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山に登った男の子


※ ファンタジー書きたい病発症中🧚

 

◇ ◆ ◇


 この時期そこいらをフワフワ頼りなく舞う綿毛のふりをしていたのに、よく気付いたものだ、と妖精は感心して男の子を見つめました。

 男の子は麓の小さな村の子に違いありませんでした。鹿の革をよく鞣したベストに、底を補強した革靴を履いています。いずれも暖かさに重きを置いた装いで、ともすればこのあたりの寂しい山間に紛れ込んでも気付けないくらいに質素でした。

 切り立つ崖、険しい岩肌を生々しく覗かせる山、風は厳しく、冷たく、穀物もそうそう実りませんから、麓の小さな村は断じて豊かではありません。

 それでも、この子の衣服は頭のてっぺんからつま先、耳飾りに至るまで新品でした。
 村には年寄りばかりで、子どもが一番たくさんいたときの半分よりも少ないことを妖精はよく知っています。

 子ども。
 貴重な、小さな子どもです。

『おまえ、よく来たね。』

 人間の言葉で話しかけても、男の子は特に驚いた様子を見せません。水を掬う時のように両手のひらを見せてくるので、妖精はその真上まで飛んで行きました。たとえ『パチン!』とされたとて、肉体を持たないがために、痛くも痒くもありませんから。

『口がきけぬのかね』

 彼が頷くので、妖精もふうんと頷きましたが、それだけで留めました。あまり気安く声をかけてやる必要も、元来無いのです。

 この子どもの正体というのは、最もき生贄でした。
 村は食物に困窮するようになると、しばしば山に生贄を寄越します。
 年寄りや怪我人もありましたが、此度はずいぶん困っているようで、育ち盛りの男の子が、親類たちのありったけの未練を背負わされて、ひとり、遣わされたというのでした。

 大人の生贄は意味、すなわち口減しに選ばれたことを察して自ら崖下へ身を投げますが、生贄の子どもは純粋に『おやまのてっぺんの、妖精の王様に会いにゆき、村に実りをお授けくださいとようくお願いするのだよ。』との親の言葉を信じて登ります。

 信じて険しい山を登り、大抵の場合、足を滑らせて谷底に落ちて死ぬか、獣や魔物に襲われて死んで食われるか、あるいは明け方に凍え死ぬかのどれかでした。

 妖精には寿命というものがありませんから、人生というのもおかしいのですけれど、長い人生の中で何度も子どもの小さな死体を見てきました。

 山のてっぺんまであともう一息というところで倒れ、息を引き取った小さな体を、金色に輝く朝日が照らして、反面、その影の深さのかなしさ・・・・と言ったらありません。
 その子どもの体は、間も無く降り出した雪に埋もれて、いつのまにか消えておりました。

 ただその次の年の春は暖かく、子どもが死んでいたあたりの岩にしがみつくようにして背の低い植物が芽吹いておりましたから、やはりどうあってもものごと・・・・は巡るということなのです。

 谷に落ちようが獣に食われようが、身を切る寒さに凍えようが、どこかで若木は萌ゆるのですから。

 男の子は、妖精が知る限り初めて山頂に辿り着いた子どもでした。
 衣服は真新しくとも、痩せ果てております。
 ということは、麓から大した怪我や転倒もなく、ただ飢えと乾きを抱えてきただけですから、大した運の持ち主でした。

 もったいない。

 妖精は、灰色の崖の淵に座り込んだ男の子の肩に座って惜しみます。

 これだけの強運、それから、ひとつ次元の異なる妖精の存在に鋭い目、さらに余計なことを語らぬ口。秘密を尊ぶ霊師精霊使いにぴったり。その道を究めるというのならばさぞや立派になり、大陸中に名を馳せただろうに、麦の一粒に魅せられた愚かな人間たちよ。

 男の子はしばらくの間、濃淡のある夜の紺色が山を覆ってゆく様子を眺めておりましたが、前触れもなく、ぱったりと倒れました。
 沈みかけの太陽は激甚な橙色、男の子の影は真っ黒で、ずうっと向こうの険峻な山々は既に雪を冠して白々と清らでした。
 冷たい風が、炭をこぼしたような谷底でひゅうひゅう鳴り轟いています。

 速度を落としてそよそよ・・・・集まってきた風の妖精が撫でる髪や、シャツの裾がかすかに揺れるばかりで、体は全く停止しています。閉ざされた目蓋は薄く、まつ毛の長い、美しい男の子でした。

『陛下、恐れながら申し上げます。この者、類稀な瞳を持ちます。このまま黄泉へ遣るには惜しいかと。』

 風の妖精の言う通り、惜しいことは確かです。
 妖精は今し方『陛下』と呼ばれた通りの立場ですから、つまり、この男の子は見事使命をやりおおせた初めての子どもでした。

『……おや、珍しいこともあるものだね。』

 未だ燃える西側の空からごうごうと翼を鳴らして飛んできた一頭の竜があります。妖精の王はその大きな影に向かって微笑みかけました。
 竜は普段は海の上を飛び続ける風の司であって、妖精の王にとっては千年来の友でした。

も老いさらばえたといえ竜よ。予感があった。光の司からも山頂に至し人の子ありと、兆しがあった。』

 竜は息を引き取ったばかりの男の子を見つめて、かわいそうに、と憐れみます。
 竜は妖精と違って肉体を持ちますから、痛みも悲しみも持っています。人間からすれば慳貪けんどんに見えたとしても、竜は小さなものをほんとうに憐れむという真実優しい心をしておりました。

 妖精には肉体がありませんから、なんとなく情の多かれ少なかれはあれど、はっきりとした『悲しみ』や『喜び』や『寂しさ』は分かりません。
 寿命に限りがない代わりに、どことなく薄ぼんやりとしているのです。

『きっと、なにかものごと・・・・が動いているのだね。この子どもがここまで登り着いたことにも、あなたが海からやってきたことにも、理由があるのだ。』

 妖精の王は、死んだばかりでまだ柔らかい男の子の口をそっと開かせると、そこに迷いなくするりと滑り込み、唱えました。
 口の中は暗く、まだ命の残滓があり、暖かでした。

『おお、友よ、我が金蘭の友よ、勁き翼、風の司よ、見届けよ! 我はこれよりこの憑代を以て新山守にいやまもりとならん! おお、友よ、誇り高き風の司よ! 我が血を見よ、我が瞳を見よ!』

 妖精の王の口上に竜が応えます。

『おお、友よ、我が金蘭の友よ、遥かなる命、永遠の司を、見届けようぞ! 汝の血、汝の瞳、息吹を以てして人の子を新山守にいやまもりとせよ! おお、友よ、気高き永遠の司よ! 汝の血を見せよ、汝の瞳を見せよ! 風よ吹け、我が子らよ吹け!』

◇ ◆ ◇

 麓の村には、一組の夫婦がありました。
 妻は白髪の混ざった髪が乱れるのも気にせず、ひたすら霊山に向かって膝を突き祈り続けています。夫も同じく祈り続けておりましたが、ふと集中が途切れ、辺りを見渡すともうすっかり日が沈んでおり、灯りといえば村の入り口に掲げられた松明が翻るばかりになっていました。風は厳しく、夫婦の頬を切り裂かんばかりに冷えております。

 子を生贄として差し出した負目から、夫婦はどうしても家で暖を取る気持ちになれません。

 今頃あの子はどうしているだろう。 
 山の頂上まで辿り着き、妖精王の慈悲を受け、その血の一角に名を連ねる許しを得られたなら良いが。

『あっ』

 石のように黙り、じっと動かずに瞳を伏せていた妻が突然顔を上げ、山の頂上を指さします。夫は妻の体を後ろから抱きつつ、指先を追いました。

『あの子だ、あの子だわ!』

 星粒が清明に煌めく夜、妖精の王が住まうとされる山の頂上から『ぱっ』と光が吹き上がっています。真っ白な光の玉が、繰り返し、繰り返し、光っては膨らみ、膨らんでは光るのです。

 突然風が、ゴーーーッ!と轟きました。
 海から大地へ向かって低く低く駆けて、山をぐうんと登り、草木を毟り取らんばかりに吹き上がります。こんな芸当はちょっとやそっとの風の妖精ではできませんから、村の人々は竜の仕業だとすぐに察して怯えました。彼ら人間にとって、竜は天災を呼ぶ恐ろしい存在だからです。
 貧しい村の家々が揺れ、崩れ、迫り出した岩壁にかけられた紙垂しでが破れ、風に攫われて飛んでゆきます。

『ああ、あの子が……』

 人間の目では、山の頂上に誰がいるかなどを見て分かることはできません。
 それでも人々は『妖精王が生贄を気に入って慈悲を下さる』と抱き合って喜びます。これで今年は豊作だ、麦が取れる、肉が取れる、村おさ・・・・を呼べ、いわいの酒を注げ……。

 人々が浮かれる中、夫婦だけは無言でした。
 自分たちの息子、幾度とない死産を乗り越えて、ようやく生まれたかわいい息子。
 他にも、生贄として子や妻、夫を失った人々も無言でした。
 浮かれているのは、村おさの血を引くが故に一度も生贄を出していない人々だったのです。

 誰かが、妖精の王よもしそこにしますならば、と唱えました。


◇ ◆ ◇


 大陸の東では、妖精と竜がしばしば一組で描かれます。竜はいかにもく駆けそうな翼をしたまさしく『竜』ですが、妖精の方は様子が異なります。
 1人の男の子として描かれているのです。
 まつ毛が長く、瞳の大きな、うつくしい人間の子どもです。
 儚く透ける翼もなければ、両性具有ともされません。

 かつて、男の子を妖精として最初に描くようになったらしき小さな村が険しい山の麓にあったといいますが、今はたったひとつの古い古い石碑を残してすっかり草叢に覆い尽くされており、言われなければそこが村の跡地だとは気付けないでしょう。

 石碑には、古い言葉でこう刻まれています。

 

『数多の生贄、忘るる勿かれ。』





(おしまい)



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