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パズルのピース #5 家庭という密室の中で

性虐待の原体験

それは初めて父とお風呂に入ったときのことだった。
3歳くらいだったと思う。

お父さんという人は仕事であまり家にいなくて、あまり話をしたことがない無口な人だった。
いつもはお母さんに頭を洗ってもらうけれど、その日はお父さんが洗ってくれることになった。

お父さんの膝の上で仰向けになった。
シャンプーが目に入るのが怖くて目を堅く閉じていた。
頭を洗ってもらっていたはずが、なぜか脚と脚の間を覗きこまれているようだった。

お父さんは「まだできないか」と意味不明なことをつぶやいた。
そして私の脚の間に何かをし始めた。
私は恐怖で頭が真っ白になってその後どうなったのか覚えていない。

場面が飛んで、お父さんと一緒に湯舟に浸かっている。
「ここをさわってごらん」とイソギンチャクのようにゆらゆらと毛がなびいているその中心を指さす。
私は言われた通り触る。
お父さんはうれしそうだった。

今度は、お父さんの脚の間についているものを見てごらんと言われた。
見たことがないものがついている。
これはなに?と聞くと、触ってごらんと言われる。
私は怖くて気持ち悪いような感じがして、「嫌だ!」と、とっさに言った。

するとお父さんは「お姉ちゃんも嫌がって触ってくれない」と悲しそうに言った。
私はものすごく悪いことを言ってしまったような気がして、お父さんが可哀想になった。
そして、全然平気なふりをして、言われた通り触った。
お父さんは嬉しそうで満足気だった。

お風呂から上がると、私は母に助けを求めてかけよった。
自分の体にされた何かについては怖くて言えなかったけれど、お父さんにはお母さんにはついていないものがあってそれを触るように言われたこと、そして触ったことを話した。
怖かったから助けてほしかった。

でもそれを聞いた母は、私のことは無視して父の方へと向かっていった。
そして二人はニヤニヤしながら、私をチラチラ見ながら、あの子はませているなどと話し合っていた。
私は、ませているという言葉の意味がわからなかったけれど、不穏な空気とあまりよくない嫌な感覚を感じ取っていた。
 

自分のされたことが何だったのかわからない

このときの恐怖と、自分が何をされたのかがわからない謎は後々までずっと私の体に刻まれた。

小学校低学年くらいの頃だったと思う。
近所に同じ年の女の子がいて、その子の家によく遊びに行っていた。
ある日、その子の部屋で遊んでいる時に、私は自分がされたことが何なのかを知ろうと思った。
そして脚と脚の間には何があって、それがどういう意味を持っているのか、確かめようと思った。

その子にお願いして、ズボンを脱いでくれるように頼んだ。
その子は不思議そうに「いいけど何するの?」と言いながらズボンを脱いだ。
「パンツも脱いで、脚と脚の間を見せてくれない?」と思い切って言ってみたら、その子は激しく「嫌だ!」と拒絶した。

私はその反応を見て、悟った。
私がやられたことは、こんなに激しく嫌なことなんだ、と。

そしてその子に何度も謝って、誰にも言わないで欲しいとお願いした。
私はその子にとても申し訳ないことをしたと思って、何日か経ってからも謝った。
「あの時は本当にごめんね、あんなことは二度としないから許して。」と。
その子は「全然大丈夫だよ?」と不思議そうにしながら笑顔で言ってくれたけれど、私は自分のしたことが後ろ暗いような不気味で怖いこととのような感覚がこびりついて離れなくなって、その子とあまり遊べなくなってしまった。

お墓まで持っていくこと

しばらく経って、他の近所の子の家によく遊びにいくようになった。
そのお友だちのママはいつも優しくて、お友だちとママはとても仲が良かった。
私はその雰囲気が好きだった。
いつも楽しそうにおやつを一緒に食べる仲間に入れてくれた。
私はその時間と、ママの優しい表情とともに食べるおやつを特別なもののように感じていた。

ある日のおやつは、蒸かしたさつまいもだった。
私は初めて食べたその食べ物が美味しくてうれしくて、美味しい美味しいと喜んで食べていたら、ママが帰りに持たせてくれた。
私はお母さんにも食べさせてあげようと思って、ワクワクしながらお母さんに話すと、思ってもいなかった反応で、あっけにとられてしまった。

「こんなもんもらってきて。家で何も与えていないみたいじゃない。みっともない。もう二度とよそでおやつをもらって食べるな。」
と物凄く不機嫌になって、怒られてしまった。

「え?友だちのママはそんなこと言っていないし、ただ私が美味しい美味しいと何度も言ったから、そんなに気に入ったならと、お土産に持たせてくれただけだよ?」と説明したけれど、母には通じず、「そんなみっともないことするな!」と更に怒られただけだった。

お友だちのママの優しさも、おいしさを母と一緒に楽しみたかった私の気持ちも、ぐちゃぐちゃに踏みにじられたように感じた。
とても悲しかった。
 
後日、そのお友だちの家で、おやつを食べちゃいけないことになったことを伝えると、ママは「言わないから大丈夫だよ、一緒に食べよう。」と言って、また一緒におやつを食べる仲間に入れてくれた。

お友だちとママが、おしっこをするところのことをかわいらしい呼び方(ぴっぴとかそういう言葉)で話しているのを聞いて、私は思い切って聞いてみようと思った。

「お父さんが私のぴっぴに何かすることは、〇〇ちゃんのおうちでも同じですか?」と。

〇〇ちゃんは不思議そうに、何のこと?という表情だった。
ママは優しく「それはね、お墓まで持っていくことだよ。」と私に言った。
「お墓に持っていくってどういうこと?」と聞くと、誰にも話さないでずっと心の中にしまっておくことだというような説明をしてくれたと思う。

私は誰にも言えないことを一人でお墓まで持っていかなければいけないということが心に焼印を押されたような、重い十字架を背中に背負って足が地面に沈んでいくようなイメージが浮かんで、これから先大変だと途方もない気持ちになった。
 
その後すぐに母から、そのお友だちの家にはもう二度と行ってはいけないと、きつく言われた。
理由を聞いても不機嫌になるだけで何も答えようとしないので、外でお友だちと遊ぶのはいいでしょ?と言うと、それならいいとぶっきらぼうに言われた。
私は、お友だちのママが気に入らないのだと何となく感じた。

ある日、久しぶりに偶然、お友だちのママと会った。
私は「遊びに行けなくなってしまって淋しい」と言うと、「うちはいいんだけどね、むずかしいね。」とママは複雑な表情で言った。
私に「ごめんね。」とも。

私は、なぜママが私に謝るのかわからなかったけれど、今になって振り返ると、ママは、私が性虐待を受けていることを母に話してくれたのかもしれない、と思うと色々つながってきて、人間関係の複雑さや難しさが見えてくる気がする。

社宅だったので、会社での立場や人間関係も絡んでくるし、ママはそれ以上何もできないことを私に謝っていたのかもしれない、と。
きっとママは、母が知らないと思って、私が他の誰かに話さないように口止めしたことも込みで母に話して、そうしたらなんとかなるかもしれないという見立てだったのかもしれない。

でも見立て通りにはならなくて、母の拒絶の態度から色々なことを察知しながらも、家庭内のことにそれ以上、他人が介入できない難しさに直面したのではないかと。
というのも、ママは私と顔を合わせるたび、申し訳なさそうな複雑な表情を浮かべていたから。
 
そんなことを子どもの私が理解できるはずもなく、私はもう二度と誰にも言ってはいけないことだという風に、その出来事を何重にも封印するようになっていった。

(つづく)


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