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【世界一周旅行記 #6】 なぜ『カンボジア=貧困』なの?共産主義とポル・ポトについて

どうもノマドワークをしながら西回りで世界一周をしている飯田さん(@iida_shi)です。

ベトナムから陸路でカンボジアの首都プノンペンへやってきた。

さて、カンボジアといえば、日本人からしたら『貧困』というイメージが強いと思う。
この記事を読んでくださっているあなたもそういうイメージがありませんか?

なぜカンボジアは貧困だと言われているのかというと、1976年から1979年の3年間にカンボジアでは多くの虐殺が行われたからだ。

なぜ虐殺が行われたのか?
その理由は、ポル・ポトという男がカンボジアを統治していたから。

ポル・ポトはカンボジアを国民全員の資産を平等にする、いわゆる共産主義に変えようとした。
共産主義という言葉にピンと来ていない人にわかりやすく説明すると、彼はこういう思想の人だ。

「原始時代のような生活に戻れば、
我々は平等で平和な世界を築けるはずだ!

現に田舎の農民たちはお金がなくても幸せように暮らしている。

カンボジアをそんな原始時代と同じような国にしよう。

国を変えるにあたって、賢い人間は邪魔だな。
よし、文字が読める人は賢いから処刑。
メガネをかけしている人も賢そうだから処刑。
知識を持った人間は文明の後退に不要だから処刑してしまう。

子供たちは私の言うことを素直に聞いてくれるから彼らを利用し、
頭が良い人たちを処分させてしまおう。
これは素晴らしいことなんだ。」

そんな虐殺が行われた場所が『トゥールスレン虐殺博物館』だ。

建物の中には虐殺された後の血痕がクッキリと残されていた。

虐殺された人の身分証が写真付きで壁一面に飾られていた。
”写真”というものがこんなふうに使われるなんて不憫で仕方がない。

奥の建物へ行くと、人骨が棚の中にまとめられていた。
力がスッと抜けて気絶しそうになり、すぐに建物を後にしてしまった。

人々を収容していた建物

ポル・ポトは国を原始時代に戻すにあたって、賢そうな人を次々と虐殺した。
なんと、カンボジアから外国へ行った留学生も国へ呼び戻した。

「この国はこれから益々発展する。
そこで君みたいな賢い人間の力が必要だから、直ちに帰国せよ。」

この言葉を聞いた、留学生たちはカンボジアへ帰国した。そして留置所へ入れられ、まもなく虐殺されたという…。

日本に留学していたカンボジア人の手記

信じられる?今から約45年前にこんな国が日本の近くに存在したことを。

この極端な政策が続いた結果、社会インフラは崩壊。食糧が育たなくなってしまった。

そして実はこんな政権下でもカンボジアはベトナムと戦争していた。
ボロボロになったプノンペンはベトナムに侵攻されて2週間で制圧されたという。

これでポル・ポト政権は幕を閉じた。

ポル・ポト政権が終わった後、国民の約80%以下が14歳以下になったとのこと。
上の世代が存在していないため、教育機関もあってないようなもの。他の国から援助を受けないと国が全く育たなかった。

これが『カンボジア=貧困』だと言われている理由だ。

私が首都プノンペンの街を歩いているとき、男性の高齢者が全くといっていいほど見かけなかった。
しかし若い人は多く活気を感じた。街は至る所で工事されており、今後の発展が益々楽しみだ。

さて、今回私が伺ったのは『トゥールスレン虐殺博物館』のみだが、『キリングフィールド』という場所も元気なら行ってほしい。
私はメンタル的に行けなかったが、次プノンペンへ帰ったら伺おうと思う。

この日は身体全身の力が抜けて、1日食べ物を口に入れることができなかった。

翌日は、前日から空いていた腹を満たすべく、日本人の方が経営されているお店で二郎風ラーメンを食べた。

かなり本格的だ

我々はなぜ歴史を学ぶのか、あなたはどう思いますか?

私はプノンペンに来る前までこう答えていた。
「過ちから学び、今をより良くすることができるから。」

しかしポル・ポトは共産主義を実現しようとすることを悪だと思っておらず、むしろ国自体がよくなると思ったから実行した。

悪意のない善がこのような結果を招いたわけだ。

果たしてそれは過ちと呼べるのか?
彼にとってそれは正義かもしれない。

何かが良くなると、何かが悪くなることは、これまでの歴史で証明されている。

ではなぜ歴史を学ぶのか?
前だけ向いていればいいじゃないか。

いや、それも違うんだよね。

そんな自問自答をしながら、私は旅を続ける。


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