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躁うつ病時代を生き抜く創作術3- 大切なのは「質」より「量」である。

前回の記事では、人類はみな平等に無才である、ということを書きました。我々はただ単にただひたすらに「無才」です。「無才」は推奨されない時代だと思います。誰もが何かしらの、自分だけの「輝き」を持っていて、その輝きで、キャラ付けされ、評価が決まる。そして自分の居場所を獲得できる。自分の「才」=「輝き」を見つければ、周りから認められれば、その居場所でずっと安住できると学生も社会人も、もしかしたら子供だって、自分の「才」を「必ず見つけて」その「才」を信じて突き進まなければ、どこかで周りから突き落とされる。そんな恐怖を抱えている人も多いんじゃないでしょうか。

バズらなければ。
「いいね」が付かなければ。
拡散されなければ。
自分の作ったものの、そもそも自分の、「輝き」を失うんじゃないか。

人は、原則的に「無才」です。
我々の中に「才」は存在せず、つまり「才」という光源は人そのものにないゆえに、そもそも人は輝かないのです。

「無才」の僕たちが輝くのは、ただ一人で、「無才」という孤独な島で、「好きなもの」「やりたいこと」というガソリンを燃料にして、ひたすら掘り続けている瞬間だけです。その瞬間に、僕たちは輝きます。そして、その自らの発光が、手に持ったスコップを伝って、「作品」という掘り出したものに伝播する。それが作品の輝きです。

では、「好きなもの」はどうやって見つければいいのでしょうか。
「やりたいこと」の見つけ方とは?

それは、ひたすらに手を動かすしかない。
「質」より「量」です。
僕も毎日、何かしら作っていく中で、無意識のうちに「質」を求める傾向にあるような気がします。危険です。心のうちに「質」を求めようとしている時、僕は「危ない危ない」と立ち返るようにしています。
でも、やっぱり「無才」が前提の僕らは、「物量」を基準にした方がいいと思っています。しかも、やっぱり「やりたいこと」「好きなこと」を見つけるには、「物量」をこなしていくしかないようです。

我々は生まれながらにして、ナチュラルボーンで、「無才」なので、生まれた瞬間から「やりたいこと」が備わっている人などいないと思います。大人になった私たちが、しかも、「無才」の状態で、偶然「やりたいこと」「好きなこと」に出会うなんてことは、ほんとんどないと思います。
だから、ただひたすらに、手を動かしましょう。毎日、手を動かしましょう。人のやっていることに目もくれず。評価なんて気にせず、ただ毎日、決まった時間に、決まった時間分だけ、手を動かしましょう。たとえば、その「創作」を副業にしてお金にしよう、とか、セカンドキャリアにしよう、とか、そういったことは結果論でしかありません。「意味」でしかありません。「意味」がささやいてくる、「意味」の誘惑は完全に無視して、お金とか、時間とか、評価とか、そういった「人生的意味」からどんどん解脱していきましょう。解脱するには手を動かすしかないし、毎日の生活の円の中で、練習を繰り返すしかない。その先に「人生的意味」を乗り越えた「無才」だからこその輝きが見えてくるはずです。

そして、「これは!」と思ったものにはためらわずにどんどん手を出していきましょう。とにかくミーハーでいいのです。僕たちは原則的に「無才」なので、基本誰にも評価されません。もし、「これは!」と思ったもので、「やっぱり違うかも・・・」と思ったら、すぐに辞めちゃえばいいのです。そのくらいの軽さで十分です。例えば「小説を書いてみたいなあ」と思ったら、とにかく毎日書いてみればいいし、別に途中でやめたっていい。「賞を受賞しよう」とか、そういう大それたことは、やっぱり結果論でしかない。「毎日書く」という小さい目標だけを積み上げていきましょう。飽きたら途中でやめて、「今、自分が気持ちがいいと思うこと」にすぐに手を出していきましょう。僕も今、毎日パステル画を描いていますが、それはパステル画というものに「たまたま」手を出して、パステル画を描く「気持ちよさ」が今のところ持続しているので、毎日描いています。どうやって評価されようとか、あんまり考えていません。というか、どうやって評価されるのか、見当もつきません。でも、それでいいのです。自分の手で毎日、何かしら生み出していて、そして、その作品を媒介して、人とのつながりができる。会話が生まれる。他人が自分を開示してくれる。それだけで、充分、価値が生まれているし、評価されている。

何かを始めるときに、先にYoutubeなどで調べるのはやめましょう。
あと、高い道具を買うのはやめましょう。

とにかく先入観をなくして、途中で飽きても、やめても大きな損失がないようにしましょう。引き返せなくなると「気持ちいい」からどんどん「続けなきゃいけない苦しさ」に変わっていくはずですから。
まずはスモールスタートしましょう。「安く」「小さく」そして、「他人の作品から目を逸らし」続けましょう。ひたすら孤独に、自分の道を行くのです。ただ一人で。

量をこなしていくことで、少しふつ、自分のペースが掴めるようになるはずです。

あくまでも、無理のない範囲で、でも着実に、毎日の創作を積み重ねていきましょう。
たとえ、日に15分でも、30分でも、自分の創作と向き合う時間を、日課に組み込みましょう。たとえその日中に完成しなくても、15分だけ、自分の内面と向き合えばいいのです。

そして、その積み重ねの中で生まれた作品を、時には誰かに見てもらうのです。家族や友人でも、SNSでも、自分の作品を誰かに見てもらう経験は、また新たな創作の原動力になります。
あくまでも、「無才」が前提です。「無才」を通して、表出したあなたの創作物が、この世界の誰かと繋がる喜びを味わってみてください。

評価されることが目的ではありません。他人の目は他人の目です。たった一人の評価が、あなたの創作物の価値を決めるわけではありません。ただ自分の表現を誰かと共有する、そのこと自体に、価値があるのです。

そうして少しずつ、「無才の孤独」から「無才の繋がり」へと、自分の創作の在り方を広げていけば、その広がりの先に、きっとあなただけの表現の世界が待っていて、その世界に、誰かが入ってきてくれるはずです。

だから、今日も手を動かし続けること。とにかく手を動かしてください。一日一日を、自分なりのやり方で大切に積み重ねていくことです。

その一つ一つの小さな一歩が、やがて大きな一歩につながっていく。そう信じて、創作の日々を歩んでいきましょう。「無才」を前提にし、今日も自分だけの表現を探すのです。

時間です。
明日は「創作の時間術」を書きます。

今日のパステル画①『祇園祭の日』
今日のパステル画②『19:41』

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