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終戦後の柳町遊郭

日本が降伏した昭和20年8月15日の午後、福岡県庁では終戦処理打合せが行われました。

その席上で西部軍の参謀が

「18日にはアメリカ軍の先遣隊が博多湾から上陸してくる。その前に婦女、子供などの非戦闘員を避難される必要がある」と報告をします。

この報告を受け、福岡県庁では女性職員を避難させることを決めました。

この情報が漏れ、その狼狽が一般市民の恐怖をよび、16日から避難騒ぎで福岡の町は混乱しました。

アメリカ兵が上陸してくれば、男は殺され、女は強姦されると教えられていたからです。

8月20日には内務省警保局長名で「進駐軍特殊慰安施設を用意されたし」と県に通知がきます。

アメリカ兵の為の性的慰安施設、飲食施設、娯楽場をつくり、営業に必要な婦女子は芸妓、公私娼妓、女給、酌婦、常習売淫犯などを充足して、一般婦女を守れという命令でした。

柳町の福岡県貸座敷業組合聨合会長、池見辰次郎は警察によばれ、日本民族の純潔を守るため、女を集めて柳町を再興せよと命じられます。

この知らせに喜んだのは楼主です。

柳町ではアメリカ兵の遊びを期待しました。

しかし、進駐軍は柳町を立ち入り禁止区域に指定します。

なぜなら柳町が公娼の町で、アメリカは公娼制度を認めていなかったのです。

その為、進駐軍のMPが町内を巡回して、兵隊の立ち入りを阻止していました。

ですから、占領初期は進駐軍兵士は柳町に入れませんでした。(ただし例外はあり、開放された捕虜等が来ていたという話もあります)

アメリカ兵の為の兵隊慰安所は現在の福岡市東区香椎に設置されていたそうです。

しかし、そこは黒人専用となり、白人兵士はキャバレーのダンサー等を相手にしていました。

その後、GHQによって公娼制度の廃止が求められます。

そうして公娼制度は廃止されました。

ただし、ここでも日本政府は売春自体を禁止にはしませんでした。

ですから柳町は私娼の町となり、それ以降は進駐軍の兵士も登楼することができたようです。


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