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「茶の間」「家族の団らん」なんて、いらない!?

家族が集まり、ご飯を食べたり、お茶を飲んだり。世間話や相談ごとも。バラバラに行動していても、一日に一度はみんなが揃う場所。それが、茶の間・居間である。そこにはテレビもあり、みんなで仲良く観て、話も弾む。

茶の間は、家族のコミュニケーションの場。絆を紡ぐ空間でもある。

ところが、そんな“和みの光景”が消えかけている。家族ひとりひとりの行動がまったく異なり、食事の時間さえ、みんなが揃うことはない家庭まであるという。

私が古いのかもしれないが、家族は一緒に食事をすべきである。少なくとも一日に一度は集まり、他愛もない話でもした方が良いと思う。それが、家族の団らん、絆を生むのではないのか。

いまは、個人の自由を尊重し過ぎている。「各々が好きにすれば良い」というのなら、家族など、いらない。便宜上家族でいることに、何の意味があるのか。

家族は、互いを思いやり、気遣い、大切にしたい存在である。なのに、すべてバラバラな行動をしていては、大切な家族の様子もわからない。

悩みごとや困りごとがあっても、姿が見えなければ、察することさえできない。茶の間で一緒にテレビを見ていなければ、肌で感じることもない。同じ空間にいるだけでも、家族のことはわかるものである。

食事もバラバラ。インターネットがあるから、テレビもいらない。そうなると、家庭から茶の間・居間が不要になり、すべて個室の家になってしまう。これでは、家族の接点が皆無となる。ただの共同生活である。

家族には、“集まる”というルールが必要なのではないか。一緒に食事をする。一緒にテレビを観る。一日30分でも良い。最低でもその時間だけは、みんなで集まっていよう、と。それが、家族を保つこと、繋がることになる。

だが最近は、あまりテレビを観ない人もいる。ある調査で、「テレビが完全に有料化したら、月額いくらまでなら払いますか」という質問があったが、結果は「0円(有料なら観ない)」という人が47.5%もいた。驚きの数字である。

これは、テレビに執着がないことを表している。金を払ってまで観る価値はないということか。

私が推察するに、家族と一緒にテレビを観て、楽しかったという記憶がないのではないか。「有料なら観ない」というのは、ひとりで観ることを前提とした回答のような気がする。

家族でいるなら、そこにテレビはあった方が、コミュニケーションツールの役割を果たすと思うのだが。テレビに突っ込んだり、感想を言い合ったりすることが、どれほど家族の絆を深めることか。

たとえ有料でも、家族の団らんのためには、テレビはあった方が良いのではないか。少なくとも私は、家族でテレビを観たいと思う。

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