イイダノブタロウ

日々思い浮かんだことを。つれづれnote。

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最近の記事

挨拶から蘇ったエラーの記憶

夕方、庭の草むしりをしていると、背後から「こんにちは」と声をかけられた。 近所の方だと思うが、60~70代くらいの女性で、わたしが居る場所から20mは離れていたため、「はて、誰だろう? 何の用だろう?」とは思いつつも、ひとまず挨拶を返した。 すると、「ユウジの同級生?」と女性が訊いてきたではないか。 ユウジ? え、ユウジ? どこのユウジだ? しばしその場で立ちすくむわたし。返事を待つ女性もその場に立ったままだ。 考えろ、考えろ。ユウジって誰だ? 思考すること数秒。 ユウジ

    • 時々思い出す人、言葉

      ふとした瞬間に、視線がぶつかる ♪……ではなく、思い出す人がいる。 それは、小学校時代の担任の先生だったり、疎遠になってしまった友人であったり、別れてしまった恋人であったりする。 今日、ふと思い出した人は、クリーニング屋のおばちゃんである。 新卒採用で勤めた会社では、毎日ワイシャツを着ていたが(普通にスーツってこと)、収入もまだまだ少ない頃だったし、何枚も揃えているわけではなかった。 だから、週に2度はクリーニング屋さんに行く必要があった。 しばらくは自宅近くにあるクリ

      • 朝からパン作り。 今回は、強力粉とライ麦粉で作ったカンパーニュ。 昨日の夜から仕込んで発酵具合はまずまずだったけど、もう少し理想の形にしたかった。でもでも上出来だ!

        • 芝の管理は大変だ

          今年の春、自宅の庭に芝(高麗芝)を植えた。 そのため、今年1年は(厳密には秋頃まで)、芝がしっかり根付くまで水撒きをすることになった。 5月頃に「takagi」の散水ホースリールを購入し、夕方の涼しくなってきた時間帯に水撒きをすることが日課になったのだが、夏になった今では、気温が高いため、毎日水を撒かなければならない。 おまけに、びっくりするほど雑草が生えるので、草むしりまでしなくてはいけなくなった。 最近では、朝起きて庭を見るとキノコが生えていることもあり、朝、出かける前

        挨拶から蘇ったエラーの記憶

          悔しい275円

          週に1~2度は、ブックオフに行く。 基本、文庫本の新刊は書店で購入しているが、新刊以外は(お小遣いという)経費を削減するために、できるだけ中古本を買うことにしている。 昨日もブックオフの100円コーナーを物色していると、掘り出し物を発見! しかも、その本の状態がめちゃくちゃいい。 現在、書店では各出版社が夏フェアを開催中だが、そこに並んでいる本がブックオフで100円(税込み110円)で買えたのだから、それはそれはテンションが上がるってもんさ。 ブックオフのアプリにはクーポ

          隣町へ小旅行

          隣町の温泉に行って来た。しかも日帰りではなく、泊まりで。 妻も疲労が溜まっていたようだし、わたしもたまには旅行に行きたいと思っていた。 かといって、都会に行きたいという感じでもなかったし、遠出をするとお金もかかる。 そこで、隣町の小さな温泉宿に出かけることにしたのだ。 隣町なら、わざわざ泊まらなくてもいい気がしたが、あえて近場に泊まるというのもなんだか贅沢。しかも車で約一時間。旅費も大してかからないし、疲れもそれほど出ないだろう。 なにより、自然に囲まれた静かな場所でリラ

          妻の愚痴と妻への愚痴

          朝から妻が「ちょっと話を聞いてもらっていい?」と言ってきた。 仕事の話で、早い話が愚痴だった。 妻は温和な性格で、家では仕事の話もしないようなタイプであるため、愚痴をこぼすこと自体が珍しく、ちょっと心配になったため、しっかりと耳を傾けることにした。 こういうとき、「相手にアドバイスをしてはいけない」「解決しようとしてはいけない」といったことをよく見聞きするので、わたしは意識的に「聴く」に徹することにした。 しかし、聴くということはなかなか大変なもので、聴いているうちに、頭

          妻の愚痴と妻への愚痴

          我々は、みな孤独である

          ……という小説を読んでいる。 貴志祐介の本は初めてだが、面白い。 先日は、森博嗣の「孤独の価値」という新書を読んだ。 孤独という言葉には、どうしてもマイナスな印象が付いて回るが、それを根底から覆された。 読んでいるときには、孤独をまったく感じなかった。むしろ、孤独で在らなければとも思ったほどだ。 前回の記事(note初投稿)では、わたし自身、寂しさについて書いた。 寂しさって捨てたもんじゃないとも。 冒頭からこんな風に孤独について書いていると、こいつどんだけ寂しいやつな

          我々は、みな孤独である

          寂しさから生まれるもの

          某文学賞への応募が終わり、しばらく文章を書くことをお休みしていた。 その間、録画して観ていなかったテレビドラマを観たり、買うだけ買って読んでいなかった小説やエッセイなんかを読んだり、ひたすらインプットに時間を費やしていた。そしてそれは、幸せな時間であった。 しかし、元来飽き性のわたしは、しだいにその生活にもマンネリを感じ始め、また書きたいという欲が湧いてきた。はて、どうしたものか? と思った結果が、ここnoteへの投稿に至る経緯だ。 エッセイと言えば聞こえはいいが、ただ思

          寂しさから生まれるもの