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時々思い出す人、言葉

ふとした瞬間に、視線がぶつかる ♪……ではなく、思い出す人がいる。
それは、小学校時代の担任の先生だったり、疎遠になってしまった友人であったり、別れてしまった恋人であったりする。

今日、ふと思い出した人は、クリーニング屋のおばちゃんである。

新卒採用で勤めた会社では、毎日ワイシャツを着ていたが(普通にスーツってこと)、収入もまだまだ少ない頃だったし、何枚も揃えているわけではなかった。
だから、週に2度はクリーニング屋さんに行く必要があった。

しばらくは自宅近くにあるクリーニング屋さんに通っていたのだが、残業が増えると、帰宅する時間にはお店が閉まってしまうため、職場近くのクリーニング屋さんにワイシャツを出すようになった。

夕方6時を過ぎると、「ちょっとクリーニング屋に行ってきま~す」と言って職場を出て、2~3枚のワイシャツを出しに行く。
そして受け取りの日に、また2~3枚出しに行くといった具合だ。

そのお店は、おばちゃんが一人で切り盛りしていて、自宅を一部改装した店構え。
通っているうちに顔なじみになり、ちょっとした会話をするようになった。
50代後半か60代前半と思われるおばちゃんは、わたしがお店に行くと、いつも笑顔で迎えてくれ、わたしにとってそこでの数分の会話は、残業の合間の気分転換にもなっていた。

ある日のこと、たぶん、わたしがストレスで軽い愚痴か弱音でも吐いたのだろう。あるいは、「なんかいいことないですかね~」などと言ったのかもしれない。
会話の詳細は忘れてしまったが、おばちゃんの言い放った言葉が忘れられない。

「悪いことばっかじゃない。良いこともあるよ。でもね、良いことも悪いことも長くは続かないものよ。特に、良いことはね、長くは続かないものよ……」

「良いことも悪いことも長くは続かない」
なるほど、ふむふむ、そうだよね。
特にわたしに響いたのは、「良いことも長くは続かない」という言葉だった。
当時20代前半だったわたしにとって、その言葉は妙に気になり、今でもこうして根強く脳裏に焼きついている。

「悪いことも長くは続かない」に関しては、あとあと考えればいつの間にか浄化されていることも少なくないし、そうかもねって思えるけれど、一方で、悪いことの渦中にいるときは、長いトンネルにいるみたいでしんどい日が続くことも多い。
悪いことってどうしても引きずってしまうから、長く感じるという側面があるのだろう。

でも、良いことって、色々思考を重ねてみても、やっぱり長くは続かない気がする。
誇張して言えば、良いことは〝瞬間〟だったりもする。
それどころか、良いことがあると、勝って兜の緒を締めよではないが、あんまり浮かれていると足をすくわれるぞ! っていう精神すら働く。
これは日本人の気質だろうか(それとも俺だけか)。

いずれにしても、ときどき人が放つ言葉には、哲学者のような、あるいは何代にもわたって継承している焼き鳥屋さんのタレのような味というか重みというか、それぞれの人生を生き抜いてきた足跡……という名の魂が感じられて、それが自分にとっての生きるヒントになる場合がある。

普段は、そういった格言は本を通して知ることが多いが、クリーニング屋のおばちゃんのように、対面で、声で聞くと、ずっと自分の中に生き続ける。

そのクリーニング屋さんには、やがて後輩も通うことになり、たまに3人で話し込むこともあった。
5年くらい通い続け、わたしはその後、その職場を去った。
辞めてから後輩と食事をする機会があり、「そういえば、クリーニング屋のおばちゃんが寂しがっていましたよ」と聞き、「あー、辞めるときに顔を出してくればよかったな」と思った。

以来、その場所には一度も行っていない。
クリーニング屋さんが今でもやっているかどうかも知らない。
おばちゃんは元気にしているだろうか。
会うことは、もう、ないかもしれない。
でもわたしは、こうして時々、クリーニング屋のおばちゃんのことを思い出す。

それは、昔の恋人や、小学校時代の担任の先生や、疎遠になってしまった友人を思い出す感覚にちょっぴり似ている。
会えたら嬉しい気もするけど、思うだけでもいいのかもしれない。
こんな思い出が、わたしにはたくさんある。
そして、そんな思い出で出来上がっているのが、今の自分である。

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