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学歴を求めず、知性を求めよ!

「いまだ学歴社会なのか」、そんな疑問がふと湧いて出た。異性の学歴を気にする人が、いまだ結構いるらしい。

学歴が高いと、頭が良いのか? 学歴が高いと、高収入なのか? 学歴に何を求めているのだろうか。自分にないものを求めているのか?

「エリート美女」が、マスコミでよく取り上げられている。高学歴で仕事をバリバリこなし、おまけにお洒落で美人。女性から見ても、憧れの存在となっている。

確かに、見ためには魅力的な存在であろう。だが、本当に人間として魅力ある人なのか。

高学歴を鼻にかけて、人を見下してはいないだろうか。収入の多さが人の価値だと勘違いしていないだろうか。単なる偶然でしかない容姿の美しさを自身の才能だと思ってはいないだろうか。

どんなにチヤホヤされていても、これでは“知性のある人間”とは言えない。知性とは、ものごとの見方・捉え方、人を思いやる心、自己表現の仕方など、すべてにおいて品格を持ち合わせていることである。

過剰な自信をさらけ出し、力で人をねじ伏せるような、下品なことをする人間には、知性のカケラもない。

だが、高学歴になると、そんな人種が増えてくる。「エリート美女」のように、見ためと高学歴を“売り”にしてしまう。また、まわりも羨望の眼差しを向けてしまうものである。異性の学歴を気にするのも、そんな傾向の表れである。

高学歴なのは、勉強のできた証である。だが、人間性を教育されてきたかどうかは、学歴ではわからない。

学歴は低くとも、人を思いやり、人のために汗を流すことのできる人間には、知性があると言える。

知性とは、決して知識のことではない。人の生きる道を知る性質だと、私は思っている。

友人として、恋人として、伴侶として、求めるべきは、そんな知性を持った人である。

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