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【雑談】友達がゼロからイチになりそう!

「一番仲良いのって、どんな感じの人?」
「いないですね」
「え?」
「友達、いないんですよ」


回避傾向がたたって躁鬱を発症したのは、大学生のちょうど真ん中のときでした。

そのときから、私には友人も恋人もいません。


高校生までには、少ないながらも「友人」がいました。

定期的に集まって、ご飯を食べながら、あーでもないこーでもないと何時間もおしゃべりするグループのようなものに、幾つか所属していました。

お互いを「親友」と呼べるような人もいました。


初めての入院を境に、私は人と仲良くなるということができなくなりました。


人と関わることを、自ら拒否しているからです。


「大学のときはなんのサークルに入ってたの?」

「バイトはどんなのやってたの?」

「新卒では何を選んだの?」

「ところで、今はなにをしてるの?」


そういう質問に、普通に答えられないからです。


「ちょっと大きな病気をしまして・・・」

「親戚が亡くなったりして・・・」


気づくと、そんなことが口をついて出ます。

人に語れるような人生を送ることができていない自分のことを、守るためです。




精神疾患であるとカミングアウトしたことが、片手で数えるほどの回数、あります。

しかし、結果はすべて同じでした。

戸惑いとか哀れみとか、そういったネガティブな感情が飛んできました。

もうそんな思い、したくない。

自らトゲを出しているわけです。



ハリネズミ人生



私が基本的に人を拒否するのは、変な嘘をつく自分が嫌いだから。

人と比較して、当たり前のことが当たり前にできない人間であることを思い出すのが、いやだから。


だから、もう二度と人とは親しくならない。



しかし、さいきん、私のアレルギーが出ない「他者」が現れました。



福祉サービスを通じて知り合い、たまにおしゃべりしていて、「馬が合うなあ」と思った女性でした。


私がそこを使わなくなったので、もう1年ほど会っていなかったのですが、電車でばったり再会したのです。


久しぶりに、人と連絡先を交換しました。
数週間後、いっしょにごはんを食べました。


実に、6年ぶり。
ひとと一緒に、お茶した。



はじめてパッタイ食べた



みんなにとっては、当たり前のことかもしれないけれど、
私にとっては大きな一歩です。


楽しかったなあ。


それでも、自分から誘うことはできないのだけれど、
いつかまた行けたらいいな。


東京駅のまわりぐるぐる歩いた
ぬるい風が心地よかった




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