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パズルのピース #2 知らない誰かが勝手に生き始める

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底が抜ける

勝手に生き始めた誰かは、何もなかったかのように明るく振舞ながら、高校生活に戻った。
それまで無口でほとんどしゃべらなかったキャラクターから一変して、誰とでも明るく話すキャラクターになった。

とにかく高校を卒業して、大学進学のタイミングで実家を脱出することだけを密かに考えて生きる人格は、それ以外のことを一切考えず、猛然と高校生活をこなし始めた。

寝込んだまま動けず相変わらず宙を見ているだけの私から分離するように現れた知らない誰かは、何も感じずに現実に適応するためだけに生き始めた。
 
もう十分に地獄を体験したと思っていた。
どん底に辿り着いたら、あとは上に上がるだけ、というどこかで聞いた言葉を信じていた。

でもどん底だと思っていたことは、底ではなかった。
底は簡単に抜けた。現実に底など無いと悟った。
どこまでも底は抜けて落ちていくとのだと、その残酷さに怒りを感じた。
 

生理が遅れていた。
もともと不順だったけれど、それにしても遅れすぎていた。

父親に話した。
父親は笑いながら「おかしいな、外に出したはずなのに。」と言って、私に嘘を言うように命令した。

私は何を言われているのかわからなかった。
でも、もうどうでもよかった。

「学校帰りに知らない人にレイプされたと言え」と、そんな嘘のセリフをスラスラと作り出す父親を見て、この人はこの事態に何も感じていないのだと思った。
 
私はもう呆れ果ててしまって、何も感じないまま棒読みで「学校帰りに知らない人にレイプされた」と母親に言った。

二人はその措置をどうするか話し合い、私は知り合いが誰も来ないような遠くの病院に連れていかれることになった。
堕胎手術を受けるためだった。

その道中、車を運転しながら無言の母親は怒りに満ち満ちていた。
「なんで私がしりぬぐいをしなければならないんだ!!!」という思考が車中に充満していた。

病院について看護婦さんにも同じセリフを棒読みで伝えた。
看護婦さんはとても優しかった。
そういうことがあったら本当はすぐに検査をしなければならないこと、病気をうつされているかもしれないことを教えてくれた。
優しい看護婦さんに嘘をついていることを申し訳なく感じた。

手術の準備ができて、いざ手術台に上がるとなったとき、私の脳裏には中学校で受けた保健体育の授業の映像が思い浮かんだ。
堕胎される小さな胎児が子宮の中で逃げ回っている映像だった。
そんなに小さくても胎児は自分が殺されることがわかって逃げ回っている。
堕胎は命を殺すことだとその授業では解説されていた。

私は今から、私の中にある命を殺すことになる、と思ったら、急に怖くなって足がすくんで動けなくなった。
優しく気遣ってくれる看護婦さんに、「怖い」と言うと、看護婦さんは、「無理しなくて大丈夫だから、ゆっくり考えて、お母さんと話して。」と言ってくれた。

私は母親のところに行って、「私は今から命を殺すことになるよね?怖い。」と素直な気持ちを言ってみた。
それに対して母親は、「そんなこと言ったって、あんたには育てられないんだからしょうがないでしょ。」と凄い剣幕で怒鳴った。

私が育てられないから悪いと、私が悪いことにされたことに驚いて傷ついた。
レイプされてこれから堕胎手術を受けなければならない子どもに向かって言うことなのかな?と、そんなことを言われる意味がわからないまま、一人で覚悟を決めて手術台に上がった。
 
手術後は少し病室で休んで、そのまま家に帰ったと思う。
それから後のことをあまりよく覚えていないけれど、手術が終わった後は、まるで何もなかったかのように日常が始まった。
体の不調も誰にも言えず一人で耐えるしかなかった。

とにかくこの家から脱出したい。
その一心で日常をこなすうちに私の中でも、そのことはなかったことになっていった。
 

虎視眈々と

姉が内田春菊さんの著書「ファザーファッカー」を私に渡してきた。
なぜかはわからないけれど渡されたその本を読みながら、この人に比べたら私のされたことは大したことがないのかもしれないと思った。
私は暴力を振るわれていないから、私がされたことぐらいで苦しんでいる私は弱くて甘えているのだと自分を責める気持ちが湧いてきた。

この人はすぐに家を出て、水商売でお金を稼ぎながら自力で生きている。
私も同じことができるかと想像して恐怖で体が固まる感覚になると、私は意気地がなくて弱くてダメだと惨めな気持ちになった。
 
私にできるのは、普通の日常を送りながら、脱出できる日まで水面下で虎視眈々と準備をすること。
それは大学進学で上京することだった。
 
私はその日までの1年半を無事に過ごすため、もうこれ以上父親から危害を加えられないために、父親を褒めたたえることで満足させられるようにしようと考えるようになった。

自分に性虐待を繰り返してきた人を褒めたたえることを思うと、発狂しそうなほど激しい怒りが湧いてきた。
正気を保つために私は新しい設定を考えて、その中を演じて生きることにした。

父親が望んでいる父親像を実現させる設定にした。
それは誰からも尊敬される仕事ができる立派な父親像だった。
そして立派な父親を尊敬する子どもを完璧に演じ切ることで、父親を満足させて、性虐待に手が及ばないようにした。

それはまるで、水商売の人がお客を気分よくさせながら、たくさんお金を落としてくれるようにしながらも、自分の体に手を出される手前で明確に線引きをしているような関係性を再現しようとしているようだった。
そしてそれは実際にうまくいった。

私は客を喜ばせるホステスのようなふるまいを覚えるようになった。
そうやって自分の身を性虐待から守るうち、いつのまにか自分でも尊敬する人は父親です、と答えるようになっていた。

現実が設定どおりにきれいに流れること、現実にスムーズに適応することが全てになって、自分の感覚や感情は一切何も感じなくなった。
 
父親との関係性は、表面的にはうまくいっているように見えるけれど、私の中ではそれを保つために物凄い緊張感と神経を張り巡らせながら、完璧に役を演じ続けた。

その甲斐あって大学進学と同時に上京することに成功した。
私の進学を狂ったように阻止しようとする母親の妨害に対して、父親が味方をしてくれて、私はなんとか大学へ進学することができた。
そして表面的には平和に実家を脱出できたように思えた。

(つづく)


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