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坂本龍馬は本当にすごかったのか?

「坂本龍馬なんてのは、ただの商売人だよ」

以前、霊山顕彰会という幕末の維新志士達を祀り、顕彰する団体の福岡支部へ取材した時にこう言われたことがある。

薩長同盟に関して、今さら説明することはないと思う。

薩摩、長州という互いに憎みあっていた二つの藩が同盟を組むことによって、明治維新の原動力となった出来事だ。

その立役者が坂本龍馬と言われている。

尊敬する歴史上の人物で必ず上位に上がる人だ。

だが、その人は薩長同盟が坂本龍馬だけの功績にされているのが、気に入らないようだった。

郷土史家の人達は自分の地域を中心にして歴史をとらえるから、異なる目線がある。

幕末、福岡には筑前勤王党という団体があった。

元治元年11月、長州から一時筑前に亡命していた高杉晋作は、野村望東尼の住む平尾山荘にいた。

そこに、加藤司書、月形洗蔵といった筑前勤王党のメンバーが訪れ、薩長筑の三国同盟を画策したという。

8.18の政変で京都を逃れた公家達を太宰府天満宮の延寿王院へ連れて来たのも筑前勤王党の計らいだった。
(太宰府には坂本龍馬も来ていたそうだから、接点はあったのだろう)

加藤司書は第一次長州征伐のさいも、西郷隆盛と共に「今は国内で争っている時ではない」と進言して長州を助けようとした。

しかし、筑前勤王党は乙丑の獄という弾圧を受け、道半ばで壊滅してしまう。

筑前勤王党が描いた薩長筑の同盟、これを商売という視点で成立させたのが坂本龍馬だった。(それはそれで、凄いと思うのだが)

筑前中心で歴史を見てる人には、美味しいとこだけ持っていかれた感があるのだろう。

坂本龍馬がいかにして英雄になったか。

実はこれまでに何回かの坂本龍馬ブームが存在した。

一回目は明治16年から連載された新聞小説「汗血千里駒(かんけつせんりのこま)」という坂本龍馬の伝記小説。

二回目は日露戦争の時、皇后の夢に坂本龍馬が現れ「私の魂が軍人を守るでしょう」と言ったことが新聞に掲載され、日本海海戦の勝利によってブームになった。
(当時、宮内庁には土佐藩出身の者が多かったので、皇后の夢に「それは坂本龍馬に違いありません」と言ったのではないかという説がある)

三回目はご存じ司馬遼太郎の「竜馬がゆく」

今でも定期的にブームになる坂本龍馬だが、筑前勤王党との関わりが書かれることはない。

それが余計に、郷土史家の方には、はがゆいのかもしれない。

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