誰かのために尽くすことを選んできた
幼少期の頃を思い出してほしいのです。
誰かに尽くすこと、ことのつまり「いい子」でいることを強くこだわっていませんでしたか?
誰に教わったわけでもありませんが自意識の働かない遥か昔から、私はそういうものだと己に言い聞かせていたように思います。
成長につれて私も頭が大人に近づいていって、単純に褒められるだけでは心の渇きを満たせなくなっていくのです。
期待でもてはやされることが通例行事になり、謙虚さを通り越して私が最終的に行きついた思考は「成果を残すことでしか取り柄のない人間なんだ」というものです。
嬉しくてはしゃぎたくなる気持ちとその裏腹に
「誰でもできることだから」って難癖をつけて拗ねてしまう気持ち…
大人になった今でも少しよぎることがあります。
それでも前ほどは心の中ですねたりしなくなったのでした。
裏腹な心の違和感を自分の中でまず自覚できたこと、その違和感を違和感のままにしてもいいんだと誰かに言ってもらえたことです。
うれしいと感じたらその対極の感情を抱くことは何ら不思議なことではない、人間の心の仕組み上あってもおかしくないんだとその人に教わって、
それがあまりにもしっくり来すぎたんですね。腑に落ちたというか心底納得できたんです。
「ワタシって素直じゃない」その疑いの気持ちに罪悪感を感じているなら…
ぐちゃぐちゃな感情をそのまま受け止めてもらう、その体験をあなたにも味わってほしい。
そこにはあなたが思い描く以上の感動が待っているはずです。
【豆腐メンタル陰キャソロ充のための駆け込み寺】
大切な人にほど相談できない、迷惑かけたくない、でも心が限界だった私が相談できる場所を見つけた方法。
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