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公娼制度の廃止と赤線地帯

昭和21年1月21日、GHQは公娼廃止の覚書を送ります。

それを受けて日本政府は公娼制度の廃止を決めます。

秀吉によって始められた公娼制度、遊郭の歴史はこうして廃止になりました。

しかし、政府は売春婦の営業継続は黙認する方針をとりました。

公娼は禁じられたが、私娼は認められていたのです。

当時、福岡の警察署長は娼妓達を集めてこう訓辞をしたそうです。

「公娼は廃止になりました。あなた方は自由です。いつ郷里に帰ってもかまいません。しかし、今まで楼主から金を借り、世話になっていることを忘れてはいけません。人間は義理という美点があります。借金を一文も払わないでは、良心にすまぬ人も多いと思います。百円稼いだら50円を楼主にわたすといった方法で、楼主の恩に報いたらどうでしょう」

さて、こう言われて、どれだけの娼妓がその通りだと思ったのでしょうか?


政府は昭和21年、特殊飲食店制度を採用します。

地区を限定してその地域内に特殊飲食店をみとめ、その店で働く女性の売春は必要悪として黙認することにしたのです。

福岡市では新柳町と私娼地区であった大浜と西新の一角が特定地域となりました。

警察がこれらの場所を地図上で赤線で囲ったので赤線地帯と言われるようになります。

これに対して戦後の間隙に乗じて発達した売春地域を青線といい、旅館、飲食店など部屋を設けて売春させる業態を白線といいました。

貸座敷、三等料理屋のほとんどが特殊飲食店として営業を許されました。

女は自由意志で店に下宿、または寄寓し、女給、酌婦など自活できる職をみつけること。店主は女に給料を渡し、女は店主に部屋代、食費を払う。店主が客からとることができるのは、飲食代だけで、売春を前提とするいかなる金銭も受け取ってはならないとされました。

この改革はGHQの命令で始まったので、警察も取締に積極的でなく、業者とも馴れ合いで、特殊飲食店も申請があれば簡単に許可したそうです。

特に福岡はそれが顕著で、東京や大阪をしのぐ全国一の売春王国となったそうです。

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