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躁うつ病時代を生き抜く創作術8 人生で苦しかったことは、すべて表現になる

もしかしたら、人生の最苦境で、この文章を読んでいる方もいるかもしれません。

僕のように躁うつの波に苦しんでいたり、なにか身体的な病だったり、怪我であったり、僕とは違う精神的な疾患であったり、人生の苦しさにのたうち回っている、そんな方もいるかもしれません。

僕もそうでした。

これを書いているいま、僕の躁鬱の波は、比較的に、穏やかではあるのですが、それでもまだ、突然、胸が苦しくなったり、本当に突然、道の真ん中で、ただ散歩をしているだけなのに、人生の果てしなさに壮大さに、絶望したり。
相変わらずそんな日々です。
「もう病気は治ったんですか?」「もう鬱は治ったんですか?」
そんなことはありません。
治ってないです。
というか、治るということはないようなんですね。
「寛解」といって、一時的に躁とうつの波が穏やかになることはあるものの、月に一回は相変わらずうつになる。
地獄は必ずやってくる。
僕はその地獄に備えて、毎日、なにかを創っているのです。

これを読んでいるあなたもそうかもしれません。
あなたの苦しさはよくわかります。これを読んでいるあなたは僕より年上かもしれないし、もっと年下かもしれない。
もしかしたら、学生かも。
もう会社を退職しているかも。
僕と同世代かも。
そんなことはどうでもいいんです。
僕が言いたいのは「人生で苦しかったことは、全て表現になる」ということなんです。
人生で苦境に立たされた時は、それをどんどん表現して、そして体力を消耗させましょう。
苦境に立たされた時に体内で渦巻く「マイネスのエネルギー」つまり内側に向くエネルギーを、創作で発散させましょう。
世界のすべては表現の場です。
表現することが、すべて金に変換される世の中ですが、金になるか、ならないかは結果論でしかありません。
作った今、金にならなくても、回り回って金になるかもしれません。
あなたの表現が金になるか、ならないかで、自責する必要はないのです。
そう、創作はとことんピュアな時間です。誰にも邪魔されない。わがままでいられる時間。
その時間にあなたの苦しみをどこまでも表現してください。
なんなら、その表現を、仲間に見せてください。

仲間がいないなら、僕に送ってください。

繰り返しますが、人生のすべては、すべて表現になるのです。あなたの苦しみは、あなたが表現することによって、どこかの見知らぬ誰かを救うことになるかもしれない。苦しかったこと=挫折や失敗、人を傷つけたこと、自分を傷つけたことで、自責的他責的にならないでください。
自分には深刻にならずに、たとえば、絵だったら紙面、立体物だったら紙粘土、文章だったら原稿用紙に、その苦しみを、ただ焼き付けてください。

僕も躁鬱の波がひどかった30代の前半の苦しみを、本にしてみました。


下記のURLから試し読み版がダウンロードできます。
https://karamuchoijichi.com


本は売れるかわからなかったのですが、作らずにはいられませんでした。
本には僕の苦しみがそのままパッケージングされています。
僕が苦境に立っていた時の脳みそを、そのままアーカイブしたような、そんな感覚でした。
ですが、苦しみを表現し、本という形にしたことで、体からスゥっと力が抜けた感じがしました。30代前半の、底抜けに苦しかった日々を、手放すことができた。
そんな感覚でした。
絵もそうです。
誰に見せるわけでもなかったパステル画を、個展という「場の形」にしたことで、僕の苦しみが、僕の手から離れていって、楽になった気がした。

心臓に打たれていた楔が外れたような感覚でした。

もし今、あなたが、人生の果てしない絶望の淵、苦しみの淵にいるとしたら、作るべきものが溜まっているという状態です。

創作すべき負債が溜まっている状態と言えるでしょう。
それをすべて表現という形で、放出してください。
僕はそれを見てみたい。

あなたの人生に沈殿した苦しみを、今こそ創作に昇華しましょう。

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