見出し画像

鈴木邦男さんがお亡くなりになりました。真の思想家、運動家、活動家とはいったいなんだろう。

鈴木邦男さんがお亡くなりになりました。

前に働いていた彩流社時代に、編集を担当したことはありませんでしたが、彩流社から鈴木さんの著書が出た時や、一水会や連合赤軍関連の本が出た時などは、よく書店やロフトとかでトークライブをやって、私がそれを取りまとめをすることが多かったので、鈴木さんにはいろいろとお世話になりました。

(私は今、出版社で編集者としても働いている身ですが、出版社の編集者のほとんどは大卒だし、そもそも大卒でないと入社試験すら受けさせてもらえないところがほとんどですが、私は大学も行ってないし(それが良いこと、勉強が足らないことが良いことなんて全く思っていないので、今必死に仕事しながら勉強はしてますが)、学識も貧しく、まあ本当に頭も良くないし、いまだに政治のことも思想のことも、正直よくわからないことばかりで、いつも何が正しいのかが分からなくなります。なので、思想的なこと、左翼とは右翼とか保守のなんたるか、その手のことは書きません、書けません。先にそのこと、ことわっておきます)

鈴木邦男さんは、右からも左からも批判されることが多い人でしたが、わりと近くで鈴木さんのことを見る機会のあった私から見ると、誰にも分け隔てなく、とにかく会って話そうとする人で、批判されても、脅迫されても、相手の前に出てきて、逃げも隠れもしない、鈴木邦男さんの著書の奥付けには、鈴木さんが長らく住んでいた、東中野のアパートの「みやま荘」の住所、電話番号が掲載されていて、私はそれを初めて見た時に「ええーーー!こんなことしたら危なくないのか?」と本当に驚いたことを覚えております。

実際に危険な目にもあっていて、アパートも放火されたこともありましたし、トークライブの後の打ち上げで殴られたりと、いつも危険と隣り合わせだったと思いますが、それでも個人情報をさらして、「話があるならいつでも来てください、連絡してください、話し合おう」という覚悟を持って本を書き、最後まで住所と電話番号を本に載せていました。そんな人、他にいますか?

あれだけテレビにも出て、本もたくさん書き、著名人でもありましたが、大学の先生になったりして安定した暮らしをすることもなく、最後まで古くて狭い小さなアパート暮らし、現代はSNSなどで匿名で偉そうに政治や思想を語る人間ばかりの、この日本においてはまさに対極の方だったと思います。いくら偉そうに格差だ、貧困だと語っていても、その人の暮らしが裕福で安定している人だったりすると(それが悪いことだとは思いませんが決して)、学者であっても、なんか違和感があったりしてしまいますが、鈴木邦男さんはそういうことがなかった。最後まで、アパート暮らし、毎年膨大な本を読んで、多くの人に会い、発信し続ける人だった。

ご冥福をお祈りします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?