見出し画像

パズルのピース #6 母が何を考えているのかわからない

嘘で塗り固めた現実を突き破る

最初に性虐待の記憶が蘇ってきた後、私は父を尊敬しているという設定の現実を生きることができなくなってしまった。
そこで、家族面談という形で先生に立ち会ってもらって、両親の前で自分の気持ちを吐露する場を設けてもらった。

父親を尊敬しているという親子関係の設定とは かけ離れた現実を 嘘で塗り固めて生きている両親に突き付けることになる。
それは、嘘を突き破ることだった。
そのためには物凄いエネルギーが必要だった。
私はほとんど悲鳴に近い声で「私に何をしたの!?」と父親に向かって叫んでいた。

それは嘘で塗り固めた現実を生きる構成員としては、裏切り行為であり、密室を破る裏切り行為でもあった。

押し潰されそうな罪悪感の重さに私は耐えられなくなり、途中で退室した。
その後、しばらく連絡をとらずに治療に専念することで話はまとまった。

私が悲鳴に近い叫びで訴えたとき、素早く私の味方のポジションをとったのが母親だった。
先生の前で見事に理解のある母親を演じ切った。
私が本音を話せる先生に出会えてよかった、と。
そして、父親だけが完全な悪者になった。

私は父親と完全につながりを切ってしまって、母親だけが頼りになる状況に対して、どこかからくる身の危険を感じていた。
それがどこからくるのかその時はわからなかった。
 
少し時間が経って、母から手紙が来た。
その中で「お父さんがやったことはいけないことだけれど」と、私が受けたことを、その短い言葉と何の温度も感じられない言葉で片付けられていることに物凄い違和感を持った。
自分の子どもが泣きながら悲鳴を上げるほどの苦しみを訴えたことに対して、まるで何も気持ちが動いていないかのようだった。
私は、そんな簡単な言葉で済まされたことに腹の底から怒りが湧いた。

話が通じない:否認

性虐待の記憶がいくつも蘇るうちに、一つの疑問が湧いた。
私が性虐待を受けている間、母はそれをどういう気持ちで見ていたのだろう?と。
ずっと気づかないままなんてことがあるだろうか?
もし気づかないとしたら、それはそれで完全にネグレクトだけど。

どうしてもそれが気になったので、ある時、手紙で聞いてみた。
私が性虐待を受け続けていた長い期間、どういう気持ちで私を見ていたのか?と。

その返信は、逆上して私を責めて自分が被害者になる内容だった。
「全く全然気づかなかった。なぜ助けを求めてくれなかったのか。親として信頼してくれていなかったことが悲しい」と。

私はその返事を見て、ああやっぱりダメだ、何も話が通じないと、心底がっかりした。

私は自分が犠牲にならなければいけなかった理由が何か特別にあって、それがわかればこの苦しみから抜けられるのではないかと期待していた。
それがわかれば納得して先に進めるかもしれないと思ったから。

私はこんな風に期待をして、やっぱりダメだったという体験を今までにどれほど繰り返してきただろう?

慣れた回路を辿っただけという諦めとともに、どこにも行き場がない怒りが静かに沈殿してその層をまた厚くした。

私は売られていた

次に蘇ってきた記憶の断片は、母が私の入浴を父に覗かせている場面だった。
頭が混乱した。
そんなことする人がいる?と。

でもその前後の場面が蘇ると、私は生贄にされたことがわかった。
狭い家の中で、父と母が激しく口論している。
心配になって、どうしたの?と近寄ると、「子どもには関係ない話だからあっちに行ってろ。」と追い払われた。

なるべく聞かないようにしていたけれど、丸聞こえだった。
どうやら父には外に女ができたらしい。
そして家を出ていこうとしているらしかった。
当時の私にはそのことの意味が全く理解できず、事の重大さもわかっていなかった。

母はトイレに閉じこもって泣いていた。
私は母が心配で、「大丈夫?」と声をかけた。
はじめのうちはしおらしく「大丈夫」と鼻をすすっていた母も、何度も聞きに来る私についにキレて「うるさい!あっちに行ってろ」と凄い剣幕で怒鳴り散らした。
いつまで経ってもトイレから出てこないから心配だっただけなのに。悲しかった。
 
そしてその後から急に、入浴時に扉を閉めることを禁止されるようになった。
始めは姉と私と両方に言われていたけれど、姉は母からどんなに言われても無視して扉を閉めた。
それに対して母は何も言わず、私が同じように閉めると、物凄い剣幕で怒鳴り散らしながら扉を開けられた。
そして父がその隙間から入浴中の私を覗いた。
私はなんで私だけがこんなことをされるのかわからなかった。
 
入浴中に扉を開けておく理由がわからないと訴えて、水が外に飛び散るのに何のために開けなきゃいかないのか?と問い詰めると、換気のためとか訳の分からないことを言われた。
それなら窓を開ければ済むことだと、私は窓を開けて扉を閉めるようになった。
そうしたら今度は、私の入浴するタイミングで洗濯機の排水ホースをお風呂場に差し込んで、扉を閉められなくするようになった。
わざわざそのタイミングで洗濯をする理由が全くわからないし、そこまでして扉を開けさせる意味がわからなかった。
嫌がらせとしか思えなかった。
 
でもその後、父の性虐待がエスカレートしていったことを思うと、このとき母は私を父に売って、父を家につなぎとめる役を背負わせたのだと、つながった。

意味がわからない罵倒

それ以降、母は狂ったように私を罵倒するようになった。
なぜそこまで言われるのか毎回わからなくて困惑しながら、切り付けるような言葉を毎回投げつけられて深く傷ついた。
本当に切られているような痛みをともなう言葉だった。

例えば、私が鏡を見ただけで罵倒する。
「鏡なんて見て色気づいて汚らわしい」とヒステリックに怒鳴られる。
髪を整えようとして鏡を見ると、同じように怒鳴られる。
「髪を触るな、汚らしい、不潔、きたない、あんたのことなんて誰も見てない」と。
姉はその様子を笑って見ている。
姉はそれこそ色気づいていて、芸能人の髪型を真似して髪を巻いたりしていたけれど、一切何も言われなかった。

その差がどこにあるのかが私には全くわからなくて、私には思い切り憎しみをぶつけているようにしか感じられなかった。
その理由がわからないことが一層、恐怖をかきたてて、またいつ罵倒されるかとビクビク怯えるようになった。

姉は髪を伸ばしていたけれど、私は髪を伸ばしてみたくても、「あんたには似合わない、ショートが似合ってる」と言われ続けて、少しでも伸ばそうとすれば、「汚らわしい不潔みっともない似合わない」と罵られた。
 
私は自分が汚くて醜いという感覚が全身にこびりついたように離れなくなって、いつしか鏡で自分の姿を見ることが怖くて苦痛になった。
 
私の服装をバカにするのも やりたい放題だった。
私が選んだ服を みっともないとかダサいとか、何も言わずに笑うとか、そういうことを母と姉は二人で示し合わせたように繰り返した。

私は何を着ればいいのかわからなくなって、何を着ても恥ずかしくていたたまれない気持ちで、人に見られることに苦痛を感じるようになった。
人に見られるのが怖いと漏らせば、自意識過剰と嘲笑された。
「誰もあんたのことなんか見てない」と。

どこにも逃げ場がないところで、自由に罵倒していいターゲットにされ続けた。

狂ったように罵倒する母

最も意味がわからなかったのは、お風呂の時間だった。
毎日「お風呂に入りなさい!」と突然、怒鳴り散らされた。
なかなか入らなくて怒鳴られるのではなく、最初から凄い剣幕で怒鳴ってくる。
それが苦痛でたまらなかった。
さらに意味がわらかないのは、入浴している途中に突然扉を開けられて、「長い!いつまで入ってるんだ」と毎日怒鳴られることだった。
湯船に入ってゆっくりしているわけでもなく、普通に体を洗っているだけなのに、突然扉を開けられて怒鳴られる。

少しも気を緩めることができず、普通に体を洗うことも許されない粗末な存在という惨めな感覚が毎日積み重なっていった。

なぜそこまでされるのかわからない苦痛と、衝撃をともなう怒声に本当に耐えられない気持ちで毎日心が削らた。

心を休めて回復させられる時間も場所もどこにもないまま、エネルギーが奪われていくようだった。

外で友だちと遊んで気分転換できても、家に帰ってくると、物凄い殺気をまとった母が待ち構えていて、直接は何も言わずに態度で不機嫌をぶつけてこられるのも苦痛だった。

外で少し心を回復できても結局、帰れば削られることの繰り返しだった。
いつもそんな調子なので、私は何も話さなくなった。
少しでも苦痛を減らしたかったから。

そうやって、同じ空間で生活しながらも、なるべく距離を取るようになった。

姉の反抗期

姉が反抗期に入ると、それまでタッグを組んで私を攻撃していた二人が、激しい口論をするようになった。

私はそれを離れて見ていると、母がすり寄ってきて、「お姉ちゃんが酷いことを言う」と私に慰めを求めてきた。

私は冷めた目でそれを見ていると、「あんたがどんどん何も話さなくなっていくのが淋しい」と言い出した。
まるで私が母に冷たくして悲しませているという被害者の態度になって、私に罪悪感を抱かせて、私を責めているように感じた。

私は心底うんざりしながらも、話の相手をさせられることになった。
泣き言と愚痴と人の悪口ばかりを聞かされて、本当にうんざりしてしまって、「もっと楽しいことを考えれば?」と言ったけれど、理解できないようだった。

毎日かかってくる電話

大学への進学が決まり、平和に実家を脱出できたと思った。
でも母の罵倒は形を変えて続き、止まることはなかった。

一人暮らしの家に毎日電話がかかってきた。
その第一声は毎回「死んでるかと思った」だった。

そして、テレビで見た事件や事故の話が続き、私が死んでいるんじゃないかと心配で仕方がない、という内容が毎日繰り返された。

私は毎回同じ話を聞きながら、親をここまで心配させる親不孝者と責められて罪悪感を入れられているようで苦痛だった。

さらに、変なバイトをするんじゃないと注意しているようでいて、毎回その例題に風俗を出した。
私はどこからその発想がくるのか突拍子が無いように感じながら、毎回同じことを言われるので、実は風俗で働くように誘導しているのでは?とさえ思った。
 
こうして振り返ると、全く話が通じない相手の機嫌を取り続けなければならない環境はとても過酷で苦しかった。
 
(つづく)


目次 |   前へ◀| 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |▶次へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?