見出し画像

挨拶から蘇ったエラーの記憶

夕方、庭の草むしりをしていると、背後から「こんにちは」と声をかけられた。
近所の方だと思うが、60~70代くらいの女性で、わたしが居る場所から20mは離れていたため、「はて、誰だろう? 何の用だろう?」とは思いつつも、ひとまず挨拶を返した。

すると、「ユウジの同級生?」と女性が訊いてきたではないか。
ユウジ? え、ユウジ? どこのユウジだ?
しばしその場で立ちすくむわたし。返事を待つ女性もその場に立ったままだ。

考えろ、考えろ。ユウジって誰だ?
思考すること数秒。
ユウジか! わかったぞ! 中学の時の同級生だ。そうか、女性はユウジのお母さんか!

「あ、そうですそうです、ユウジ君の同級生です。ご無沙汰しています」
ニコッと笑みを浮かべた女性に軽く頭を下げたわたしの脳みそには、しだいにユウジにまつわる記憶が蘇ってきた。

たしかユウジには2つ上のお兄さんがいて、そのお兄さんとわたしの兄も同級生だったはず。だから、ユウジのお母さんはわざわざ「ユウジの同級生?」と訊いてきたのだ。
ユウジのお母さんにしたところで、中学時代のわたしの容姿しか記憶にないはずで、年齢を重ねたわたしが、わたしの兄かもしれないという可能性を考えたのだろう。
それでも、「ユウジの同級生?」と訊いたということは、わたしに当時の面影がいくらか残っていたのかもしれない。

ユウジにまつわる記憶で真っ先に思い出すのが、中学での野球の試合のことだ。
当時の監督さんは、なぜかユウジとわたしを間違えることが多かった。体形や雰囲気が似ていたから勘違いをしたのだろう。
ときどき、わたしのことを〝自信をもって〟「ユウジ!」と呼ぶことすらあった。

ユウジはサードを守っていて、レギュラー。わたしは外野の補欠だった。
なのに、だ。
緊迫した試合中(もちろん公式戦)に、監督さんは「おい、イイダ。サードに行け」と言うのだ。
内心わたしは、「サ、サード?」と思ったが、行けと言われたら行くしかない。

ちなみにユウジはその日、怪我か体調不良で、ベンチスタートだった。
代わりに出場していたサードがエラーを連発したため、監督さんはなぜかわたしをサードに起用したのだった。

外野しか守ったことがないわたし。
ド緊張である。
外野からの景色しか知らない人間にとって、バッターまでの距離がめちゃくちゃ近いサードのポジションはとても怖い。かなりビビっていた。まさに地に足がついていない状態。

よく野球では、交代した選手のところにすぐ打球が飛ぶと言われるが、それは本当に本当だった。
次の打者は、見事にサードにゴロを打ったのだ。しかも超イージーなゴロ。
ド緊張のわたしは、見よう見まねでグラブを出したが、案の定エラー。

マウンドにいたピッチャーがカンカンに怒っている。
「おい、イイダ、ったく、何やってんだ」
「わりー」と謝るわたし。
でも、悪いのは監督だと思うよ。サードなんて生まれてこの方守ったことなんてないんだから。本当はユウジを出したかったんだと思うよ。
……でもそんなことをその場で考える余裕なんてなかった。

次のバッターが打席に立つ。
その瞬間、突然、監督さんが動いた。
「サードにユウジ。イイダはレフト」審判にそう伝えたのだ。

ほら、やっぱり間違えたんじゃないか。
オレとユウジの区別がついてなかったんだよ。

少しホッとしてレフトの守備位置につくわたし。
見慣れた外野からの景色に安堵するも、自分のエラーで依然として2アウト満塁のピンチが続いていたため、わたしは外野にいても落ち着くことはなく、緊張はなおも続いていた。

先程からずっと苛ついているピッチャーからは、「イイダ、ちゃんとやれよ」と容赦なく叫ばれる始末。
そんなこと言われると余計にプレッシャーじゃないか……トホホ。
なんとか早く終わってほしい一心で、一応「さあ~来い」とたいして大きくもない声を出していると、次のバッターの打球がわたしのほうへ飛んできたではないか!

しかも大飛球。
高~いフライ。
わたしは自信喪失のメンタルで、ボールを追いかける。その姿はきっと頼りなかったことだろう。

落としそうな予感。
自分でも落としそうだと思ってしまう、この弱さ。

でも、捕った!
グラブからボールが少し顔を出していたが、辛うじて捕った!

今、こうして書いていてもドキドキするくらい危なかったのだ。
そしてピッチャーからは、またしてもベンチで嫌みを言われる。
「まったく、あぶねーよ」
その後、ベンチでわたしのメンタルがさらに深い海へと沈んでいったのは言うまでもない。

試合に勝ったかどうかの記憶もない。
そのあと、自分がレフトを守り続けたのかもまったく覚えていない。

とにかく、監督さんがユウジとわたしを間違ったことだけが鮮明に記憶に残っていた。
そして、慣れないサードでのエラー、レフトでのギリギリの守備。
ユウジのお母さんからの挨拶で、忘れていた記憶が何年もの歳月を経て蘇ったというわけだ。

以来、ユウジのお母さんとすれ違うたびに、エラーの記憶が蘇ってしかたがない。
そして、当時のことを思い出して無駄にドキドキしている自分がいる。
どうやら、チキンぶりは未だに治っていないようだ。
いっそ唐揚げにでもしてほしいくらいだ。マズそうだけど……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?