし、何よりその状態で人と話すことがとても好きだと感じた。
 普段中々触れない野菜を観察したり、作業してみたりすることで、普段の自分とは違う自分に出会える。そのフラットな心で人と人が話している空間がとても気持ちよかった。

なぜ自然を魅力的に感じるのだろう

 畑の持つ可能性や、自然の中で人と話すことが好きだと気づくなかで、そもそも自分は自然に対してどんな想いがあるのだろうか探ってみたくなった。それも頭でなんとなく思いつくのではなく、ちゃんと言葉にして出してみることにも拘り、Twitterで「私にとって自然とは何か」という問いに答え続けてみた。

 初めは、自然を形成するものをただ並べている感じであったが、途中から思いベースの解答も出てきた。

 キーワードを抽出してみる。
「穏やか・ニュートラル・凪」
「繋がり・循環・流れ・共通認識」
「ありのまま・取り繕っていない」

ここら辺になるだろう。

 なぜ自然が好きなのだろうか、自然はただそこに存在しているだけだし、何か取り繕っているわけではない。彼らはただ流れの中で、必要な場所で必要な数、それぞれがコミュニケーションを取り合って存在している。そんな表裏のない、健全で利害関係ではない、ありのままの繋がりの中で成り立っている自然に惹かれているのだとわかった。
 人間の生活の中で、得するとか損するとかを一切考えずに繋がれる繋がりってどれだけあるだろうか。家族や数少ない友達の顔が思い浮かぶだけ幸せかもしれない。でも、自然は違う。彼らは必要なタイミングでただそこで生きるということを全うしている。ただ純粋に命を燃やしている。

 そして、自然に対して思っていることを、自分自身にも求めているのだろう。自分も表裏のない、ありのまま、取り繕わないで生きていきたいと思っている。だからこそ、自然という存在に惹かれる。畑に人を呼んでみんなで話している空間が心地よかったのも、フラットで取り繕っていない繋がりをその場で感じれたからかもしれない。

 そういう空間を自分の畑だけではなく、自然と一緒に作り上げていきたいと思っている。その思いを綴ったnoteはこちらになっているので、また時間があれば覗いてみてほしい。

自然との関わり方を探求しにニュージーランドへ

 自然のことが好きで、自然に惹かれていることがわかり、自然を生かした場作りを行っていきたいとわかった。その上で、もっと自然に対しての知見や他の選択肢を広げたいという思いもあり、ニュージーランドに行くことを決めた。

ニュージーランドの湖

 壮大で美しい自然を保有するニュージーランドは、環境を保全するためのエコな行動や考え方を導入したり、サスティナブルな活動も積極的に行っている国だと認識している。ゴミの埋め立てを減らすため、家庭にコンポストが普及されてきているらしいし、そもそも物を捨てずに再利用することが多いらしい。確かに、FacebookのNZのグループでも車の譲渡についての投稿をよく見る。自然にも配慮した国の文化を体感しながら学びたい。果樹園や農園でのファームの仕事や、エシカルツアーについての何かしらの仕事の求人があったらそういった仕事に挑戦してみようと思っている。ファーマーズマーケットにも行ってみたいし、ニュージーランドに点在するエコビレッジにも訪れてみたい。

最後に

 農を通して気づいた自分が自然に惹かれる理由や、畑を自分でやってみたことで見えたこれから進みたい道。そしてニュージーランドでの、生活と自然が一体となった暮らしを通して、自分自身が何を感じ取るのだろうか。精一杯命を燃やして生きていきたい。

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