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戦後のシンボル。

8月15日のブログで、ぼくは、
「『1945ひろしまタイムライン』が、
 いつまでつづくかはぞんじないですが。」
と書きましたが。

その後の「ひろしまタイムライン」のツイートにて、
一郎さんとシュンさんは「年末」まで、
やすこさんは「9月中旬」まで、
と、書かれてありまして。

まだまだ、
これからもつづくタイムラインを、
見てゆきたいです。

1945年8月15日、敗戦によって
戦争が終わってからの一週間、
タイムラインで見られる生活も、
すこしずつ変化していて。

一郎さんは、
廣島市の惨状や、
敗戦について、取材。

やすこさんは、
福岡へ出征されていた
旦那様より、お手紙が届く。

シュンさんは、
廣島駅より家族で鉄道に乗り、
ご両親の故郷なのでしょうか、
埼玉県の秩父へと。

そして、リンクでは貼りませんが、
先日、問題となった
シュンさんのツイートに関しては、
ぼくにはきちんとしたことは何も言えないのですが。
差別やヘイトの問題というのは、
「戦争」によって、
生まれてしまった。
とは、解釈できるやもしれない。
とぞんじました。。。

「ひろしまタイムライン」とは、
直接は関係ないんですが、
タイムライン上での本日
1945年8月22日、福岡県福岡市で、
タモリさんが誕生される日。

2006年のほぼ日刊イトイ新聞で連載されました、
タモリさんと糸井重里さんの対談の中では、
糸井さんが
「戦争が終わって、タモリが生まれた」
とおっしゃっているのですが。。

タモリ:
2005年で、
終戦後60年でしたからね。
ぼくの誕生日は8月22日で、
終戦後1週間で生まれたから。

糸井
「戦争が終わって、タモリが生まれた」
って、すごいシンボリックですね。

タモリ
戦後、1週間ですからね。
1週間ズレていたから、ぎりぎり
「戦争を知らない」と言えるという。
まぁ、ズレてなくても知らないだろうけど。

糸井
(笑)無のシンボルみたいな。

タモリ
戦争の前後1週間以内に生まれた人は、
ぼく、ともだちには、いないんですよ。
だから、ぼくは、
「戦後にいちばん近い」っていう……。
「戦後の象徴的な人物だ」
と、自分では思っているんだけど、
ま、誰も、そんなこたぁ、思っちゃいないですね。

糸井
(笑)

(ほぼ日刊イトイ新聞『タモリ先生の午後 2006。』第3回(2006-01-19)より引用です。)

戦争が終わって数年後に生まれた
ぼくの母に聞いてみても、
昭和20年生まれの人って、
あんまり聞いたことないとのことで。

だからこそ、
戦後1週間で生まれた
タモリさんは、やっぱり、
戦後のシンボルのように感じるなあ。

つまりはさ、
平和の象徴、と言うかのような。

そんなことも思いつつ、
タイムラインは、
まだまだつづく。。。

髪、切った?

はい、きのう、
美容院行ってきた〜。

令和2年8月22日


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